Ⅱ
都内近郊の大通りから一本路地に入った所にその店はあった。
最近、自家製の焼き菓子が有名になり行列が出来ることもある。
そんな珈琲と焼き菓子の店「ヘンゼルとグレーテル」に開店前から入っていく人物があった。
「おはよう、朝早くから大変ね」
そんな、温かい挨拶にカウンターの中と外の二人も明るく挨拶を返した。
「おはようございます、響子さん。今朝はまた一段と早いですね」
カウンターの中にいた
「響子さん、おはよー。トースト、それともパンケーキにする?」
テーブルをセットしていた妹の
カウンター席に座った
「今日はヨーグルトだけで良いわ。悠斗さん、コーヒーは濃い目でね!」
「了解です!」
やがて、コーヒーの香りが辺りに漂いだすと、響子は大きく深呼吸をしてから呟いた。
「さあ、今日も頑張りますか……」
このお店のオーナーである響子は、米沢兄妹の叔母であり、早くに交通事故で両親を失くした二人の親代わりとして二人を育て上げた母親同然の人物である。
「スコーン焼けましたけど、響子さん試食してもらえませんか?」そう言って、 奥の調理室から顔を出した女性は今焼けたばかりのスコーンを嬉しそうに見せた。
「うーん、いい匂いね。一つだけいただこうかしら?」
響子も自然と笑顔になる。スコーンを皿に配った
「あ、菜々美さんずるいですよ! わたしもスコーン食べますから」
「大丈夫よ! ちゃんと芽衣ちゃんの分もありますからね」
菜々美は悠斗の婚約者であり、この店の焼き菓子を一人で作っている。
子供のいない響子にとって、この三人との朝食は大切なかけがえのないものだった。
「今日も忙しいんですか?」
お皿を片付けながら、菜々美が心配げに聞いた。
「そうね、校長時代の方がよっぽど楽だったわね……」
響子はコーヒーをじっくり味わいながら不満を漏らした。
「子供たちのトラブルなんて可愛いものよ。教育委員会の大人たちなんて、欲と名誉に目が眩んだ亡者みたいな連中ばかり……わたしはこんな仕事すぐにでも足を洗いたいわね」
「議長さんになられると大変なんですね」
菜々美は食器を片付けながら同情して言った。
「でも、もうあと数ヶ月で引退。後釜を決めるのもまた、大変なんだけどね……」
響子はげんなりした顔で菜々美に微笑んだ。
☆ ☆ ☆
「福岡さん! 以前からあなたの事が好きでした。俺と付き合って下さい!」
渡り廊下の陰で緊張した面持ちの上級生はそう言って頭を下げた。
「ごめんなさい。わたしお付き合いしている人がいるんです……」
ヒナタも即座に頭を下げる。
「ぐぅ、やっぱりいたのか。誰? 三年生? それとも他校?」
確か、千夏と同じバド部の先輩は悔しそうに聞いてきた。
「えっと、社会人です、二十四歳の公務員」
「しゃ、社会人か……」
そう言いながら、先輩は肩を落として戻っていった。
「ヒナタ! あれウチの部長よね?」
ヒナタを見つけたが声を掛けれずにいた千夏が、すぐに駆け寄ってきて聞いた。
「確か、千夏の部の先輩?」
「そう、で、部長が何だって?」
「……告られた……」
「それは残念……」
親友である千夏は、ヒナタから陣内の事はすでに聞いているので、部長の撃沈は分かり切ったこと、せめて部長、わたしに先に聞いてくれれば……。もう遅かったね。
「どんまい。部長」
頑張って次の恋を見つけて下さいっと、千夏は去りゆく部長の後ろ姿に心からの祈りを捧げたのだった。
「ねえ、千夏。大事な相談なんだけど」
「パフェ」
「え?」
「相談料よ!」
「ぐぇ、今月厳しいんですけど……」
そう言いながら、財布の中身を見てヒナタが言う。一緒にのぞき込んだ千夏は仕方なく言い直した。
「コンビニスイーツで良しとしよう」
「へっへー、有難き幸せ。早速行きやしょう、いざ、コンビニへ」
明るくヒナタはそう言って千夏と二人学校をあとにした。
帰り道のコンビニのイートイン・コーナーで、二人並んでお手頃スイーツを食べながらヒナタは千夏に相談事を切り出した。
「実はね……。陣内さんの職場に挨拶に行きたいんだけど……。どんな格好で何を持って行ったら良いかな?」
「なるほど、とりあえず彼の職場に挨拶ね」
二個いくらのマンゴープリンを二人で分けて食べながら千夏はヒナタの相談を聞いた。
「とりあえず、人数多めでしょ、親に言って軍資金もらってくれば。焼き菓子なら良いお店教えるよ! それと格好は真面目に制服がベストだと思うけど……」
そう言いながら千夏はヒナタを上から下まで見て呟いた。
「スタイルが良すぎるのも問題よね……せめて、この短いスカートをどうにかしようか……」
千夏のヒナタ真面目化計画(とりあえず見た目だけ)がここから進行したのだった。
☆ ☆ ☆
大通りから一本路地に入った所に、二人の今回の目的のお店、珈琲と焼き菓子の店「ヘンゼルとグレーテル」はあった。
日当たりもよくガラス張りの店内には、焼き菓子の並ぶショーウインドウとその奥に喫茶コーナーがある。
千夏はヒナタを連れ、ガラスの扉を開けた。
「チャリン、チャリン」
可愛い音が店内に響き、千夏のよく知った顔が出迎えてくれる。
「いらっしゃいま……あ、千夏! 来てくれたの」
可愛いエプロンをした芽衣が二人を出迎えた。芽衣は千夏のバドミントン部の二つ上の先輩で現在は大学一年生だ。
「今日は、どうしたの? 新作の試食する」
「いえ、今日はご贈答用のクッキーを買いに来たんです」
千夏の横から顔を出して、ヒナタも挨拶をする。
「千夏の友だちのヒナタです。わたしの贈り物なんです」
「そうなの、ありがとうね。じゃあ早速、予算と人数を教えてくれる?」
「はい、予算は……」
芽衣はすぐにクッキーを組み合わせて贈り物の包装を始めた。
「芽衣の友達かい? こっちのカウンターに座って待っていれば」
優しく、兄の悠斗が喫茶コーナーの席を勧めた。
「あ、はい。ではお言葉に甘えて……」
二人は奥の喫茶コーナーに足を運んだ。
それほど広くないスペースにカウンターと中央には楕円のかたちのテーブルがある。
そんなことよりも、ヒナタが驚いたのは中央のテーブルに置かれた大きなショウケース、その中身であった。
「わぁ、お菓子の家だ!」
そこにはクッキーや色々なお菓子で作られた煙突のあるヨーロッパ風の家、まさに「お菓子の家」がショーケースに入れられて飾ってあったのだ。
「どう? スゴイでしょう」
千夏はまるで自分の事のように自慢げに言った。
「うちのパティシエが作ったんだよ!」
カウンターの中から悠斗が嬉しそうに説明してくれる。そのパティシエは調理室で作業中のようだ、いい匂いがここまで漂ってくる。
「コーヒーじゃなくて、カフェオレなら大丈夫?」
包装を待っているのを気にして、悠斗はサイフォンを火に掛けた。
「わぁー」
サイフォンを初めて見るヒナタは興味津々、カウンターで驚きの声を上げ続けていた。
「これ、サービス。ゆっくりしていってね」
そう言って、芽衣は試作のクッキーを二人に出した。
二人はカフェオレとクッキーをいただいて至福の時間を過ごす。
「ところで、どう? バイトの話考えてくれた」
芽衣はクッキーの入った手提げ袋を渡しながら千夏に聞いた。
「バイト?」
何も知らないヒナタは千夏を見る。
「うん、芽衣先輩に誘われているんだ」
千夏はバイトの件をヒナタに説明した。
「そう、良かったら二人で交替でやるのはどう?」
嬉しそうに芽衣が今ひらめいたとばかり提案した。
「交替か……」
二人はお互いを見ながら迷っていると……それを見た芽衣がもうひと押しする。
「もれなく試食し放題付きます!」
「乗った!」
ヒナタが思わず食いついたのだった。
こうしてヒナタと千夏は、珈琲と焼き菓子の店「ヘンゼルとグレーテル」で休日、交替でアルバイトをすることになる。
そして、少しずつ物語は動き出していくのだった。
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