第2話 親友たちのお買い物

 四限目の退屈な数学の授業が終わるチャイムを心待ちにしていた東藤とうどうユキノは、校舎中に響き渡るそれを耳にした瞬間にカバンから弁当箱を取り出し、親友である白川しらかわケイと浅茅あそうリツコに「早く食べようよ!」と催促する視線を向けた。

 はいはい、と呆れるように弁当が入った巾着を持ってユキノの前の席に着くケイ。

 一方、リツコは席を立ってユキノに手を振って、そのまま教室を出て行ってしまった。


「あれ、リッちゃんは学食?」

「今日は金曜でござるよ、ユキノ殿」

「おお、そうでござったな。失念しておりました」


 変な小芝居を挟みつつ、リツコの背を見送る。

 リツコはこれから上有住澄香ほんやくさんと昼食である。週に一度、金曜の昼休みは一緒にごはんを食べるという約束をしているのだ。

 ただし、二人はただのクラスメイトで知り合い以上の接点はないというがあるため、人目のない校舎裏や屋上で密会するという形になっている。今のところ、ケイとユキノ以外にリツコと翻訳ほんやくさんが恋人同士であることを知る者はいない。


「でも、リッちゃんも大変だよね。恋人カノジョができたのに大っぴらにできないなんて」

「いろいろセンシティブだからねー。それも含めて当人同士で受け入れたことだから、あたしたち外野は見守るしかないよ」


 弁当箱のフタを開けながら答えて、ケイはしみじみとため息をついた。

 その段階に行けただけでも羨ましいよ――という言葉は、口に放り込んだプチトマトと一緒に咀嚼そしゃくして飲み込んだ。


「……あ、そうだ」


 ケイの隙を突いて唐揚げを奪い、仕返しにハンバーグを奪われて涙目になったところで思い出したようにユキノは言った。


「ケイ。今日の放課後、時間ある?」

「あたしが昨日から入念に仕込み、完璧に仕上げて会心の一品ができたと自画自賛した唐揚げの最後の一個を強奪するような外道に割く時間など、一瞬たりとも持ち合わせておらん」

「冷めても美味しく食せるよう、工夫に工夫を重ねてようやく完成したレシピで作ったハンバーグを二つとも根こそぎ持って行く鬼畜が何をおっしゃる」

「なるほど、道理で美味しいはずだ。そこまで研鑽けんさんを重ねたハンバーグだったとは、さすがユキノどん」

「いやいや、この唐揚げは今まで食べた中で一番美味いと断言しても過言ではないと思わされるだけの一品であった。やるな、ケイどん」

「はははは」

「ふふふふ」

「……何やってんの、二人とも」


 ケンカに見せかけて互いに褒め合うというわかりづらい小芝居を展開する二人を遠巻きにジト目で見つつ、リツコは自分の席のカバンから財布を取り出してツッコミを入れた。


「あれ、リッちゃん? ごはんに行ったんじゃ?」

「財布持ってくの忘れたから取りに来ただけ。すぐに戻るよ」

「そっか。行ってらっしゃい」


 手を振りながら教室を出ていくリツコを見送り、ユキノはもしゃもしゃと弁当をかき込み始めた。

 しばらくそれを眺めていたケイだが、一向にユキノが話を再開しないので『自分で言い出したことを忘れてやがるな』と直感して話題を振ってやった。


「……で、放課後だっけ? 何かあるの?」


 あ、そうだった、とユキノは唐揚げの半分を頬張り、しっかり味わってから飲み込んで話を続ける。


「買いたいものがあって駅前のショッピングモールに行きたいんだけど、付き合ってくれないかなって。いつもお世話になってる人にプレゼントしたくて」

「買い物かー。別にいいよ、ヒマだし。……って、部活は? 明後日に走り高跳びの大会予選あるんじゃなかった?」

「明日の部活で調整するから大丈夫。それに今日は元から休養日だよ」

「そう。ならいいけど」

「ん。じゃ、決まりね。よかったー」


 嬉しそうに言って、ユキノは大袈裟な仕草で笑顔を見せた。



 放課後になり、ユキノとケイは駅から徒歩数分のショッピングモールに足を運んだ。

 近隣では最も規模が大きく店舗テナント数も多いため、それに比例して客の数も多いが、中央の吹き抜けを始めとする広々とした空間演出のせいか、混雑している感じはしなかった。


「さて、どこへ行こうというのかね?」

「うーん、とりあえず日用雑貨かなぁ。店は三階だよ」

「……了解です」


 若干ネタがスベったことに少々気落ちしつつ、ケイはエスカレーターに向かうユキノの後ろをついていく。

 なんだか昼ご飯からこっち、ユキノがネタに乗ってこない……と、寂しさを感じずにはいられなかった。

 なんとなく。本当になんとなく、ユキノの様子がいつもと違うような気がしなくもない。

 ケイはそんなことを思っていた。


「ね、ケイ。お気に入りのものがみつかるといいね」


 三階に着き、目的の雑貨屋に向かいながらユキノは何気なく言った。

 怪訝そうに眉根を寄せ、ケイは首を傾げる。


「その言い方だと、あたしの買い物にユキノが付き合ってくれてるみたいに聞こえるんだけど。逆じゃない?」

「あー、うん。そうだね。私が良いものを買えるかどうかだよね」

「そうだよ。お世話になってる人に贈るんでしょ、しっかり選ばないと」

「うん。とても大切な人だからね、気に入ってもらえるものを贈りたいんだ。だからケイには期待してるよ」

「期待? あたしに選ばせる気なの?」

「参考にしたいだけだよ。決めるのは私」

「……?」


 その物言いに違和感を覚え、さらに首を傾げるケイ。

 いったい何なのだろうと不審に思いながらも、気にしすぎかとそれを口にすることなく雑貨屋に入った。

 ショッピングモール自体は何度も利用しているが、ケイはこの店に入るのが初めてだった。店内に漂う可愛らしい雰囲気が自分には合わないような気がして、なんとなく敬遠していたのだ。

 その気後れを見透かされたか、ユキノにしては珍しく強引にケイの手を引きながら「あれはどう?」「これよくない?」と種々雑多な商品を見て回ることになった。


(……やっぱり、あたしには合わない感じかなぁ。この中から選べと言われても難しい……)


 一通り見ても特に気になるものはないと興味をなくしかけていたケイ。他の店に行ってみようよ、とユキノに告げようとして――ふとマグカップが並んでいる棚が目について、その前で足を止めた。


「ケイ、何か気になるのがあった?」

「あ、うん。気になるっていうか……いつも使ってるマグカップを洗ってるときにシンクに落としちゃって、ふちがちょっと欠けたのを思い出して。使えないほど酷く割れたわけじゃないし、わりと気に入ってるデザインだから買い換えるほどでもないんだけどねー」

「ふーん……」


 ケイの視線を追うように棚を見ながら、ユキノは気のない相槌を打った。

 しかし、その様子とは裏腹に、真剣な目つきでいくつも並ぶマグカップを吟味するように何度も視線を往復させていた。

 数瞬経ち、それがある一か所で止まった。


「ねえ、これ可愛くない? ケイが好きそうな感じだし」

「どれ?」


 ユキノが指したカップを覗き込み、ケイは、ほう、と息をついた。

 白地にオレンジ色で、丸くなって眠る柴犬のイラストが描かれたマグカップだった。

 余計な飾り気がなく、素朴で温かみのあるデザイン。見ているだけで気持ちがほっこりと落ち着くような気がする、そんな可愛らしさと安心感があった。

 今使っている欠けてしまったマグカップにも犬のイラストが描かれていて、それに似ていることで余計にケイの目を引いたのだろう。

 手に取って反対側を見ると、犬小屋の前で柴犬がお座りしていた。覗き込んだ内側の底には犬の足跡が三つ並んでいて、「さんぽ行こ~」と丸っこい字で書かれている。

 犬好きのケイは思わずその愛らしさに笑みをこぼしてしまった。


「どうする? 買う?」


 いたく気に入ったらしいと察したユキノが訊ねると、ケイは小さくかぶりを振った。


「可愛いけど、今のがまだ使えるし。……って、あたしじゃなくて、今日はユキノの買い物でしょうが。良さそうな物は見つかったの?」

「おっと、そうだった。このあと本屋にも寄らなきゃだし……」


 そう言われて、ユキノは慌てていくつかの雑貨を手にとってレジへ駆けて行った。

 結局一人で決めてるし……と内心で苦笑しながら、ケイは精算が終わるのを待った。



 雑貨屋を出て、二人は五階にある本屋に立ち寄った。

 付き合わされる形でやって来たケイではあったが、しばらく本屋には来ていなかったので、買いそびれていた新刊の小説や漫画をこの機会に購入しようとそれらを探し歩いた。売り場を物色し、小説を二冊、漫画を三冊手に取ってレジを済ませる。

 ユキノは雑誌コーナーに用があるらしく、店内では別行動をとっていた。立ち読みを始めると長いことはよく知っていたので、ケイはまだ雑誌コーナーにいるはずの連れを迎えに行き――


「……?」


 そこにユキノの姿はなく、眉をひそめた。


(レジに行ったのかな……?)


 入れ違いになったかと思ってレジを覗くも、見当たらない。

 店内を一周しても見つからず、店を出て辺りに視線を巡らせた。

 客が多いと言っても、混雑するほどでもない通路はそれなりに見通せる。ましてケイがユキノを見間違えたり見落としたりすることはない。目の届く範囲であれば必ず見つけられると人混みの中に連れの姿を探した。


「あ、いた」


 階段がある通路のほうにいたユキノに手を振り、駆け寄ってくる彼女を待った。


「ごめん、ケイ。トイレ行ってた」

「そうなんだ。いきなりいなくなるからビックリしたよ」

「ごめん」


 へへ、とだらしなく笑いながら謝るユキノ。よほど慌てて戻ったのだろう、息を切らせて肩で呼吸をしていた。


「どこのトイレに行ってたの? すぐそこにあるのに、そんなに息を切らせて走るなんてさ。ひょっとしておなかがピンチだった?」

「違うよ。たまたまそこが清掃中で、他の階まで行ってたから。ケイを待たせるといけないし、戻るのに階段ダッシュしたんだ。いいトレーニングになったけど、革靴ローファーで走るのはオススメしない……」

「まったく、君ってやつは……。行くなら行くって言ってくれれば、ゆっくり待ったのに。それはともかく、お疲れさま」


 よしよし、とユキノの頭を撫でてやって、ケイは小さく笑った。



 一通り買い物を済ませた二人は、ユキノの提案でカフェに寄ることにした。リツコを含めて三人で何度か来たことがあり、同級生の友人がアルバイトしているので気軽に利用している店である。

 一番奥のテーブル席に向かい合って座り、ユキノはストレートティー、ケイはレモンティーを注文した。


「今日はありがとね、ケイ。来てくれて」

「いいよ。買いたかった本が買えたし。……でも、結局プレゼントはユキノが一人で決めちゃったね。参考にしたいって言ってたのに、あたしが来た意味なかったねー」

「いやいやいや。何言ってんの、ケイ。

「……? 主役? 何の話?」


 意味不明なユキノの言葉に、ケイは眉をひそめて小首を傾げた。


「お待たせしましたー」


 問い詰めようと少し身を乗り出したそのタイミングで、店員(同級生)が注文したものを運んできた。ユキノの前にストレートティー、ケイの前にレモンティーを置く。続いて――赤と白のストライプキャンドルが立てられた、握りこぶしほどの大きさのチョコケーキをレモンティーの隣に置いた。


「え? これ、頼んでないんだけど。間違ってない?」

「間違ってないよ。よく見て」


 と、ユキノは意味深な笑みを浮かべながらケーキを指した。

 ケイは怪訝そうにしながら、ゆっくりケーキに視線を落とす。

 チョコで表面をコーティングしてシュガーパウダーを薄くかけた甘そうなシフォンケーキ。その白いキャンバスに、ピンク色のチョコペンで文字が書かれていた。


『HappyBirthday to Kei Shirakawa』


 その一文の意味に気づいたケイは、顔を上げて正面のユキノを見つめた。

 驚きと戸惑いの表情でぽかんとするを見つめ返し、ユキノは微笑む。


「二日早いけど、誕生日おめでとう。ケイ」

「え……なんで……」


 思いもしなかった状況に理解が追い付かず、言葉が出ない。


「本当は明後日の当日ほんばんにお祝いしたかったんだけど、私は部活の予選があるからできないし、ちょっと早いけど今日にしようって。そう思って、前から準備はしてたんだ」

「準備って……」


 同級生の店員に目を向けると、笑顔で手を振って返された。以前からユキノに相談されていたとわかる反応だった。

 そこでやっと、買い物に付き合えというユキノの言葉がだったと理解した。だからプレゼントを買うのにケイの意見を聞きたいと言ったわりに一人で決めてしまったり、たまたま目についただけのような適当な品物を買ったりと、不可解な行動をとっていたのだ。

 すべてはこのカフェにケイを連れてきて、誕生日を祝うための布石だったということである。


「もう、そういうことならそうと言ってくれればいいのに。ユキノがお世話になってる人のプレゼントを選べなんて言うから身構えちゃったじゃないの。まあ、結局何も選んでないし、選べそうになかったんだけどさー」

「お祝いしたいって言ったら、来てくれなかったでしょーが。ケイってば照れ屋さんだから」

「まあ、そうだけど……」

「それに前もって言ってたら、これも受け取ってくれないでしょ?」


 と、ユキノはラッピングされた箱をカバンから取り出し、ケイに差し出した。


「何これ?」

「誕生日プレゼント。開けてみて」

「そんなものまで用意してくれてたの……?」


 怒涛の攻勢に落ち着く暇もなく、ケイは促されるままプレゼントのリボンを解いた。白と青のストライプ柄の包装を丁寧に開き、厚手のボール紙のフタを取る。


「あ……。これ、さっきの……」


 雑貨屋でいいなと思った『柴犬のマグカップ』だった。ダークグレイの緩衝材に包まれて、白地にオレンジ色で描かれた柴犬がケイを見つめている。


「ケイに喜んでもらえそうなものがよくわかんなくて、それで買い物に誘ってそれとなく自分で選んでもらおうと思って。で、そのマグカップを気に入ってたみたいだから、本屋から抜け出して大急ぎで買ってきたの」

「ああ、それで……」


 トイレに行っていたというユキノがあれほど息を切らせていた理由がわかった。他の階のトイレなら移動は一階分で済むが、五階の本屋と三階の雑貨屋を階段で走って二階分往復したのだ。陸上部とはいえ持久力に乏しいユキノにしては、大変な労力だっただろう。

 ケーキを用意するだけでなく、プレゼントのために一生懸命走ってくれたと思うと、ケイは思わず泣いてしまいそうになった。


「そういうわけなんだけど……受け取ってもらえる?」

「もちろんだよー。ありがと、ユキノ。嬉しいよ。大事にするね。神棚に飾って毎日拝むし、ガラスケースを特注して、中に金糸で家紋を入れた紫紺の本繻子ほんしゅすを敷いて家宝にするよ」

「待って。そこまでするようなものじゃないから。普通に使って?」

「いいやッ! 飾るねッ! ユキノ様のご神体だと思って、我が家族全員揃って朝晩必ず超拝み倒すねッ!」

「やめてぇぇぇ!」


 溢れ出しそうな気持ちをひた隠しにしようと、今まで見せたことのないような真剣な顔で冗談を飛ばすケイ。

 ユキノはすごく困った顔をしながら、それでもおかしそうに笑った。



 それ以上騒ぐなら出てけ、と店員(同級生)に注意されながら紅茶とケーキを楽しみ、二人は帰途についた。

 思ったよりもショッピングモールの滞在時間が長かったらしく、辺りは薄闇に包まれていた。

 そんな中、道路に落ちる街灯の明かりの下を二人並んで歩く。


「明後日の予選会、応援に行くよ。リッちゃんも誘って」

「ほんと? じゃ、楽しみにしててね」

「……何を?」

「予選を突破したら、改めてケイの誕生日を祝うから」


 薄紫色の空に浮かぶ星を遠い目で見つめ、ユキノは言った。


(これは予選落ちで残念会になりそうだね……)


 教科書に載っていそうなほどわかりやすい死亡フラグを立てた親友に複雑な視線を向けつつ、ケイはため息をついた。

 そのあと、どちらが言い出したわけでもなく手をつないで、取り留めのない話ばかりをしていたが、互いに笑顔が途切れることだけはなかった。

 自らの気持ちを心の奥に押し込んでいるケイは、それを表に出すことよりも、こういう時間を大切にしたいと思っていた。

 友人として、親友として、ユキノとのこの距離感を保っていたい。

 それでこの楽しい時間が続くのなら、それでいい。



 やがて駅に着き、それぞれの帰路へ別れる――その間際。


「……と、そうだった。ケイ」

「ん?」


 何かを思い出したように、ユキノは改札に向かうケイを呼び止めた。


「ケイをショッピングモールに連れ出すための言い訳に、大切な人へのプレゼントを買いたいって言ったことだけど」

「うん」

「あれ、ウソでも冗談でもないからね」

「え……」

「じゃ、またね。ケイ」


 言いたいことだけ言って、ユキノは走って去っていった。

 残されたケイはその言葉の意味を考え――


「……ッ! またあの子はそういうことをサラっと……!」


 無自覚なのか、わざとなのか。

 表に出せない気持ちを弄ぶようなことをするユキノに怒りを湧き上がらせ、カバンの中のプレゼントに込められた気持ちがなのだろうかとモヤモヤしながら、ケイは帰りの電車に揺られるのだった。





       第二話  終

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