第8話
無事夏季テストが終わり、短縮授業に切り替わった。
今年の夏は暑い。去年はこんなに暑くなかったと思う。いや、毎年暑さを忘れてそう思っているかもしれないが……暑いものは暑い。
そう思いながら作業していると書類に汗が垂れ落ち、インクが滲んでしまった。
生徒たちは昼に下校していく。部活があるヤツらと教師は煮えくり返るほどの暑さの中、まだ校舎に残らなければいけない。扇風機だけでなんとかなるものではない。汗が止まらんし、集中力も切れてくる。気分転換しないと。手拭いを肩にかけ、職員室を出る。
一年、二年生の教室がある棟の三階奥に図書室がある。人が少なく、この時間帯は日陰になってることもあり、頭上でまわる扇風機数台だけでもひんやりしている。涼しくて、本があるなんて天国のような場所だ。何か資料を探しているふりをして、身体を冷ましつつ、本を眺めて癒されよう。
文豪と呼ばれる作家たちの本は自宅に多くあるから、この数年、教師を始めてから追えてない発行年数の新しい作品を探して歩く。
「これも読めてない!」と好きな作家の新刊を見つけたり、「面白そうだろ?」と題名だけでオレに読めと誘惑する作品もある。時間さえあれば、全部読めるのに。
あれやこれやと目移りしていると、棚の端から飛び出しているポニーテールが見えた。浅倉だと直感が知らせる。背を向け、そっと奥へ進み、あの生徒と鉢合わせしないように違うルートから移動しようとすると、シャツの裾を掴まれた。おそるおそる振り向くと、浅倉が微笑みながらオレを見上げていた。
「うおっ⁉」
「先生。図書室では静かに、ですよ?」
口元で人差し指を添える。
「うるせぇ……ビックリしたんだよ。で、なんでここに」
「本を探しに来たに決まってるじゃないですか」
「本当か?」
「私が先生のことを待ち伏せしてたとでも?」
「……そうにしか思えないが」
「やだなぁ。私もそこまで暇ではないんですけど……」
浅倉は首を傾げたあと、何かひらめいたように目を輝かせはじめた。
「そうだ! せっかくこうして先生に会えましたし、今年も読書感想文の本探してくださいませんか」
「だから自分で探せって……!」
「嫌です」
「即答かよ」
「さっきから何周もウロウロしてたんですけど、いい本が見つからなくて。だから、先生に選んでほしいんです」
「オレはオマエがどの作品を選んで書いてくるのかわからん方が、読むときの楽しみが増えて良いんだがなぁ」
と変化球で返してみる。浅倉は一瞬キョトンとしたあと、唇を尖らせた。
「先生がそう言ってくださるのは嬉しいですけど……。高校最後の夏休みの宿題なんですよ? だからこそ、先生に選んでもらって記念すべきものにしたいんです」
「そこまで言うか?」
「言います」
本当に浅倉は「ああ言えばこう言う」性格だな。絶対自分の意見を押し通しやがる……。
「そういうことならわかった、今年も探してやるよ」
ぱっと顔が明るくなった浅倉に、
「あれから一年くらい経ってるがどんな本読んだ?」
と手始めに訊いてみる。
「えっと、昔アニメ映画観たことあった『銀河鉄道の夜』に、教科書に載ってた『舞姫』。それに友達や綾ちゃんがおすすめしてくれた赤川次郎とか、小川洋子作品を何作か。村上春樹はちょっと難しくて挫折……あ、『いちご同盟』を最近読んだんですけど、初めて本を読んで泣いちゃいましたね」
「ほぉ。思ったより読んだじゃねぇか」
「えへへ。だから、少しは成績上がってたでしょう?」
「ほんの少しな」
「もっと褒めてくださいよぉ」
「まだまだ上に行ける余地があるんだから。褒めるのはそこそこに、だ。あと、絞るためにも訊くが、どんなジャンルの本がいいんだ?」
「恋愛小説が良いです」
「恋愛小説ぅ⁉」
思わず声がデカくなる。
「ホント、ませてんなぁ……」
「もう高校三年生ですよ? 周りは彼氏いる子なんてたくさんいます」
「はぁ……。色恋沙汰に浮かれてねぇで勉強しろよ、勉強」
「彼氏と切磋琢磨して受験を乗り切るって、むしろ勉強会してるらしいですよ」
本当かよ。勉強会と称して会う口実作ってるだけだろ? と思いつつ、それ以上は何も言わない。
「で、先生の好きな恋愛小説ってどれですか?」
「恋愛小説……ねぇ……」
あらすじを見て面白そうだと感じたらなんでも読むから、そんなのを意識して選んだことなどない。タオルで汗を拭きつつ、棚を眺めていると、一冊の本を思い出した。
「井上靖の『愛』はもう読んだか?」
「まだ読んでないというか、初めて聞く題名と作家さんだなと」
「そうか。短編集で文庫本自体はすげぇ薄い。だからといって、内容が薄いわけじゃないからな。その中でも最初に収録されている『結婚記念日』が好きなんだ」
「どんなお話ですか?」
「あらすじ説明したらそれでもう内容話すことになるくらい短いんだよ」
「それでも少しだけ」
「妻を亡くした男が主人公で、『まだ若いんだから再婚しろ』って周りから勧められてるんだ。その亡くなった妻っていうのが、勝ち気でおしゃべりで、なによりすっげぇケチ。まあ、男もたいがいのケチなんだけどな……。そういうこともあって『次は良い人を」って余計に言われるってワケだ。でも、男は再婚の話に乗らない。その妻と、偶然手に入れた大金を使って、旅に出ようとした時のことを思い出して、妻への愛を深める。……これくらいにしとく。じゃないと楽しみ削っちまうからな」
「先生はその作品のどの辺りが好きなんですか?」
「なんつーか、お互い『好き』とか『愛してる』とかいう言葉もないし、ところどころすれ違いも起きてる。それなのに、最終的には相手のことを思ってるところに温かさを感じるんだよな」
「へぇ……。ワタシは『好き』って言葉が口を突いて出てしまうというのに」
「オマエとは対極のところにあるような気がするぜ。まあ、いろんな愛の形があるってワケだな」
「勉強のためにも、ぜひ読んでみたいです!」
勉強は勉強でもちゃんと国語の勉強にしてほしいものだが……。
文庫本棚のあ行を探す。しかし、ない。薄い本だから見落としたか? と何度も指さしながら棚を確認する。しかし、
「ないな……、良い作品集なんだが」
「えぇ……残念」
「……オレん家にはあるから貸してやるよ」
「いいんですか?」
「せっかくあらすじ話して、ないから読まずに違う作品にっていうのはもったいないからな」
「ありがとうございます!」
周りに誰もいないことを確認し、声のボリュームを落とす。
「次の土曜日は来るのか?」
「はい、綾ちゃんと一緒にお伺いする予定です」
「わかった。それまでに探しておく」
「お願いします」
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