第4話 会長からの頼み事
昇進の話がきた。
俺みたいな若手社員がいきなり部長代理になれるなんて、異例の出世コースを歩んでいることになる。
俺には優秀な部下が沢山いるから、そのおかげでもあるのかもしれない。
俺はいつも裏方だ。
自分じゃな何一つできないから、とにかく泥だけ被って、周りに助けてもらいながら仕事をしている。
責任転嫁だけはしないことが俺のポリシー。
だけど能力のある人間ではない。
部下たちは俺を持ち上げるが、俺自身は自分がそこまでの器でないと思っている。
仕事ができない分、俺は周りの人間に気を配ってきたつもりだ。
そんな俺の姿を見てくれている人は、案外多いのかもしれない。
今更ながら、そんなことに気づかされた。
会長に呼び出されたのは、そんなことを考えている時だった。
社長室に行くと、そこには社長の他にも人がいて、その人は俺を見てニヤリと笑っていた。
杉浦専務だ。
「昇進おめでとう佐野」
「ありがとうございます」
「お前には期待していたんだ。まさかここまで早く結果を出してくれるとはな」
「いえ、俺の力ではありません。みんなの力です」
「謙遜するな。お前の実力は誰もが認めている。だけど、ここで満足してもらっては困るぞ。お前にはこれから重要なポジションについてもらわねばならんからな」
俺と専務がそんな話をしていると、会長が咳払いをした。
俺たちは慌てて背筋を伸ばす。
すると、会長は穏やかな口調で語り始めた。
俺は緊張しながらも、その言葉を一言一句聞き逃すまいと集中した。
「佐野。部長代理というのは表の肩書きにすぎない」
「表の、ですか……」
「そうだ。現場を割らないためにも、お前は結果を出さねばならない。これは私からの頼みでもある」
会長はそこで一旦話を区切ると、じっと俺の目を見つめてくる。
俺は唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「私は禅野にはよくしてきたつもりだ。会社を設立した時からずっと支えてくれていたからな。府省庁の知り合いに頼んで、うちを辞めたあいつを呼び戻したのも私だ。しかし天下り先を斡旋しても、結局奴はその地位に甘え、堕落していく毎日。私の見立て違いだったようだ」
俺は言葉が出なかった。
禅野部長。
俺の恋人に手を出し、俺からかおりを奪った男の名前だった。
新入社員時代に世話になった上司であり、あんなことがなければ尊敬する先輩でもあった。
「佐野。お前は第二営業部をまとめ上げて禅野の第一営業部より業績を上げろ。それができれば、私が直々にお前に次のポストを用意する。営業部を割ることなく結果で一つにまとめてあげてみせろ。次の役員会で、その件について話す」
「役員会、ですか……」
「次期役員の候補に選ばれたってことだよ。俺もうかうかしてられないってことさ」
専務が横槍を入れてきた。
「いや、それは……俺はまだ若輩者なので……」
俺が口ごもっていると、会長はゆっくりと首を横に振った。
そして、優しい眼差しで俺を見る。
俺がこの会社に入ったときから変わらない、温かみのある瞳だった。
「私は年功序列主義ではない。若い芽を育てて、古い枝を切り落とすのも大切だ。お前が新しい風を吹き込むんだよ」
盆栽を例えにしたのだろうか。
会長は盆栽がお好きだ。
昔、まだ俺が入社して間もない頃、一緒にお茶を飲んだときに聞いたことがある。
その時の会長の表情は今でも忘れられない。
愛おしそうに、慈しむように、優しく微笑んでいた。
俺に盆栽を愛でる趣味はないけれど、雑木にそこまでの愛着を持てる会長の心は、きっと綺麗なのだろうと思ったものだ。
俺はこの人の下で働けて幸せだと思った。
「返事はここでしろ。待つのは嫌いだ」
俺の恋人だと知っておきながらかおりに手を出した禅野部長に一泡吹かせてやろうとか、そんなことは考えていなかった。
ただ、会長がこうしてチャンスを与えてくれたのだ。
俺はそれを無駄にしたくない。
そう思った。
だから俺は迷わず答えを出すことができた。
「やらせて下さい。会長が望む数字を必ず出してみせます」
会長は満足げに目を細めた。
「佐野、井上も連れていけ。あいつならお前をフォローしてくれるだろ」
「ああ……はい」
「どうした浮かない顔じゃないか。まさかお前らうまくいってないのか?」
専務が心配そうな顔で俺の顔を覗き込んできた。
「正直に言うとそうですね。俺はやはり仕事一筋のようです」
「そ、そうか、よく言った。ですよね会長」
「カミさんを選ぶのはお前だが、結婚はしろよ佐野。今どき古い考えかも知れんが、家庭を守る男は信用できる」
俺は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
家庭を持つなんて想像がつかない。
そもそも、こんな俺が誰かと一緒になるなんて許されるのだろうか。
そんな思いが頭をよぎる。
俺の思考を読み取ったかのように、会長は続けた。
「まあ今のは言葉の綾だ。支えてくれる人間がいれば、自然と仕事も頑張れる。お前に私の価値観を強要する気はないが、頭の片隅にでも置いておけ。それぐらいの余裕がないと、人生つまらなくなるぞ」
会長はそう言って笑った。
まるで、子供の成長を喜ぶ父親のような笑顔だった。
社長室を先に退室した俺は、色々と踏ん切りをつけるために、かおりにメッセージを送ることにした。
『屋上に来てくれ』
それだけ送っておくことにする。
少し時間が経ってから既読がついた。
後は待つだけだ。
屋上から街を見下ろす。
七海ちゃんがまた部屋を汚してるんじゃないかとか、今日は掃除をする暇があるかなぁとか、そんなことをぼんやりと考えていると、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
振り返ると、そこには息を切らしたかおりの姿があった。
――勇気を出せ。
俺は自分にそう言い聞かせた。
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