前奏 -overture- その1
二〇三四年のこと。
それに加えIoT技術の進歩が二大要因となり、先進国を中心に突発かつ刹那的なテロに対応するため監視カメラ及び
参考までに、海外で少し人気になったジョークを紹介する。
「日本で食うに困ったら、その場でズボンを下げてみろ。三食付きの無料ホテルを紹介してもらえるぞ」
嘘だと思うなら、一歩外に出て注意深く周りを見渡してみるといい。ものの数分で、二桁数の監視カメラが見つかるはずだ。いくらか事実を誇張してはいるものの、あながち嘘とも言い切れないということが分かるだろう。
とにかく。
そんな監視大国の中で、彼ら三人はひとつ大きな事件を起こそうとしていた。
━━
あの事件から一晩明けた、午前十時。
「んむぅ……」
寝ぼけ
彼女は、自分がホテルの一室で目覚めたことを理解した。
昨夜のことが遠い夢のように感じる。疲れと興奮で、ふわふわしたまま身支度をして、ベッドに入って五秒で寝たところまではなんとか覚えていた。道中買ってきたワンコインのワイシャツを着ていることが、何よりの証左である。
何をすべきか頭が働かず、あくびをしていると、
「おはよう。サヤ」
彼女の横から、ダウナーな少年の声がした。
振り向くと、彼が居た。サヤと同じように、安っぽい半袖とズボンを着ている。近くのコンビニまで行ってきたようで、手には色々入ったレジ袋を持っていた。
「あ、え、おはよう、えっと……」
「ハバキ」
挨拶しようとするが上手く名前が出てこず、結果ハバキの方から自己紹介させる羽目になってしまった。
「あ、ごめんねハバキくん……」
「会って一日と経ってないんだ。気にせんよ」
彼はそう言うと、もう一つのベッドに腰掛け、間にあるサイドテーブルの上にレジ袋の中身を置いた。菓子パンや海苔巻きなど、コンビニで売られている安い食品がたくさんある。
「朝食を買ってきた。好きなの食べてくれ」
「ありがとう……」
お礼を言って、サヤはメロンパンとおかかおにぎりを手に取った。
飲み物も欲しいな、と思い、ベッドから出ようと身体の向きを変えると、その目の前に水のペットボトルが差し出される。
「水で良かった? 」
「う、うん。大丈夫。ありがとう」
(よく気がつく人だなぁ……)と驚きながら、またお礼を言って、受け取る。ハバキはにこやかな顔で頷き、サヤが取らなかった朝食を全て自分の方にかき集めた。
「そういえば、もう一人の、
「アイツは別で買い物してる。昼頃には帰ってくるよ」
「え? 一人で大丈夫なの? なんか追われてるとか、そういう話じゃなかったっけ? 」
「よく覚えてるじゃないか。確かにアイツは追われる身にあるが、追っ手は警察じゃない非合法な存在だからな。衆人環視の中なら手は出せんのさ」
ものすごい勢いでおにぎりと惣菜パンをかじりながら、ハバキは言う。三人分はあろうかという量を全部平らげる気なのだろうか。
「あ、コレ聞いとかないと。家出の時、書置き残した? 」
一瞬食べる手を止め、ハバキは質問した。
「一応、それっぽいものは」
「内容は? 」
「え? 『捜さないでください』ってだけだけど……」
「良し! グッジョブだぜ、サヤ」
ハバキはそう言って親指を立てると、また食べ始めた。だがサヤにとっては、何がグッジョブなのかとんと分からない。
その旨について質問しようと口を開く前に、ハバキの方から教えてくれた。
「今サヤが言った内容の書置きっていうのは、『失踪宣告書』って言ってね。それがあると、一般捜索人と判定され━━要は事件性ナシって警察が判断して、積極的な捜索をしなくなるのさ」
「へー! 私が知らないだけで、めっちゃ捜してくると思ってた」
「毎年九万人前後が行方不明になってんだ、一々捜していられないんだろうさ。ただ、あくまで
その言葉を聞いて、サヤは少し目を伏せた。
「そっか……。これからずっと、パトカーに怯える日々が続くんだね……」
そう意気消沈したことを言うと、ハバキは笑った。そして、こう付け加える。
「曰く、届出が出されてから一週間耐えれば、行方不明者の発見率はたった三パーセントにまで落ちるんだと。実際そのくらいはこのホテルに泊まる予定だから、そう悲観しなさんな」
子供を諭すような調子で彼は言って、その後また少し笑った。彼の真っ黒い瞳を見つめていると、唐突にまだ顔も洗っていないことに気づいて、途端に恥ずかしくなった。
「ごちそうさま。えっと━━」
「洗面所は廊下の右手にあるよ」
ハバキは本当に、よく気がつく人間だった。
サヤはいそいそと包装のゴミを集め(この時もハバキはお礼を欠かさなかった)、道中のゴミ箱に捨てつつ洗面所へ向かった。
ハバキは彼女の姿が見えなくなったのを確認する。そして、はち切れそうなものを解放するように大きくひと息ついた。
(やっぱ、女の子の前だと緊張しちまうな……。対応の仕方、アレで合ってたのか……? )
彼は十六とは思えぬ程に聡明だったが、それでもその性根はしっかりと少年であった。
(まあ……嫌な顔はしてなかったし。大丈夫だろ。たぶん)
ベッドに寝転がり、天井を仰ぐ。彼はいくつものシナリオを夢想し、そこに自分の持つあらゆる情報から、有り得るかもしれないシチュエーションとそのソリューションを当てはめる。
(……積極的な捜索はしない、か……)
昨晩の、鵐目との会話を思い出す。
彼は不法な存在に追われる身であるが、本来はこのような迂遠で不安定な方法を取らずとも、金と権力で警察の手を借りて監視カメラから捜し出す方が確実で手っ取り早いはずなのだ。
そう聞くと、彼は笑いながらこう答えた。
「ボクが存在するのは、リアルの世界だけなのさ。キヒヒヒ……」
そう言われても全くもって納得出来ないので問い詰めると、予想だにしなかったファンタジックなSFバナシが聞けた。
(『メアリー』謹製のコード『Flash_MOB』。監視AIのサブルーチンをクラックし、あらかじめ設定した顔を認識した時、全く別の顔面として偽装する……という話だが)
鍵となるのは『ディープ・フェイク』という技術である。二十年代に開発された、AIを通して全く別の人物のテクスチャーを被せるこの技術は、
しかしいくら禁止されたとはいえ、やはり二十年近く前の技術である。やろうと思えば簡単に出来てしまうし、実際活用しているのが鵐目という男なのだ。
(一度デモを見せてもらったが、なるほど確かに俺の顔では無かった。素早く動いても合成が乱れる様子も無かったし、ガラスの反射なんかにも対応している。顔だけならまずバレないと見て良い。だがまぁ……)
ごろん、と寝返りを打つ。洗面所から流れる水音が止まる。
(目の良い奴なら靴やカバンを見れば一発で分かるし、移動経路から割り出すことも出来るんだよなぁ……)
それを加味して、『ランダムで別人に自分たちの顔を被せる機能』を実装するよう頼んだが、それはもう終わったのだろうか。鵐目からの連絡は無いまま、彼は買い出しに行ってしまった。
彼は会社に居た時からこうなのだろうか? だとするなら、チームメンバーの苦労が偲ばれるというものである。
「戻ったよー」
そんな下らないことなどを考えていると、サヤが身支度を整えて戻ってきた。昨晩とは違い、心持ち気楽な顔をしている。
そっちの方が可愛いぜ、と言おうと思ったが、まだ少し気恥ずかしいので心の内に止めておくことにした。
「おかえり」
ハバキはにこやかにそう言うと、脳内に散乱している思索の数々を闇の彼方へ放り投げる。子どもが玩具を粗雑に箱へしまうように。
(ま、現時点で色々考えても仕方無いか。今は楽しもうぜ、サヤ)
彼は芯からリアリストである。だが同時に、ビックリするほど刹那主義のエンジョイ勢でもあった。
少なくとも、今までの人生を無頓着に捨ててしまう程度には。
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