最終話 旅立つ君へ


 夜になって空にはたくさんの星空と月が昇っていて、明かりが無いにもかかわらず明るくて遠くまで見渡せた。

 今日は目覚めてから一週間目の夜。

 あれからずっと考えているけど、これからどうするかは全然決まらなかった。

 そういえば、ウィルベルはしばらくいるとは言っていたけど、具体的にいつまでとは聞いてなかったな。

 今はどこにいるんだろう。


「……自由ってのも考えもんだな」


 上層と中層を隔てる防壁の上で座り込む。

 落ちていた小石を拾い、投げる。

 小石は地面に落ちる前に見えなくなった。

 そのあとも小石を拾っては投げ、拾っては投げを繰り返す。

 ぜんぜん思考はまとまらなかった。


「自分の価値……か」


 ぜんぜん、考えたこともなかった。

 自分には何ができて、何ができないのか。

 この世界に何を残せるのか、どこまで残せるのか。

 ……実は、俺の心に一つ、気になっていることがあった。


「この世界に正義も悪も罪も許しも存在しない。あるのはただの事実だけ、か」


 ドライグウィブが言った言葉。

 究極的にこの世界はただの弱肉強食の世界で、強い人間が好きにできて、弱い人間は淘汰される。

 法も倫理も自由も正義も金も命も何もかも、強い奴が決める世界。

 俺はそれを醜い世界だと思った。

 この国のように、ただ強い人間だけが得をして弱い人間に何もできない世界なんて、と。

 でも確かに、ドライグウィブの言う通りだとも思う。

 国を作って、全員が幸せに生きられるように法律なんて作っても、それも結局権力という力を持った強者が弱者を縛ってしまっている。

 この国がこれからどうなるかわからないけど、誰が王になってもそういう国になるだろう。

 だけど――


「……弱くても抗える。運命に逆らえる。だから人には『加護』があるんだ」


 ルナマリナが生きたいと願い、死に抗ったように。

 俺が守りたいと願い、運命に抗ったように。

 この世界には夢が詰まってる。


「こんなところにいたんだ」


 考え込んでいると、いつの間にか近くに巨大な飛竜――エフィメラが降りてきて、ルナマリナがやってきていた。


「どうした?」

「ウィルベルから話は聞いた……どうするんだろうと思って」

「……どうしようかな」


 マリナが俺の横に腰を下ろして、遠くを見つめる。


「この国のいろんなところを見てみたんだ。楽しそうに復興したり、うまいもん見つけて喜んだり、できなかったことができるようになって嬉しそうだったり、やりたいことが見つかって活気に満ちていたり。こないだまで考えられなかったたくさんの可能性が広がってるんだ」

「そうだね……ウィリアムが作ってくれたんだよ」

「そうだな。自分で作っておきながら、俺が一番戸惑ってるんだ」


 また小石を一つ拾い上げ、遠くへ投げる。


「俺はこれから、何がしたいんだろうって」


 小石は月に向かって飛んでいくけど、途中で大地に吸われていった。


「わたしね……今、すごく楽しいんだ」


 マリナが穏やかな笑みを浮かべて月を見上げた。


「世界は可能性に満ちてて、知らないことであふれてる。……知っていくたびに世界が広がってる気がする。知らないことも広がっていく。この知らないことを全部知れたら、どんなにすごいことだろうって」


 こつん、とマリナが俺の肩に頭を預けた。

 ふわりと彼女の花の匂いが漂った。


「でもね。……きっとこの世界のどこを探しても、ウィリアム以上に可能性に満ちてる人はいないって思うんだ」

「マリナ……」

「わたしたちが世界を知らないみたいに、世界もまだわたしたちを知らない」


 この広い空のように大きな世界で、星々のようにたくさんの人がいるこの世界で。


「わたしたちですら知らないわたしたちがきっといる……ウィリアムが今知ってる以上の可能性がこの世界にはきっとある。……世界は、わたしたちの中にある」


 どれだけ自分の中に理想の世界を描けるのか、どれだけこの世界に自分の世界を映し出せるのか。


「世界は俺の中にある……」


 ――答えを見つけた気がした。


「ありがとう、マリナ。本当にありがとう」


「……ウィリアム」


 見つめてくる彼女の肩を抱き寄せて、


「君を見つけて、俺は幸せになれた。愛しているよ」


 彼女の額にキスをした。


「……っ。もう……」


 マリナは触れた部分を抑えてそっぽを向いた。

 背中を向けてしまった彼女の顔はよく見えないけど、その小さな肩は震えていた。

 ……さすがにくさすぎたか。

 そのまま彼女がこちらを向くことはなかった。

 月明かりに照らされた彼女の耳は、瞳に負けないほどに赤かった。



 ◆



 夜が明けて太陽が山の向こうから顔を出す。

 まだ反対の空は暗い時間帯だ。

 そんな時間に、俺は再び壊れかけた城の最上階へと訪れていた。


「答えはでたかしら?」


 そこには大きな飛竜にもたれかかり、昇る太陽を背にした魔女がいた。

 彼女は俺を見ると立ち上がり、エフィメラをひと撫でした。

 エフィメラはひと鳴きして、大空へと飛びたっていく。


「朝早いじゃないか」

「あたし、普段はいつも日が昇る時間に起きて、沈む時間には寝ちゃうのよね」

「健康優良児め」


 確かに、旅立ちと夜明けはよく似合う。

 ウィルベルは胸に左手を当て、右手を俺に向けて。


「聞かせてもらいましょう。ウィリアム・アーサー。人々の想いを紡ぐ、優しき母なる大地の勇者」


 彼女の問いに、俺は左手を胸に当て。


「応えよう。ウィルベル・ソル・ファグラヴェール。人々を導く、強く気高き太陽の魔女よ」


 右手を伸ばして。


「俺は君と共に行く。この広い世界を見に行きたい」


 彼女の暖かな手を取った。


「もうこの国のことはいいの?」


 首を横に振る。


「じゃあ何をしに旅にでる?」

「俺に想いを託したすべての人たちの価値を、この世界に残したい」


 空を見上げれば、どこまでも広がる青い空。

 大地を見渡せば、どこまでも広がる地平線。


「世界は俺の中にある。世界を知って、世界を広げて、俺の夢の世界をこの世界に作りたい」

「それはまた、随分と大きな夢ねぇ。何年かかるかわかんないよ?」

「あいにくと俺は聖人なんだ。時間は余るほどある。俺が望む世界にはそんだけ時間がかかるんだ」

「へぇ、望む世界か。どんな世界が欲しいの?」


 繋いでいた彼女の手を引っ張り、真正面から彼女の目を見据えて。


「全員が夢を叶えられる世界を作る」


 ウィルベルは目をぱちぱちと瞬いた。


「……正気で言ってる?」

「大真面目さ」


 至近距離で見つめ合う。


「誰かに馬鹿だと笑われても、不可能だと言われても、そんなことはどうでもいい。俺は俺の夢のために、正々堂々世界と戦う。みんなの想いでこの国と戦ったときのように。今度は俺自身の想いで、この世界と戦う」


 断言する。

 これが今の俺の野望。

 世界を俺のものにする。

 ウィルベルはしばらく呆けていたけど、フッと笑った。


「あんたらしい馬鹿な夢ね。でもすごく優しい世界。夢見る人は嫌いじゃないわ」

「そりゃどうも」


 手を離し、一歩下がって距離を取る。

 ウィルベルは帽子を二、三度左右に回してずれを直して、不敵に笑った。


「でもそれは、一人で叶えられるほど小さな夢かしら?」

「ん?」


 ウィルベルが顔を俺の斜め後ろへ向けた。

 釣られるように振り返ると、そこには――


「あんたも行きたいんでしょ?」


 こくりと頷く黒髪赤目の少女がいた。


「ルナマリナ」

「わたしだって、世界を知りたい」


 彼女は俺の横に立って、胸を張ってまっすぐにウィルベルを見た。

 ウィルベルは頷き、俺と同じように手を伸ばす。


「では問いましょう。元は名もなきルナマリナ。命を癒す、愛しき慈悲なる月の聖女よ」


 ルナマリナの眠たげな瞳はいつになく真剣で、一歩ウィルベルへと進む。

 彼女の手を取って――


「わたしもまた世界を知りたい。……なにより、二人と一緒にいたい。わたしにとって二人は家族だから」

「ぅっ」


 言ったとたん、ウィルベルが目を見開き、呻きを漏らした。

 ちなみに俺も漏らしそうになった。


「どうしたの?」

「いや、家族って言われたのがびっくりで……」


 首をかしげるマリナにウィルベルは必死に取り繕った。

 今までかっこつけてたのに、ぼろが出そうになったのをなんとか堪える。

 少しだけ赤くなった顔で、咳ばらいをして。


「家族っていうのは少し恥ずかしいけど、一緒に旅に出るのなら、あながち間違いでもないもんね。それじゃあこれからもよろしくね」

「こちらこそ」

「たのしみだね」


 三人一緒に夜明けの空を、変わっていく世界を見上げた。

 世界は可能性に満ちている。

 俺達はたくさんの可能性を秘めている。


「さあ行きましょうか! まだあたしたちを知らないこの世界へ!」




 ◆




「そんなわけで、俺達は一緒に旅することになったわけだ」


 ぱたりと日記を閉じる。

 話を聞いていたウィルベル、ルナマリナの二人はうんうんと頷いていた。


「懐かしいわね。あの頃はあたしも若かったわ」

「ベルは今でも若いでしょ? ……わたしもあの頃は今よりも何も知らなかったから」

「ま、みんな成長したってことで」


 長いこと話していたから、もう日は随分と傾いて空は茜色に染まっている。

 西の空には太陽が、東の空には月がある。


「うーん! お腹が空いたわ! そろそろ休んでご飯にしましょうよ」


 ウィルベルが固まった体を伸ばしながら笑って言った。


「そうだね……わたしはウィルのパンとベルのシチューが食べたい」


 マリナが足を崩して穏やかに微笑みながら言った。


「じゃあ降りて野営の準備しようか。国まではまだまだかかる」


 俺も笑って、空飛ぶ絨毯を地上めがけて降ろしていく。


 ――あのときから、俺達三人はずっと広い世界を旅してきた。


 でもまだ、わからないことや知らないことばっかりだ。

 俺達が世界を知らないように、この世界もまだ俺達を知らない。

 俺達三人を知らないこの世界で、三人がここぞと暴れ出し、その存在を知らしめるのはまた別のお話だ。





 ――これは旅立つ三人の出会いの物語。



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