第60話 あたしの価値を
王城はひどく荒れ果てていて、いまにも崩れてしまいそうなほどに倒壊しかけていた。
王と戦う前はまだ健在だった俺の部屋も、今は瓦礫で埋もれてしまい、地下の牢屋も鉄格子が歪み、開かなくなっていた。
最初に王がいた階層は文字通り吹き飛んだし、その一つ下の階も壁や天井が取り払われて、まるで広大な舞台のように青空が拝めるようになっていた。
足場は凸凹で、あちこちに焼け焦げた跡もある。
ここは今のこの国で一番高い場所。
遠い遠い、下層をはるか超えた先まで見渡せた。
あんな戦いがあった戦場もここから見れば豆粒みたいだった。
「……世界は広いんだな」
俺達は必死に生きて来たけど、すごく小さな世界で生きてたんだと痛感させられた。
「みんなもそう思うだろ?」
広大な景色を拝める場所に二つの骨壺と短剣、そして竜の仮面を置いた。
「ほんとうはさ、やっぱり、みんなでこの景色を見たかったんだよ」
みんなの遺品の奥に、少し大きな石を置いて、ナイフで傷を入れていく。
「ほんとうはさ、もっと泣きじゃくりたかったんだよ」
みんなの名前を刻むその手が震えた。
手元が、にじんで見えなくなった。
「託してくれたのは嬉しい。でもやっぱり、みんなで分かち合いたかった。生きてるみんなと笑いたかった」
こらえきれなくて、地面にいくつものシミができる。
空を見上げて、
「もっと、みんなの名前を呼びたかったよ! もっと、みんなに名前を呼んでほしかったよ!」
泣き叫んだ。
何十回でも何百回でも何千回でも、みんなと笑って、名前を呼び合いたい。
もう一度、みんなに会いたい。
復讐してもこの国を変えても、みんなにはもう二度と会えない。
「う、うぅぅ……ぅ」
どんなに泣いても、次から次へと涙がでてくる。
『ウィリアム』
「……え?」
声が聞こえた。
顔を上げる。
そこには、
『泣き虫だな、ウィリアム』
『泣いてんじゃねぇって! 顔を挙げろよ!』
『胸を張りなさい! 他の人にはできない凄いことをやったんだから!』
先生とオスカーとソフィアがいた。
みんな優しく笑って僕を見ていた。
「――ぅ……みんな、ずっと、僕はずっと――……寂しくてっ」
『ああ』
「みんなに、会いたくて……辛くて……」
『知ってるよ』
「みんなに生きて欲しくてッ!」
『ええ、私も』
息が、できないっ。
みんながそばにいてくれて、抱きしめてくれた。
みんながそこにいる。
これは幻覚じゃない。
確かにそこにみんながいる。
『痛みに強いのに、心は泣き虫なのね』
『でもウィリアムらしくていいじゃねぇか! 不器用だけど優しい奴だ!』
『俺たちはずっとお前と一緒にいるぞ』
心がじんとあったまる。
鼻の奥にまた熱がこもる。
「……あのとき、やっぱりみんなと一緒に行けばよかったかな」
竜の炎に呑まれかけたあのとき、確かにみんなの声を聞いた。
あのときは、一緒にはいけないと言ったけど、やっぱりこうすると一緒にいたいと思ってしまう。
『何言ってんの、せっかく生きてるんだから』
『そうだぞ、想いを背負ってくれるんだろうが』
かつての三人で出かけた日のように、笑ってくれる二人。
『もう俺たちを気にする必要はないんだ。今度はお前の好きに生きる番だ。――お前はまだ生まれたばかりなんだから』
先生がいつにない優しい笑顔で、肩に手を置いた。
『俺たちはこの狭い国で生きるしかなかった』
『でもあなたは今、この国の外に、この広い世界で生きてるの』
『連れて行ってくれよ。俺たちの想いも一緒にさ』
それだけ言って、三人はふわりと溶けるように消えていった。
消えていく彼らに手を伸ばす。
俺の手が伸ばした先に彼らはもういない。
代わりに――
「こんなとこにいたのね」
伸ばした先に太陽がいた。
◆
「ふーん、お墓かぁ。やっぱりここはいい景色だもんね」
ウィルベルは俺が作った三つの墓を見て、膝をついて手を合わせ、しばらく黙って祈ってくれた。
その間に、俺は目元を拭った。
彼女はいつからいたんだろう。
……ほんとに、俺は情けないな。
「お前はなんでここに?」
「もうこの国でやることもほとんどなくなってきたからさ。最後ってことで、いろんなところをまわってるのよ」
彼女は立ちあがって、膝を払う。
……そうだったな、彼女は旅人だ。
風のように現れて、風のように去っていく。
彼女とも、もう二度と会えないんだ。
またジワリと鼻の奥が熱くなる。
いけない、これはいけない。
彼女はみんなとは違う、もともと旅人だ。
一つの場所にとどめるなんてしちゃいけないんだ。
「そういえばさ、あんたあの部屋で全部終わったら言いたいことがあるって言ってたよね」
「そういえば、そんなこと言ったっけな」
あの部屋で、ソフィアとウィルベルを重ねてしまった。
二人は全然違う。
趣味も考え方も生き方も何もかも。
だから、彼女に伝えるべきことは一つだけだ。
「ありがとう、ウィルベル」
「え?」
俺は立ち上がり、ウィルベルを抱きしめた。
「君のおかげで俺は約束を果たせた。前を向くことができた。この国を変えることができた」
彼女への感謝の言葉は伝えればきりがない。
だから、この一言に精一杯の気持ちを込めて。
「君のおかげで、俺たちの世界を変えれたよ。本当にありがとう」
彼女が俺を導いてくれた。
彼女の大魔法のおかげで、この国に夜明けがやってきたのだ。
「ちょっと……離してよ」
「あ、悪い」
ウィルベルがか細い声で言った。
急に抱き着いたのはさすがに悪かったか。
でももしかしたらこれが最後になるかもしれないから、感謝を伝えたかった。
ウィルベルから離れると、彼女は下を向いてすぐに背中を向けてしまった。
機嫌を損ねてしまったか……。
「そういえば、お前も何か言いたいことがあるっていってなかったっけ?」
「え、そ、そんなこといったっけね?」
いつになく挙動不審なウィルベル。
彼女は少しだけ前を向いたままでいたけど、やがて振り返り――
「ウィリアム、あたしと一緒に旅に出ない?」
「……え?」
何を言われたのか、わからなかった。
「なんで?」
「あたしね、旅に出て最初に来たのがこの国なんだけどさ。この国が特殊なだけで普通は魔法使いなんて全然いないのよ。魔法は強力だから隠して生きなきゃいけないんだけど、それじゃ窮屈でしょ?」
すごく楽しそうに笑うウィルベル。
「だから、魔法に理解のある道連れが欲しいなって思ってたの。ほら、よく言うでしょ? 旅は道連れ世は情けって」
外の世界のことなんて、考えたこともなかった。
外の世界には、一体何があるんだろう。
この国とは全然違うのかな。
もしかしたら、この国と同じようにひどいことが起きているのかもしれない。
怖くないのだろうか。
「なあ、ウィルベル」
「なーに?」
「どうしてお前は旅に出たんだ?」
知りたい。
彼女には何が見えているのか。
「あたしはね、旅に出る前からずっと知りたいことがあるの」
「しりたいこと?」
「そう。あたしの人生を賭けて挑む大事で難しい謎」
彼女は振り返って俺に背を向ける。
「あたしはあたしの価値を知りたいの」
彼女は晴れ渡った空を見上げた。
「あたしという存在は、いつまで名前を残せるんだろう、どこまで名前を広められるんだろう。どんなにすごいことができるのか、どんなにいいことができるのか。あたしはどこまで自分を高められて、どこまでそれを活かせるのか」
太陽へ手を伸ばす。
「この手はどこまでも伸びるはず。この足はどこまでもいけるはず。あたしはそれを確かめたくて旅に出たの。この手と足が動く限り、この命が尽きない限り。あたしは自分の価値をこの世界に証明したい」
太陽の光を一身に浴びる彼女は、やっぱり世界で一番美しかった。
「旅、か……」
悪くないかもしれない。
でもこの国を置いて行ってもいいのだろうか。
「答えは今じゃなくてもいいよ。あたしはもう少しだけこの国を見て回るつもり。旅立つときに、またここにくるから」
「……ああ」
彼女はほうきに乗って、大空へと飛び出していった。
俺はその姿が見えなくなるまで、ずっと見つめ続けていた。
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