第8話 有里奈の恋

「今日はありがとうございました。」


「こちらこそ、良い物件を紹介していただいてありがとうございます。」


 今日は春彦さんとデートだった。昼にレストランで食事をして、その時会話の流れで引っ越そうとしている事を話したらそのまま部屋探しをする流れとなったのだ。


 ……。

 

 航からファンミーティングの招待状が届いた事やそこから住所が知られていて今後より面倒な毎になるリスクを避けたいといった事情は話さずに単に「気分を変えたいから」という理由を伝えて、ではあるが。


 春彦さんも白雪家分家の人なので私が隠し事をしている事は分かっただろうが、それでもあえて深入りせずに真剣に話を聞いてくれるのは嬉しかった。


 その中で、しばらく物件を探してみたけれど中々今以上の条件の物件が見つからないとこぼしたら馴染みの不動産に当たってみようと提案してくれたのだ。お金持ちの人にとっての馴染みの不動産屋って何!? と構えてしまったが、紹介されたのはごく普通の不動産屋であった。


 ただ、春彦さんがお願いすると一般人にはおいそれと紹介されない物件を出してくれる。お金持ちのご子息ご息女が一人暮らしをしたいといった要望をあげた時にしっかりとした物件を紹介するためのキープしているのだそうだ。勿論そういった方々がお相手なので家賃も相応に高いが。


 具体的には今住んでる1Kのアパートの5倍くらいの家賃となる。でも回復術指南で頂いた報酬と、現時点で打診されている次のお仕事で提示されている額を考えれば払えなくはないんだよなあ。


 学生の内にこういうところに住む経験も有りな気はしているけれど、ここに3年住んだら地元の田舎なら家が建つ額になるなとか考えちゃうのは私が庶民だからよね。


 でも条件は素晴らしい。セキュリティの高さは理想的だし、こういうところは隣人ガチャを外さないっていうのも大きい。


「家具も備え付けなんですね。」


「そうですね、部屋の雰囲気も含めてのご提案という形になります。もちろん持ち込みも可能ですが、こういった物件に住まわれる方だと一般的な感覚とは少しかけ離れている事が多く高価な家具を大量に調達しがちなんです。なのでまずは一度住んでみて頂いて、足りないものを追加するというやり方をお勧めするんです。」


 なるほどね。引越しの荷物が少ないのは魅力的だなあ。


「これから内覧出来ますか?」


「勿論です!」


 そのまま不動産屋さんと春彦さんと、3人で物件に向かう。実際に見た物件は想像以上だった。


 まず敷地に入る段階でセキュリティゲートがあり、その先に監視カメラで24時間管理人がチェックするエントランスがある。そこから中に入ると2階建ての建物が2棟、それぞれに2つずつ入り口がある。


「こちらはメゾネットタイプの物件となっておりまして、本日ご案内するのはこちらのお部屋になります。」


 手前の棟の片方の扉を開ける不動産屋さん。中に入ると1階は玄関とシアタールームと称された部屋が1つ、さらに広めのお風呂があった。2階には寝室とLDKという構造だ。ベッドや化粧台などの家具、テレビに冷蔵庫やドラム式洗濯機などの家電も備え付けだ。


「このまま今日にでも引っ越してこれそうですね。」


「そうですね、ご契約当日から入居可能というのも売りでございますので。」


「物件は文句無いな……ゴミ出しとか宅配の受け取りはどうなります?」


 その後いくつかルールを確認する。


「如何でしょう?」


「えっと、物件の周辺の様子だけ見させてもらえますかね。」


 地図アプリでスーパーが有るのは確認してあるが、街の雰囲気などはやはり歩いてみないと分からない。周りを少し散策し、駅までの動線も確認したら部屋に戻る。


「この部屋に決めさせて頂けますか?」


「かしこまりました。こちらは下雪様のご紹介というかたちで宜しいでしょうか?」


「はい、紹介者には僕の名前を書いて頂いて構いません。」


 なんと、ここはキチンとした人間の紹介が無いと入居が出来ないとのことだ。もしも私がこの部屋で問題を起こした場合などは春彦さんにも報告が行くし、悪質な場合は春彦さんに賠償請求が行く事もあるらしい。その場でタブレットに色々と入力して、本日付で契約となった。そのまま管理人室に案内され、管理人から鍵を預かる。これも特殊なキーでコピー不可、無くした場合は速やかに報告する様にとの事だった。


「それでは私はここで。本日はありがとうございました。」


 去っていく不動産屋さん。私と春彦さんは部屋に残される。


「春彦さん、ご紹介ありがとうございました。……ご迷惑おかけしない様に気を付けて住みますね。」


「有里奈さんの役に立てて良かったです。それでは僕は帰りますね。」


「あ、時間があるなら上がってお茶でも飲んで行ってくれませんか?」


「初デートで、女性の部屋に上がってもいいんでしょうか……。」


「上がるも何も、さっき一緒に見学したじゃないですか。私の生活感はまだゼロですよ。」


「それもそうだ。」


 ふふふと笑い合う。


「食器はあったけど食べ物は無かったので、お茶の葉とお菓子はさっき歩いた時にあったスーパーで買わないと。良かったら一緒に行きませんか?」


「喜んで。」


 一緒にスーパーで買い物をして、部屋に戻る。備え付けのティーセットで手早くお茶を淹れてお出しすると春彦さんはその手際を褒めてくれる。


「有里奈さんの知らない一面が見られて良かったです。」


「お茶を淹れただけですよ。」


「でも手際がいいですね。料理もよくなさるんですよね。」


「はい。作るのも好きだし、振る舞うのも好きです。かのんも良く褒めてくれるんですよ。」


「かのんさんが、ですか。それは羨ましいですね。」


「じゃあ本日のお礼って事でご馳走するので、今度食べに来て下さい。今日は時間も材料も無いので無理ですけど。」


「いいんですか? 社交辞令じゃなく受け取っちゃいますよ。」


「はい、是非に。社交辞令で男の人を家には招かないので安心して下さい。」


「ありがとうございます! 楽しみにしてますね。」


 ……。


 その後は春彦さんが呼んでくれた迎えの車に乗り、住んでいるアパートの近くまで送って貰って別れた次第だ。


 去っていく車を見送りながら、出来れば今日このままもう一度交際を申し込んで欲しかったと思っている自分に気付く。そうか……回復術指南での真剣な様子を見てきて、また今日のデートでの気遣いや会話を通して……私は彼に惹かれてるんだと、自分が恋に落ちた事を自覚する。


「そうと分かったらさっさと行動しないと。」


 とりあえず胃袋を掴むところからかな。どんな料理を振る舞おうかしら、ワクワクしながら部屋に戻った。ああ、引っ越しの準備も進めないと。


------------------------------


 7月。気が付けば異世界から帰ってきてもうすぐで1年か……。あっという間だったなあと感慨に耽る。


 有里奈も最近は忙しいらしくてしばらく会えてない。久しぶりにメッセージが来たのだが、どうも最近引っ越したらしい。なんでも航からライブだがファンミだかのチケットが送られて来るようになり、住所まで知られているのが気味悪いと思いセキュリティのしっかりした物件に移ったとの事。


「だから前の家に行ってももう居ないよって。冬香にも連絡来てる?」


「ええ。新しい住所もね。すごい物件に引っ越してて……有里奈さん思い切ったわね。」


「そうなの? ちょっと見てみよう。ポチッとな。」


 有里奈から送られてきていた新しい住所を地図アプリで検索する。ストリートビューで外観を拝見……。


「うわ、なんか芸能人が住みそうなお家!」


「ね。」


「でもこういうところならセキュリティしっかりしてるから安心だね。なんか未だに航からアプローチあるって言ってたし。」


「住所まで知られているとか恐怖しかないものね。その点、かのんの元夫さんは理解がある人で助かったわ。」


 そのまま地図アプリ上で自分の位置を変えて色んな角度から外観を眺める。うーん、塀が高くてよく分からないな。


「ねえ冬香。」


「いいんじゃない?」


「まだ何も言ってないのに心を読まれた! じゃあ有里奈にメッセージ送るね。「素敵なお家だね! 今度引越し祝いにお邪魔してもいい?」っと。」


「やっぱり思った通りのこと考えてた。」


 すぐに返信がくる。


「いいよだって! 冬香も一緒においでって。」


「引越し祝いは何を持っていきましょうか。」


「有里奈は料理が趣味だから高い調味料とか料理酒とかが喜ばれるんじゃ無いかな?」


「それ、完全に有里奈さんに美味しいもの作らせるつもりじゃ無い。」


 冬香は笑って答える。


「冬香は有里奈の料理を食べたことないんだよね? 本当に美味しいんだから! あれは才能だね。」


「そこまで言われると気になっちゃうわね。……さすがに調味料だと露骨すぎるから、良いお酒にしましょうか。」


「お、良いね! たくさん入ってるのにしよう。」


「お前が呑むつもりじゃねーか。」


「バレたか。」



 それから数日後、予定を合わせた私達は有里奈の新居にお邪魔する。


「ここのインターフォンでいいのかな? 102号室、呼び出しっと……。こんにちはー、きたよー。」


― はーい、いま開けるね。


 インターフォンから有里奈の声がしてエントランスのゲートが開く。空間を贅沢に使ったアプローチを通り部屋に向かう。部屋ってか、家だなこれは。玄関前に着くと丁度有里奈が出迎えてくれた。


「今日はお招きありがとう。これ、私と冬香からの引っ越し祝い。」


「有里奈さんのお口に合うかわかりませんが。」


「あら、ありがとう。じゃあ上がって。」


 エプロン姿が眩しいぜ。


 広い玄関を抜けてそのまま階段を登ると2階はLDKだ。既に食卓にはおいしそうなオカズ達が私に食べて下さいと言わんばかりに並んでいる。


「かのんがわざわざ私の料理を食べたいって言ってきたから張り切っちゃった。」


 ちょっと恥ずかしそうにする有里奈。


「すごい本格的! 量も多いしこんなにガッツリ作るのってあっちでの最後の晩餐以来じゃない?」


「間違ってないけど、その言い方はちょっとどうかと思うわ。」


「最後の晩餐ってどう言うことですか?」


「えっと、異世界で私達が順番に不治の病に倒れたって話はしたよね。あれってなんとなく「あっ、今日が最後の日だな」って分かるんだよ。

 有里奈の場合は私とエリー……娘と3人で暮らしてたから、最後にみんなで盛大に有里奈を見送ろうって感じでものすごくたくさんご飯を作ったんだよね。」


「そんな感じね。私の感覚ではあれからまだ1年だからそこまで久しぶり! って感じはしないんだけどね。」


「私はプラス5年だからね。6年ぶりのご馳走だよ。」


「ふふ、期待に沿えるといいんだけど。2人とも座って。」


 有里奈に促されて着席する。この椅子もテーブルもセンスいいなあ。


「いただきまーす!」


「頂きます。……おいしいですっ!」


「冬香ちゃんの舌にも合って良かったわ。かのんが下手にハードル上げてるせいでプレッシャーだったんだから。」


「上げたハードルを軽々超えてくるあたり、さすがなんだよなあ。」


 楽しく会話をしながら有里奈の料理を楽しむ。お酒も開けて飲んでいるが、一口飲むごとに冬香が『解毒』を掛けてくる。


「そんなにしっかり解毒しなくても、私は酔っ払ってないよ……?」


「ダメ。あなたすぐ酔ってそのまま寝ちゃうでしょ。帰れなくなるわよ。」


「別に泊まっていっていいわよ。ベッドもワイドキングサイズだから3人でも寝られるし。」


「ほら、有里奈もこう言ってる!」


「ダメ。……有里奈さん、引越しで家具も全部新しくしたんですか?」


「それが、この家は家具も家電も全部備え付けなの。だから私は服と本ぐらいしか大荷物は無かったわ。むしろ前の家を出る時に粗大ゴミの処分に困ったくらい。」


「へー、すごいね! そこの大きいテレビも備え付けってこと?」


「ええ。リビング用のは60インチですって。あと1階のシアタールームに120インチのスクリーンとプロジェクターが付いてたわ。」


「そんな大きい画面で何みるの?」


「……私、テレビってあんまり見ないのよね。」


 勿体無い、けど分かる。


「あ、でもこの間一度映画を見たわ。」


「誰と?」


「……。」


 間髪入れずに質問したら有里奈が固まってしまった。


「……有里奈さん?」


「……。」


「かのん、有里奈さんが固まっちゃった。」


 有里奈の珍しい様子に困惑する冬香。


「いやあ、有里奈ってわざわざシアタールームで映画を見るタイプじゃ無いかなって思って聞いたんだけど。」


「はぁ、かのんってたまに鋭くて困るわ。はいはい、白状しますよ。春彦さんと一緒に観ました。」


「春彦さんですか!? あの、下雪の!?」


 驚く冬香。


「えっと、この部屋って春彦さんの知り合いの不動産屋さんに紹介してもらったのよ。そもそもそういうコネが無いと借りられない部屋みたいで。」


「お金持ち専用の賃貸って感じ?」


「そう。それこそ冬香ちゃんみたいなお嬢様が一人暮らしする時に下手なアパートやマンションには住めないでしょ? そういう人のための物件って事で、セキュリティも高いのよ。」


 有里奈は航に住所を知られたから引っ越したと言う事で、セキュリティがしっかりしているこの部屋は都合が良かったんだろう。


「それで、紹介してくれた上に部屋探しに1日付き合ってくれたお礼って事でこの部屋にご招待して料理をご馳走したの。」


「え、急展開!」


「で、ご飯を食べてお酒を飲みつつお話して……、映画でも観ます? ってなったって流れ。」


「なるほどね。」


「えっと、有里奈さん。聞いてもいいですか?」


「答えられる事なら。」


「有里奈さんって春彦さんと付き合ってるんですか?」


「……映画を観たあと、付き合うことになったわ。」


「なんと!」


「おめでとうございます!」


「うん、まあ、ありがとう。」


 思わず拍手をする私も冬香。照れて笑う有里奈。


「さてさて冬香さんや。こうなると馴れ初めというかどんな感じでくっついたのかって気になるところじゃないですかね?」


「えっ、そういうのは個人の胸に秘めておくべきじゃないの……? でも、気になります。」


 チラチラと有里奈を窺う私達。


「別に話しても良いけど、あなたたちが付き合う事になった経緯も話して貰うわよ?」


「構わんよ。」


「構わなくないっ! じゃあ私は聞かなくて大丈夫です! かのんも、私達の事なんだから軽々しく話さないでっ!」


 真っ赤になって拒否する冬香。


「……冬香がこう言ってるし、NGでおなしゃす。」


「うーん、残念。ついに2人の馴れ初めを聞けるかと思ったのに。じゃあ私の方も内緒ね。」


 いたずらっぽく笑う有里奈。その後は最近何してただの話したり、実際にシアタールームを見せてもらったりと楽しく時間を過ごした。


 ……。

 

 私は有里奈と春彦さんが付き合う事になって良かったと思う。この子は異世界に居た頃から私の事ばっかり優先していて。

 

 有里奈は気が効くし美人だし巨乳だし、航が居なくなってもその気になれば異世界でいくらでも良い人に巡り合えたと思う。それでもあっちで有里奈が結婚出来なかったのは、私が無理矢理引き留めてエリーの母親役をやって貰ったからじゃないかなって思ってる。

 

 当時は航が死んで憔悴する有里奈を1人にしたくなくてそれがいいと思っていたけど、エリーを溺愛する有里奈を見てこの子は本当に子供が好きなんだなと思った。そして、そんな有里奈から自分の子供を抱く機会を奪ってしまったような気がしていた。……一度本人にそれを謝ったら自分の意思で決めたんだからかのんが気にする事はないって笑い飛ばされたけど。

 

 だから私は日本では有里奈に自分の幸せを掴んで欲しいんだ。私だけが幸せになってもダメ。一緒に……それぞれの幸せを見つけられたらいいなって。


 このまま春彦さんと結婚する事になっても例えそうならなかったとしても。航やエリー、そして私との過去に縛られずに新しい恋に踏み出してくれた事がとっても嬉しかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る