第15話 逃走
桜井君と少女が交差した瞬間、周囲の魔力が霧散したのを感じた。何らかの理由で結界が解除されたと判断した私は彼を殺すべく溜めていた魔力を咄嗟に身体強化に回し、痛む体に鞭をうって全力でその場から離れる。
「あら、逃げちゃうの?」
慌てた様子もなく呟く少女。彼女が敵か味方かは分からないが、確かなのは「今の私が彼女と戦ったら例え体調が万全でも確実に負ける」ということ、そして彼女の殺気は間違いなく私にも向けられていたということだ。
「てめぇ! 何のつもりだ!?」
私と対照的に、両腕を切り落とされた桜井君は少女に襲い掛かる。
「……腕を落としても止まらないんじゃ生捕りは無理そうやね。」
そういって少女の一閃は桜井君の頭を胴体から切り離した。そんな光景を目の端で捉えつつ、私は全力で公園から逃げ出した。無事に結界は解除されていたようだ。
脇目も振らず通りを駆け抜ける。『気配察知』の範囲を限界以上に広げて公園の様子を確認すると、先程の少女が公園から離れていないことに気付く。……追ってこない? 安心して一息吐こうかと思った時、違和感に気付く。100メートルほど先。こっちに近づいてくる不自然に「何も無い」気配。
「隠密で追われてる……。さっきの女の子とは別か!?」
路地裏に飛び込む。そのままジグザグに、不規則に進路を変えてその「何も無い気配」から離れるように進む。
「……真っ直ぐ付いてくる!」
100メートル先の目視できない距離から真っ直ぐ私に迫ってくるということは、足跡を追跡しているのではく何の目印があってそれを追ってきているという事。発信器を付けられていたらお手上げだけど流石にそれを見落とすほどマヌケではないと思いたい。
「となると私の魔力を感知して追いかけて来てるのかな。」
魔力を練るのを辞めて逃げるか? でもそうすると今発動している『身体強化』『気配察知』『痛覚軽減』『認識阻害』を止める事になる。認識阻害は周辺の人が私の存在を気にしなくなる術で、これを止めた瞬間通行人に重傷の女子高生がすごい速度で走ってる! と通報されてしまう。魔力を止めるのは一旦却下、別の方法で撒かないと。
「なんかいいもの無いかな……、む! ついてる。」
私は河川敷にかけこむと都合よく落ちていたボロボロのクマのぬいぐるみに『魔導人形』の術をかける。これは人形に魔力を掛けて操る術で、対象に魔力を練り込むことで自在に動かすことができる。たっぷり魔力を練り込み、さらにクマにも『認識阻害』をかける。
「さあ、行ってこい!」
私と逆方向にクマを走らせ、私自身はできる限り魔力を抑える。さぁ、どうする追跡者!?
しばらく気配察知で追跡者の様子を伺う。少し迷ったようだがクマに狙いを定めたようだ。よし! あとはクマが追いつかれる前に出来るだけ距離をとりつつ誰もこない場所に身を隠さないと。
悩んだ末に私が逃げ場に選んだのは私たちが通う高校だった。もう暗くなっており部活をしている人もまばらである。私は非常階段に飛び込むとそのまま屋上へ向かう。普段施錠されている校舎の屋上は基本的に誰も居ない。非常階段から屋上に直結しているフェンスには南京錠がかかっていた。私は最後の力でそれを引きちぎると屋上に倒れ込む。
これ以上の逃走は無理なのであとは見つからないことを祈ってやり過ごすしかないが、祈る前にやるべきことをやらないと。
「さて、どうなった……?」
改めて気配を探るとクマのぬいぐるみは数キロ先にいた。そのクマを中心に気配察知の範囲を拡げると追跡者はあと20メートル程度の場所に迫っていた。見知らぬクマ、よく逃げた。出来れば助けを呼ぶまで逃げ切って欲しかったけど、このまま追い付かれたら魔力の流れを辿られここが見つかるかも知れない。ぼちぼち魔力も枯渇しそうだし、潮時か。
「何か布は……ハンカチはカバンの中だし、ポケットにも何も無いか。仕方ない。」
汚いけれど背に腹は変えられない。私は足を使って靴下を脱ぐと丸めて口に咥える。
「耐えろ、耐えろよ私。3、2、1、魔力オフ。」
追跡を完全に振り切るために魔力を止める。これで魔力の流れを追って私に辿り着く事は不可能なはずだ。追跡者は今ごろ術の解けたクマを前に悔しい思いをしているはず。
そして魔力を止めたということは、いままで『身体強化』と『痛覚軽減』で抑えていた痛みが丸ごと襲ってくるということを意味する。
「…………ッッッ!!!!」
あまりの痛みに屋上から飛び降りたくなる衝動を、舌を噛み切りたくなる衝動を、靴下を噛んで必死に堪える。
砕けた右腕が。筋の切れた左腕が。殴られたお腹が。叩きつけられた背中が。動かし続けた脚が。何より逃走するために無理な術の併用と乱発を続け酷使した脳が。痛みという悲鳴をあげて襲いかかってくる。血反吐とゲロを口の隙間から垂れ流しつつ、それでも靴下を噛みしめて声を抑える。今叫んだら誰かが屋上に来てしまう。
痛さだけでいうならこれは異世界でも経験のないレベルだ。あちらでは重傷を負ってもアドレナリンが切れないうちに治療してもらえる事が殆どで、これだけの怪我で放置される事はまずなかったからだ。
どれくらい痛みに耐えたのか。1時間か、1分か、実は10秒しか経っていないのかもしれない。ほんの少しだけまともに思考出来るようになった頭でポケットからスマホを取り出す。これが壊れていたらジ・エンドだ。激痛の走る左手でタップすると無事に画面が点灯した。どうやら運は私を見放さなかったらしい。震える指で慎重にタップをし、電話をかける。
プルルル…… プルルル……
「かのん? 電話なんて珍しいじゃん、どうしたの?」
「ありな…たすけて…。」
「へ!? どうした!? 今どこ!?」
「がっこ…おくじょ…。」
そこまで告げたところで私は意識を手放した。
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刀を持った少女は電話を終えるとスマホをポケットに入れる。しばらくすると黒服の男達がやってきて桜井の死体を回収していった。
「ご苦労さん、それじゃあ公園の入場規制も解除したってな。」
後始末が済んだところにもう1人、別の少女が現れた。
「雫、おかえり。だいぶ時間かかったな? 無事に捕まえたん?」
雫と呼ばれた少女はボロボロのクマのぬいぐるみを足元に投げてきた。
「なにこれ? こんなお人形さん遊びする趣味あったっけ?」
「いつの間にかコイツを追いかけていた。」
「どういうこと?」
「途中までは確かに本人を追いかけていたはず。途中で明らかにこっちを撒こうとする動きを始めて、多分その時にコイツと入れ替わった。」
「この子を身代わりにして追跡させたって事? 雫の追跡を振り切るなんて相当やるやん。」
「あと一歩で追いつくってタイミングで術を完全に解除された。そうなるともう念力の追跡は出来ない。」
そういって悔しそうにするとクマを持ち上げる。かと思えば一瞬後にはズタズタに引き裂かれたクマのぬいぐるみがそこにあった。
「こんな屈辱は初めて。絶対に許さない。渚、あいつは私が殺すから。」
「まだかのんちゃんが悪い子って決まったわけやないよ?」
「……なんで渚があいつの名前を知ってるの?」
渚と呼ばれた少女はこれこれと言って鞄を持ち上げた。
「さっきの男の子と争ってたところに落ちててん。あの子のかなーって思って中調べさせてもろたんよ。そしたらほら。」
そういって掲げたのは生徒手帳だった。
「写真も貼ってあってたからあの子で間違いないよ。廿日市かのんちゃんやって、かわいい子やね〜。」
「廿日市かのん、ね。わかった。殺すまでは覚えておくわ。」
「だから悪い子って決まったわけやないってー。」
「渚を見て逃げた時点でやましい事があるんでしょ。」
「でもな、よう考えてみ? あの状況から逃げが最善手と即決して飛び出したんやで。普通様子見ようとか話しようとか思うやん。まずその判断力に星一つやね。」
「臆病なだけじゃない?」
「かもね。でも結果出してるやん。この場に残るより逃げた方がいいと判断して、現に雫から逃げ切ったわけやん。的確な判断力とそれを成し遂げる実力を持ち合わせている。これで星二つ目ね。」
「……あと一つは?」
「多分なんだけどね、あの子さっき私が殺した男の子よりずっと強いと思うんよ。」
「はぁ? ズタボロになって殺され掛けてたじゃん?」
「でも男の子はちょっと体が強いだけの雑魚だったからね。あんなのに勝てないような子じゃあ雫からは逃げ切れないでしょ?」
「まあ、そうかもね。」
「あの子、男の子のことを殺さずに何とかしよ思ってたんとちゃうかな?」
「はぁ?」
「一方で男の子の方は殺す気で襲いかかってた……その気持ちと違いが戦況の差になった。でも私達が着いた時にはもうあと一歩で殺されかかってたやろ、だからギリギリまで殺さないようにしてたけどもうどうしようも無くなって殺す決意をした……とすると、私が感じた殺気の説明もつくんやけど、どうやろ?」
「ちょっと想像を重ねすぎじゃない?」
「せやからおまけして星半分ってところやね。殺す気がなかったなら猶予処分になるわけやし。」
「まだ星二つ半だけど。」
「あとはほら、かわいい女の子だからオマケして星3つって事で。」
「はぁ……、そういえば人払いをしていたのは結局どっちだったの?」
「状況からすれば男の子の方だと思うんやけど、そこも保留かな。」
「まあいいわ。それで廿日市かのんをどうやって探すの? 家に行く?」
「家は黒服さんに調べてもらうけど、帰ってるかな?」
「そりゃ帰るんじゃない?」
「ウチらに素性を知られてるんやで。あれだけ冷静な判断ができる子がノコノコ家に帰ったらおバカでしょ。どこかに潜伏するんじゃないかなぁ。」
「じゃあどうするのよ。」
「この生徒手帳の学校聞いたことある気がすると思ったんだけど、確かここに通ってる親戚いたよ。」
「誰? 上? 下?」
「コナちゃん。」
「ああ、あの落ちこぼれの粉雪ね…。」
「未来の大蔵省にそういうこと言うもんじゃないよ。来週集まった時に話聞いてみよ、意外とオトモダチで隠れそうな場所知ってるかも知れんし。」
そう言って渚は意地の悪い笑みを浮かべた。
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「はい、今日はここまでかな。」
「ありがとうございます、有里奈さん。」
「こちらこそ、毎日ひとつずつしか教えられなくてごめんねー。」
今日も私1人で有里奈さんの家に来ていた。初めて会ってから2週間あまり。ちょいちょい来ては有里奈さんから回復術を教えてもらっている。今までに『聖書』の他には『治癒』『身体強化』などの基本の術を教わってきた。今日は『結界術』という術を教わった。これは応用の幅が広いので今日は基本の結界、外からの侵入を単純に防ぐ術の使い方を教えてもらった。
「これを咄嗟に出せればバリヤーになるし、色んな効果も付与できるんだ。例えば防音結界にすれば音が外に漏れなくなったりね。」
「参考になります。」
「冬香ちゃん、本当にセンスいいよね。普通は一回共有しても覚えられたりしないのよ?」
「恐縮です。」
「そういえば今日の午前中でテストも終わったし、9日と11日ならバイト無いから時間あるよってかのんに送っといた。」
「私に9日と11日ならどっちが都合いいか、確認きてました。」
「ふふ、なんか秘密にしてるみたいでかのんに悪いね。」
「なんかスミマセン……1日でも早く、回復術をモノにしたくて。」
「うーん、なんで焦るのかはわかんないけど、後でかのんにちゃんと話して謝っとくんだよ? 恋人同士で隠し事ってのはしない方がいいの。もちろん本当に話したく無い事は別だけどね。それ以外の小さな嘘は極力つかないのが長く続く秘訣ね。」
「かのん相手だと嘘はつけなく無いですか? 『偽証看破』もあるし。」
「あ、知ってるんだ。でもかのんはあの術好きじゃ無いから基本的に使わないよ。」
「そうなんですか?」
「うん、「仲間を疑い出したら何も信じられないし、みんなにそう思ってほしく無い。だから私は絶対にみんなにこの術は使わないし、その上でみんなの事を全部信じるよ」って言われた。」
「なにそれ惚れそう。」
「まああの子メンヘラだし、信じるって言ってガッツリ依存してるだけな気がしないでも無い。」
「メンヘラ? かのんが?」
「……冬香ちゃんの前ではそんな感じじゃないの?」
「……はい。」
「そっか。じゃあもう元気になったのかも知れない。昔の話だから、忘れて?」
「……あの子、異世界にいた頃の自分の話ってしないんですよね。話してくれるのって皆さん4人の話というか、ざっくりしたあらすじみたいな感じというか。」
「……あの子にとっては30年だからね。冬香ちゃんも小学校の時の思い出を話すとき、具体的に誰が何したって話さないでしょ。修学旅行で京都に行きましたーみたいにざっくりした思い出話になるのは仕方ないんじゃない?」
「それは、そうかも知れません。」
「あとね、私達にとって異世界での出来事ってあまりいいモノではないの。もちろん楽しい記憶もある。でもそれ以上に圧倒的に辛い思い出が多いのよ。」
「…。」
「だからこそ、私びっくりしたの。かのんが冬香ちゃんに異世界に居たって打ち明けてることにね。私なんて誰にも言うつもりなかったもの。きっと将来結婚しても旦那にも言わないと思う。それくらいの事なのよ。」
「そうですか……。」
「だから、出来れば冬香ちゃんもあんまり聞かないであげてほしい。思い出すだけで辛い事が、本当に、多すぎたの……。」
話しながら徐々に辛そうになっていく有里奈さん。
「ごめんなさい! 私が無神経なこと言ったから。」
「ううん、冬香ちゃんは悪くない。ごめんね。……はい、湿っぽい空気おしまい!」
パンパンっと顔をはたく有里奈さん。
「それで、冬香ちゃんは9日と11日はどっちがいいってかのんに返したの?」
「どっちでも、かのんの都合のいい方でと返しました。」
「ふふ、そしたら9日って言ってくるんじゃないかな? ってあれ、かのんから電話だ。」
有里奈さんは電話にでる。
「かのん? 電話なんて珍しいじゃん、どうしたの? ……へ!? どうした!? 今どこ!? ……かのん!? かのん!?」
慌てた様子で電話に呼びかける有里奈さん。嫌な予感がする。
「かのん、どうしたんですか?」
「わからない。ただ、「助けて」って言われた。」
「ええ!?」
「学校の屋上って言ってた。」
「どこの!?」
「わかんない。それだけ言って応えなくなっちゃった。もう電話も切れた。」
「何があったんだろう……。」
「ちょっと待ってね、今整理するから。」
そう言って考え込む有里奈さん。
「……冬香ちゃんがメッセージを返したのっていつ?」
「えっ? ……15分くらい前です。」
「既読付いてる?」
「……付いてないです。」
「そっか……。わかった、冬香ちゃんたちの高校行こう。」
「え?」
「詳しくは向かいながら話す。一刻を争うよ、急ごう。」
そういうと有里奈さんは素早く財布とスマホを掴んで玄関に向かう。外に出ると駅の方に向かおうとする私を呼び止め、車の扉を開ける。
「乗って。」
私は言われるがままに助手席に乗り込んだ。
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