第3話

 昼食休憩が終わったばかりの社長室。そこで別所べっしょは、スマートフォンを手にしたまま机に突っ伏していた。というのも長年の友人である篠田しのだから痛いところを突かれてしまい、自己嫌悪に陥っているからだ。

 篠田は法律事務所に勤務していたころの遼子りょうこのクライアントで、彼女の仕事に対する姿勢だけでなく人柄をかっている。彼女が退所したあとも会社の顧問契約を結んでいたくらいだから。その縁でホームパーティーに招いたりと親しくしているようだから彼女と距離を縮められるいい方法がないか相談したところ、自宅に招いてみてはと提案されたのだ。

 三ヶ月前、もともと社内弁護士だった男が倒れ、そのまま長期の入院となった。その間彼の古巣である法律事務所に仕事を依頼しようかと思っていたが、その話を篠田にしたところ遼子を紹介された。

 遼子が会社を去る日まで残り一ヶ月だ。はじめの頃は思いを告げないままでいようと思った。けれど、彼女が退職するときが近づくごとに焦りが生じてしまい行動に移すことにしたのだが、結果は見事としか言い様がない空振り。情けない気分で報告を報告したら、

『つまり、なーんにもできないまま、お別れする時間になったってことなんだな?』

 と、あきれたようなため息とともに言われてしまった。

 なにもできなかったわけではない。きっかけを作ろうとしたが、できなかっただけだ。そう言いたかったけれど、昨日の出来事を振り返ると結果としてなにもできなかったことに気がついた。

 寝室のクロゼットの前に立っていた彼女と会話を交わしているうちに思いを伝えられる絶好の機会に恵まれたけれど出前を頼んでいたすし屋が来たからできなかった。その後食事をしながらたあいない会話を交わしつつタイミングを見計らっていたのに、いつのまにか仕事の話になってしまった。そして最後のチャンスに賭けようとして車で送ったものの、彼女が飼っているハムスターの話で盛り上がってしまい沈んだ気持ちで自宅に戻るしかなかった。

 我ながら不甲斐ないと思っているのだから篠田からあきれられても仕方がない。頭の中に篠田の言葉と昨日の出来事が交互に浮かび、後悔とやるせなさがものすごい早さで膨らんでいく。年がいもなく子供のように机に突っ伏しながら別所は重い息を吐く。すると、

「社長。わかりやすく落ち込んでおられるところ申し上げにくいのですが、そろそろ現実に戻ってきてください」

 秘書である岡田おかだの冷たい声が耳に入った。しかし別所は気にもせず、さらに深いため息をつく。

「そうしていても遼子先生は振り向いてくれませんよ、社長」

 遼子の名前が飛び出した直後、別所は勢いよく体を起こした。

「岡田、頼むから彼女のことは、麻生あそう先生と呼んでください」

「はあ?」

「彼女の名前を僕以外の男が口にするたび、いやな気分になるんだ」

 苦々しい気持ちのまま木製の机の向こうに立っている岡田に言うと、彼はあきれ果てたような顔をした。

「……どれだけ遼子先生のことが好きなんですか……」 

「だから麻生先生と呼べと――」

「社長、篠田さまからお手紙が届いています」

 勢いよく身を乗り出したら、澄ました顔の岡田から封書を差し出された。気勢をそがれてしまい別所は長い息を吐く。気持ちを静め受け取った白い封筒をすぐに開いてみたところ、篠田が経営している会社の周年パーティーの招待状が入っていた。

「来週の金曜の夜、篠田の会社のパーティーがあるからスケジュールに入れておいてください」

 書かれている日時だけ確認し、岡田にカードを渡したら、彼はすぐに怪訝な顔をした。

「あの……、社長。備考、御覧になりました?」

「備考?」

 すっと返されたカードを注意深く見てみたら、備考には毎度おなじみ「パーティーのドレスコード」が記されていた。

 篠田は、彼の自宅で催すホームパーティーや会社が企画する催事で、必ずこういった趣向を凝らしていた。たしか去年は、自分好きな動物柄のなにかを身につけることだったと記憶しているが、今年のパーティーの「決まり事」は身につけるものではない。

「どうしましょう、社長」

 岡田から抑揚のない声で聞かれ、別所はまた息を吐く。篠田の狙いは明らかだ。おそらく自分のためにこんなものを決めたのだろうが、はたして成功するかどうかわからない。自宅に招くときだって遼子の補佐をしている吉永深雪よしながみゆきの助けがあったから叶っただけで、また今回も彼女が救いの手を差し伸べてくれるとは限らないからである。

「仕事」だと言えばきっと大丈夫ですよ。それに篠田さまと先生は付き合いがありますしね」

 今回も?

 引っかかりを覚え岡田に目をやると、彼はずる賢そうな笑みを浮かべていた。

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