他者

九重智

第1話

 僕は友人の死をニュースで知った。ニュースといっても全国の大々的な、ショッキングな内容のものではなくて地方テレビ局の十五分だけのものだった。友人(ここは仮にKと呼ぼう)はひとつ大きな小説の賞をとっていた。しかしいってしまえばそれだけで、遅くも早くもない年齢の彼の受賞は、本読み界隈ではいざ知らず世間的に莫大なインパクトを与えることはなかった。それからいくつかの本を出版したらしいが、たぶん鳴かず飛ばずだったのだと思う。そもそもいまどき純文学の小説家なんて皆ほとんど知らない。僕だってそうだ。Kが話してくれた小説家のほとんどの名前を僕はほんとうに見たことも聞いたこともなかった。

 ニュースで人の死を知ることは奇妙な感覚だった。「昨夜未明、小説家の○○、本名○○さんが自宅で死亡しているのがわかりました。自宅には直筆と思われる遺書が残っており、警察は自殺したものとして調査しています」。あまりにもはっきりしていない報告。実際に彼がいつ死んだのか、遺書はあるがほんとうに自殺なのか、そういう具体性に緩やかなブレーキがかかっていてどうも噂じみたものに聴こえる。なのにそのニュースキャスターはKの死の確定だけはしっかりと断言していた。他の箇所は何だか申し訳ないような、自信のない口調のようだったのに、「自宅で死亡」のところはやけに滑舌がよかった。彼はまず死んだ、だけど細かいことはわからない、つまりそういうことなのだ。

 僕は彼の死のリアリティがまったく起こらなかった。彼のいない世界を僕はようやく認識できたはずなのに。

 認識と実感のあいだには途方もない距離がある。いやそれは距離というより次元の違いに近くて、僕は二次元の存在が三次元の世界を感じることができないような、知ってはいるけどわからないというもどかしさに陥った。そう、もどかしさだった。僕には喪失の気持ちより、出来の悪いミステリーを観た気分になっていた。薄情だけど、そうだった。

 もしかするとこの気分は、もうすでに彼のいない世界を僕が歩んでいたからかもしれない。僕と彼はしばらく疎遠だった。元々は、たぶん仲が良かった。たぶんといったのはKのほうもそうだという確信がないからだ。僕らは高校で出会い、一時期蜜月の時を過ごして、それから別れていった。どちらも明確にこの友情の終わりを提案したりはしなかった。絶交なんて大人になれば勝手にされるものだった。

 僕は葬式に呼ばれなかった。Kの葬式が行われたかどうかも知らない。ひょっとしたら葬式をしていなかったかもしれない。独り身のKの両親は高齢でもう八十をとっくに過ぎているはずだから、彼の身寄りがいるかどうかも分からない。とにかく一週間経って、僕は彼と別れる正式な機会を失っていたことに気づいた。それからさらに一週間して彼からの手紙が届いた。

 手紙の差出人は、むろん彼の名前ではなかった。それは全く知らない名前で、僕ははじめ警戒して手紙を一日開かなかった。そして休日の昼に他の雑務のついでに開いた。開いてようやく彼が僕に送るつもりのものだとわかった。はっきりしないニュース、呼ばれなかった葬式、一日開かなかった手紙、こんなことばっかりだ。僕は彼の世界の顛末を常に周回遅れで知っていた。

 手紙は二枚入っていた。一枚は彼のもので、もう一枚は差出人のものだった。差出人の内容のもののほうが文量があり、しかし無機質な文体で、自分がKの親戚であること、彼の遺品の一部を渡すがどうだろうかという提案だった。リストが書いてあり、そこに丸をつけて返せばよかった。カタログギフトみたいだ、と僕は思った。

 Kのほうの手紙は、詩のような、それかもっと自由なもののようだった。手紙はこう書いてあった。


『痛みは鎖のようで 

鎖は遥かにつづいていて 

無垢な少女も繋がれて

僕はどこから切ればいいのかわからない

木漏れ日

五月雨

ネオン

街路樹

すべてに鎖は隠されて

僕の首を狙っている

だが僕は疲れた

鎖を切ることも首を守ることもしない

ただ日増しに身体が重くなって

沈むように生きている』


 とくに僕は何を思うこともなかった。何かを思おうとしたことは確かだが、僕はこの詩のようなものの情緒をまったく解せなかった。意味はわかる。『痛みの鎖』は彼の好きなHIPHOPの曲にある、『PainのChain』という歌詞を意識したものだろう。僕は彼にその曲を何度か聴かされたことがある。彼はしつこい人間で、おなじ話題を定期的に展開して、その度におなじ振る舞いをした。そのうち彼が僕にHIPHOPを聴くよう誘うとき、必ずこの曲のリンクを送られた。そして僕は何度か聴いて、やっぱりHIPHOPは合わないと思うのだった。

 『PainのChain』という歌詞にKは深く感銘を受けたようだった。たしか彼はこの言葉をこう解釈していた。つまり痛みはどこから来るものでもなくて、それは鎖のように複雑に絡まりあってできている。痛みの根元はどうやってもわかりはしない。いやわかってもただ空しくなる。それはただ人はどうしても他者ってことだけなんだ。善悪は星の数ほどあって、人はある部分では善人だしある部分では悪人なんだ。ただそれは仕方のないことなんだ。……そんなことを彼は言っていた気がする。

 だとしたらこの詩のようなものは『PainのChain』の解釈とそれに対するKの諦念のように捉えられる。しかしそれだけだった。僕に何故これを送ろうとしたのだろう。手紙の最後にはKの名前と日付が記載されていた。日付は五年前、彼が小説で食えていく前のものだった。そしてちょうど僕らが別れはじめた頃の。

 Kは何故死んだのだろう、仮に彼の自死という警察の推測が的を得たとして(一週間経ったのちもその正否は僕に伝わらなかった)

 今日は休日だ。彼女はまだ夜勤の疲れを癒している。僕はKとの過去を顧みることにした。これはその備忘録だ。……少なくとも、備忘でありたいといまの僕は思っている。

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