第34話美知と恵理

「……あんたさあ、もういいよ」


「ミチェリお嬢様……」

「私なんかさ、最初から……いなかったのと同じだから……」


相手にされなくたって当然だろう。

私のような老人に出来ることなど何もないのだから。


カリエンテに殴られるのだって当たり前だ。


それどころか殺されたって文句は言えない。

そもそも私は彼女の使用人じゃないか。それなのに、どういう立場で物を言っているんだ? 私は何をやっている?


……だが、それでも、目の前でこの子が殺されるところなど見たくなかった。

だから、勝手に体が動いていたのだ。

たとえそれがどんなに無意味なことであっても。


「ミチェリお嬢様……が、頑張って……」

「……何をだよ」

「生きてください……生きて……」


「……あのさあ、こんな体でどうやって生きてけっていうのさ……」


「あ、あなたが不便を感じないよう、義手でも義足でも何でもお作りいたします。魔法が使えなくても私があなたの手足となります。だから……だから……ミチェリお嬢様……」


「……何でそんなこと言うんだよ」

「……」

「何で、私のためにそこまでするんだよ」


「それは……私はファンクラブ第一号として、あなたを応援すると決めたからです……」

「……ほんっと、わっけわかんねーなー……このクソジジイ」


「それに……私はあなたと約束しました。あなたが生きる意味を見つけられるような別の世界に行こう、と」


カリエンテは黙ったまま、私とミチェリのやり取りを聞いている。カリエンテの顔は蒼白で唇は震えており、呼吸も荒かった。

しかし、それでもミチェリを見るその目は鋭く、少しの動きも見逃さないように彼女を見つめていた。


ミチェリはしばらく俯いて何かを考えていたようだったが、やがて大きくため息をつくと小さく呟いた。


「……馬鹿な爺さん」

「……」

「……あんたが言っているのは呪いだよ」

「……」


「自己満足のために、もう死ぬつもりの私を無理やり生かして動かそうとしている。それは呪いと同じだ」

「……はい」


「私の罪を背負う覚悟はあるのか?」

「……」

「私を幸せにする自信はあるか?」

「……」

「私の全てを捧げる気持ちは有るか?」


「……は……はい」


「わかったよ。じゃあさ、私の願い聞いてくれる?……今から言うことを叶えてくれるなら、私もさー、ちょっとは生きる気になるかもよ」

「……私にできることならば」


「じゃあ、あんたの血をよこしなよ」

「血……ですか?」


ミチェリはそう言うと真っ赤な口を開けて、鋭利な歯を見せつける。

まるでピラニアのような小さなその歯は彼女の口中にびっしり生えており、喉の奥にまで続いているように見えた。


「ああ、その血さえくれたら、あんたの言う通り、ずっと……永遠に生きてやるよ……」


迷う理由など何もなかった。

こんな汚い老人の血で彼女が助かるのなら、いくらでもくれてやろう。


彼女の口に手を伸ばそうと私は身を乗り出す。


「ぐがっ、ぎああっ!」


次の瞬間、私の手は振り下ろされたカリエンテの足によって踏み潰されていた。


指の骨が粉々に砕け、手首も奇妙に折れ曲がっている。

激痛に悶える私を見下ろし、カリエンテは怒りのこもった声で呟いた。


「……いい加減にしろよ」

「うぐっ、ぐっ、ああっ、ばぁはぁあっ!」


爪が割れ、肉が潰れ、血が噴き出し、ブーツの下には真っ赤な血溜まりが出来ていく。


「私に楯突いてお前に何の得がある?その魔女を助けることに何の意味がある?!」


「……なにやってんのよバカ」


「お、お嬢様……私の血です……ど、どうぞ……」


「……いらない、汚いから」


ミチェリはうんざりした表情で私から顔を背ける。


「諦めないでください!お願いです!どうか……どうか……お嬢様……!!」

「……もういいわ、あんた。黙ってて」


少しでも流血の量を増やして血をミチェリへと近付けようと、私は必死で転げまわった。そして、カリエンテに顔を蹴られた。

何度も蹴られ、鼻が折れ、砕けた歯が飛び散り、血が吹き出して、視界がぼやける。


「ああ、や……やったぞ!血……血だ!だっ、大出血だ……はは、は……けっ、計算通り……だ!ど、どうぞ、好きなだけお使い下さい!」


「……」


「お前は死にたいのか?!何のためにそこまでする!答えろ!アズマーキラ!!」

「わ、私は、約束したんだ!……この子を、別の……平和な世界に連れていくと!約束したんだ!」


「黙れ!やめろ!私のいうことを聞け!」


「……わ、私はもう嘘はつかないぞ!私は!正直者の正ちゃんなんだ!この子に……生きていて欲しいんだ!それが出来たら死んだって構わない!」


カリエンテは私のことをどうすればいいかわからず困り果てているようだった。


私の髪を掴み引きずり倒そうとするが、私の手を踏みつけていたことを思い出し、慌てて足を上げる。彼女もまた完璧ではない。


気が付けば、カリエンテの頬に涙が伝っていた。優しい人だ、本当に。


こんな気味の悪い間抜けな老人など、さっさと殺してしまえばよいものを。

それとも、私を斬ったその血がミチェリに降りかかることを警戒していたからだろうか……。


いや、どちらでもよい。


思えば私はここに来てから彼女の優しさに甘えて、くだらないことばかりやっていた。到底許されることではないだろう。


「……私は……この子に死んで欲しくない。理由はわからない。でも、この子には幸せになってほしい。この世界でそれが難しいというのなら、私は、この子を別の世界に連れて行ってでも、幸せにしてやりたいんです……!」


「黙れ!……黙れ!!!」


私には二人の娘がいた。

このイカれた頭ではもはや名前すらも思い出せない。


しかし、私に似て不細工な子供たちで、ろくに笑った顔を見たことがない。そして最期は自殺してしまった。私が殺したようなものだ。


「こんな薄汚れた血で……大変申し訳ございませんが……どうか……」


この世界に来る前、世界が崩壊するその前、私はある企業に協力し、生物兵器を開発したかどで数年間、刑務所に入っていた。

しかし、残された私の家族たちは世間から想像を絶するような中傷を受けていたのだろう。刑期を終えて戻ってきた時、娘たち二人はこの世を去っていた。


「もういいから……やめてよ……やめて!もうわがまま言わないから!お願い!これ以上、おじいちゃまに酷いことしないで!」


いつの間にかミチェリも泣いていた。……本当になんて優しい子なんだろう。


それに引き換え、私はどうしていつもこうなのか。みんなの足をひっぱり邪魔をして、悲しませてばかりじゃないか。

私は血まみれの顔を手で拭うと、泣きじゃくるミチェリに微笑みかける。


「私が必ず……幸せにします……あなたが安らげる世界を見つけて見せますから……どうか……生きて下さい……」


私の故郷の名古屋が……いや、世界が崩壊した後、私がずっと透明化の実験を続けていたのは「透明になればなんでも出来る」と思っていたからだ。

だが、もちろん何にも出来やしない。ここに来て嫌というほど思い知った。


でも、本当は最初からずっと気が付いていた。


私が透明になろうとしていた本当の理由。

私は、自分の存在を消し去ってしまいたかったのだ。この宇宙から永遠に。


「お願いだから、生きていてください……」


カリエンテがラ・フエンテ・サングレを振り上げる。私は目を閉じて最後の時を待つことにした。

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