マニ教
マニ教はヘレニズム的な環境が色濃くあった時代に生まれた折衷宗教で、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの要素が融合しているらしいです。ギルシュマン著『イランの古代文化』から引用します。
マニはパルティア貴族の出身で、ゾロアスター・仏陀・キリストと同じように神の啓示を実現するため、神より世に遣わされたと述べた。この教えは、光と闇、善と悪との戦いが基礎となっている。世界はこれら相対立する2要素から成っている、人間の魂は光であり、その肉体は闇である。マニの教えはすべての肉体からの魂の開放に帰一する。物質にとらわれているすべての光、すべての魂は自由となり太陽にのぼったとき、地と天は崩れ去り、光と闇に分かれるが、光の王国は永遠に続く。信者は被撰者と聴者に分けられる。被撰者は神官で、妻帯・肉食せず、嫉妬や虚偽をすて去るのである。聴者は結婚し、他の人々と同じように働くことが許されたが、純潔を保ち富を追ってはならぬとされた。祈りと断食を課されたが、犠牲や偶像崇拝は行われなかった。マニ教徒は洗礼と聖餐を受け、死の直前、罪の消滅と免除を受けた。マニ教徒はユダヤ教を排斥し、モーゼと預言者たちを悪人とみなし、その神を闇の神と考えた。その宇宙観を創り出すうちに、マニ教徒の信仰はグノーシス派(キリスト教の異端)の影響を受けた。その賛歌はバビロニア風であり、その思想はゾロアスターによって説かれたものであり、イエスはマニ教義のなかでも重要な地位をしめ、三位一体と福音書の一部はキリスト教からの借用であり、さらにその輪廻観は仏教にもとづき、天使の名前はシリア語であった。
マニ教徒の受けた洗礼と聖餐はどんなものだったのでしょうか? キリスト教に近いのかな?
資料集の解説を引用します。
サーサーン朝のサーサーンとはペルシア古来の尊称で「指揮者」の意味である。イラン国粋主義が主張される中でゾロアスター教は国教とされていった。西アジアの大国は東西文化を融合する総合的文化を形成するが、宗教面でもマニ教という融合宗教を創造した。シャープール1世(在位240~271年)はマニ教に好感を抱き、伝道活動の自由を保証した。マニ教はその幅の広さで東西世界に伝播し、西はシリア・エジプトから北アフリカ一帯に、東は中央アジアから唐・吐蕃(チベット)に、主としてウイグル人の支持を得て広まった。古代キリスト教の宇宙観をつくりあげた教父アウグスティヌス(354~430年)の若い時代は異端であったが、実はマニ教支持者であり、レパント貿易に付随して南フランスに伝播されてアルビジョア派(カタリ派)になったマニ教徒は13世紀、十字軍を迎撃する勢力となっている。中国では摩尼教の字があてられ、長安・洛陽・太原などの主要都市にはマニ教寺院が建立されている。
教祖マニ(216頃~276年)はゾロアスター教の司祭階級に排斥され、国外に脱出したが、帰国した際に捕らえられ獄死した。
マニ教はソグド人にも広まり交易路を通じても広まったりして、広く展開していたみたいですが、迫害もあり、途絶えていったようです。
この辺の国際情勢がもっと詳しくわかればいいなぁと思います。
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