ネロ皇帝のキリスト教迫害
イエスが、ローマ帝政の初期アウグストゥス治下に生まれ、ティベリウス帝期にその宗教活動を行ったことは有名です。
私は聖書に書いてあるようなキリストの行跡とか、パウロの書簡などは食傷気味なので省略します。
それよりもキリスト教が邪教とか迷信とか言われながら、その教えを広めていった過程がとても興味深いと思います。
ネロ皇帝のキリスト教迫害について、解説から引用します。
タキトゥスの『年代記』によってネロ(在位54~68年)の迫害は有名となった。良きローマ人であったタキトゥスにとって、ローマの神々の信仰以外は邪悪な迷信であったから、キリスト教徒も国家をおびやかす存在であった。
キリスト教のローマ伝道は端緒についたばかりで、パウロのローマ到着もこの放火事件の数年前であった。パウロのローマにおける布教が当初それほどに障害もなく行われていたから、このネロの迫害は唐突な感じがないでもない。同時代の記録にも、このタキトゥスが記すような放火と結びついたものはない。
ともあれ、ネロ帝の時代の対キリスト教観は。ローマ知識人にとってはまだ単なる迷信・邪教といった考えが一般的であっただろう。
それでは、資料をご覧になってください。
放火の噂を消すべくネロは身代わりの犯人をたてた。一般民衆がキリスト者と呼び、その隠密な罪悪(嬰児殺し、人肉食、近親相姦など)のゆえに憎まれていた人びとに、もっともすばらしい刑罰を加えた。
(中略)
この有害な迷信は一時阻止されたが、ふたたび起り、その害悪の発生地ユダヤのみならず、またあらゆる種類の物凄いことや不潔なものが四方より集まって来て流行している首府ローマにさえ及んだのである。そこでまず若干のものが審問され放火の罪を告白せしめられ、彼らの申し立てにもとずいて、夥しい民衆が、ローマに対する放火罪もさることながら、彼らの人類社会に対する憎悪ゆえの罪を定められた。彼らは獣の皮をかぶらされ、犬に食い裂かれて死んだ。あるいは十字架に釘づけられ、あるいは生きながら焼かれ、あるいは陽の没したのち、夜を照らす明かりとせられるべく、彼らは燃やされたのである。ネロはこの見せ物のためにおのが庭園を開放し、競馬などを催し、おどけた服装をしてやじ馬に加わりみずから戦車を走らせたりした。かくて彼らは罪重く最も厳しい刑罰を受けるべきものであったが、そこに憐憫の情がおこってきた。というのは彼らが亡ぼされたのは公衆の福祉のためではなく、ネロの残虐性を満足させるためであったと思われたからである。
キリスト教が偏見の目で見られていた時期ですね。
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