『自省録』(マルクス=アウレリウス)
マルクス=アウレリウス帝は高校生の時、世界史で「哲人皇帝」と呼ばれていたと聞き、よくわからないけど、格好良いのではないかと思い込んでいたのですが、調べてみると自分の次の皇帝に実子を指名して失敗したりして、あまり格好良くないかもしれないと思い始めています。そして、その著書『自省録』ですが、私にはよくわかりません。
引用します。
我々の衷なる主が自然に従っている際には、出来得る限り、許される限り、出来事に対して常にたやすく適応し得るような態度を取るものである。
何故ならば、彼は特にこれと言う一定の素材を好む訳ではなく、その目的に向って、ある制約の下に前進する。而して如何なる障害物にぶつかろうともこれを自分の素材となしてしまう。この点あたかも火が投げ込まれた物を捕らえる場合に似ている。小さな燈ならば、これに消されてしまうであろうが、炎々と燃える火は、持ち込まれたものをたちまち自分のものに同化して焼きつくし、投げ入れられたものに依って一層高く躍り上がるのである。
(中略)
もう沢山だ、このみじめな生活、ぶつぶつ言って猿真似しているのは。どうしていらいらするのだ。何か新しい事でもあるのか。何が君を仰天させるのか。原因か? それを見るがいい。素材? それを見るがいい。これ等以外には何もない。しかし神々に対しては今からでも、もっと単純にもっと善良になれ。
この光景を100年観察しようと3年観察しようと同じ事だ。
解説です。
マルクス=アウレリウス=アントニヌス(121~180年)は、スペインの名門に生まれた。よき祖父母・父母・妹・先生・親類・友人に恵まれ、教育熱心な家庭のなかで育った。家庭教師に学問を教わったが、彼の先生はストア派の哲学者が多く、アポロニウスもその一人である。
ピウス帝の養子となり、後を継いで皇帝となった。この哲人皇帝は、共同統治者のルキウス=ウェルスと東奔西走しなければならなかった。ゲルマン人の辺境への侵入が活発になったからである。
マルクスは、プラトンの「哲学者が支配するか、支配者が哲学するかなら、国家はさかえる」という言葉を口ぐせにしていたといわれる。ストア派の哲学を実践することが、マルクスの慰めであった。質素な生活を自身では送り、公共のために出費した。奴隷解放にも積極的であった。しかし、キリスト教徒に対しては、ギリシア的教養人の彼は、その狂信的な態度に肯定的な立場をとれなかった。しかし、迫害は行われたけれども、五賢帝治下のキリスト教徒対策はすこぶる寛大であった。
皇帝と哲学者の間にあってまとめられたのがこの自省録で体験がにじみ出ている文章であると評価されている。
私にはよくわかりませんでした。もっと平易に訳してくれてもいいのにと思います。
でも、色々な本やネットの情報では、この『自省録』は素晴らしいとされているのですよね。
追記:今読んでいる本の中でマルクス=アウレリウス帝の言葉で「宇宙は1つの物質と1つの魂を持つ1つの生き物として考えるべきだ」と出ていました。参考になるかわかりませんが……。
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