002:世界大戦に終止符が打たれた日、新たな物語が始まる

 事の発端ほったんは今からおよそ一年前――勇者ユークリフォンスが魔王マカロンを追い詰めたところまでさかのぼる。


「ついに追い詰めたぞ。魔王マカロン――!!! 長きに渡る世界大戦に終止符しゅうしふを打つ――!!!」


 勇者ユークリフォンスは魔王マカロンの首元に聖剣を突きつけた。白銀の一閃が今にも輝きを見せそうだ。


「妾の……魔王軍の敗北か……くっ……」


 敗北を認め、死を覚悟した魔王マカロンの瞳は暗く染まり、覇気の一切も感じられなかった。

 冷たい視線はただただ首元の聖剣を――そこに映る勇者ユークリフォンスの顔を映していた。


「最後に言い残すことはあるか?」

「最後に……言い残すこと、か。そうじゃな……できるのなら、もう一度、もう一度だけ…………」

「もう一度だけ……?」

「もう一度だけ……のじゃ……」


 人生最後になるかもしれない言葉。考える様子も命乞いをする様子もなく、息を吐くかのように自然と吐き出された言葉だ。

 その言葉には流石の勇者ユークリフォンスも驚きの表情を見せる。


「た、担々麺……だと……?」

「おぬしが知らないのも無理はないのじゃ。あれは……担々麺は、妾の故郷の料理。このにはない料理じゃからな……」


 魔王マカロンは命のみならず、全てを諦めた様子で息を吐いた。


「……ん? どうしたんじゃ? とどめを刺さんのか?」


 一向に白銀の一閃を見せない聖剣に魔王マカロンは困惑の色を浮かべる。

 しかし困惑の色を浮かべているのは魔王マカロンだけではない。

 聖剣を突きつける勇者ユークリフォンスもまた困惑している。聖剣を突きつけられている魔王マカロン以上に――。


「担々麺、か……。そうだな。このでは食べれない料理……俺の……」

「……へ? 今なんと?」


 魔王マカロンの口から情けない声が自然と溢れた。

 見当違いの返事が返ってきたのも確かだが、それ以上に『担々麺』という料理を知っていることに驚いたのだ。

 この世界で自分以外は――地球から転移または転生したもの以外は知るはずも、知る術もないはずの料理を。

 その衝撃は魔王マカロンにとってあまりにも大きかったのか、開いた口は情けない声を出した時のまま塞がらない。


「俺も食べたい。俺も担々麺が食べたい……」


 長きに渡り争ってきた二人。その争いに終止符が打たれようとしていた今――世界の歯車が崩壊する。

 決して相容あいいれることがない存在だと思っていた――思い込んでいた二人。


 しかしそうではなかった。


 二人の故郷は同じ。地球というひとつの小さな星から転生した同じ境遇の持ち主。

 そして好きな食べ物が同じ。

 故郷と好きな食べ物――たった今知った二つの共通点。


 ユークリフォンスは勇者として世界を平和に導くため――。マカロンは魔王として世界を滅ぼすため――。

 この世界――異世界イーリスで与えられた使命を果たすためだけに生きてきた二人にとっては、とてつもなく大きな共通点だ。


 勇者ユークリフォンスはいつの間にか聖剣をさやに収め、魔王マカロンに手を差し伸べていた。

 体が――心が――魂が――無意識に動いていたのだ。

 そしてもう一度先ほどかけた言葉をかける。


「俺も担々麺が食べたい――!」


 それは〝希望の言葉〟。

 〝担々麺が食べられるかもしれない〟という希望の言葉だ。


 魔王マカロンの体も無意識に動いていた。差し伸べられた勇者ユークリフォンスの手を掴んでいたのだ。

 そして暗く染まっていた瞳に希望の灯火が宿る。


「一番好きな食べ物が担々麺じゃと? おぬしなかなかに変わっておるのぉ。もしや変態か?」


 あどけなさが残る少女の顔に笑顔の花が咲いた。


「それはこっちのセリフだぞ、魔王マカロン。最期の言葉が『担々麺が食べたかった』だなんて、変わり者にも程があるぞ」


 勇ましかった青年の表情は、少年のような笑顔を見せていた。

 先ほどまで殺し合いをしていたなんて想像もできないような光景。

 二人は手を取り合い笑い合っているのだ。


 担々麺が勇者と魔王を――サフィール・ユークリフォンスとマベル・マカロンを――決して相容れることがない二人を和解わかいさせたのだ。

 マカロンが立ち上がったのと同時に繋いでいた手が離れる。


 しかし二人の距離が離れたわけではない。むしろ近い。

 命の奪い合いをしていた頃ではあり得ないほどの距離だ。

 担々麺への愛を語りたいが故、気持ちが前へ前へと出てしまい、自ずと距離も近付いたのである。


「おぬしはなぜ担々麺が一番好きなのじゃ? もっと他にも美味しい料理があるじゃろ? なんでなんじゃ? なんで担々麺なんじゃ?」


 その魔王マカロンの言葉をきっかけに二人は担々麺について熱く語り合った。


 担々麺は定義が明確に決められていない料理だ。

 地域によって――店によって――その人によって、味付けや具材が異なる。

 それ故、どんな味が好きなのか、どんな具材が好きなのか、と話が弾むのも確かだ。


 数百、数千と、剣と魔法で攻防を繰り広げていた二人は今、言葉のみで数百、数千と、やりとりをしている。


 死闘を繰り広げていた者、修羅場を潜り抜けた者にしかわからない時間の流れ――。

 無限にも一瞬にも感じられるその時間の流れがこの会話の中にも生まれていた。


 それだけではない。戦いの時には得られることができなかった感情までも芽生え始めている。

 担々麺に夢中になり過ぎている二人には、まだ気付かないほどの小さな芽だ。


「ここまで担々麺について語れるとはな。見直したぞ、魔王マカロン。さすがだな」

「当然じゃ。まあ、妾はまだまだ語れるがな。おぬしもなかなかじゃったぞ、勇者ユークリフォンスよ」


 腰に手を当てて自慢気に鼻息を鳴らす魔王マカロンだったが、その表情はすぐに寂しげな色を浮かべた。

 聖剣を突きつけられていた時ほどではないものの、心に穴が開いたような酷い落ち込み方だ。


「……担々麺……この世界でも食べれるかのぉ」


 心に開いた担々麺という穴を埋める方法は一つしかない。

 担々麺を食べること。その一つしかない。


「この世界で担々麺を再現するのは厳しそうだな」


 食材も調理器具も何もかもがこの世界にはない。

 勇者ユークリフォンスの言う通り、この世界で担々麺を再現することは非常に難しい。

 担々麺が好き過ぎて自製したことがある二人だからこそ、この世界でそれがどんなに困難なことで不可能なことなのかがわかるのだ。


 しかし勇者ユークリフォンスは諦めなかった。

 マカロンという一人の少女の寂しげな顔を見てしまったのだから、諦めるに諦められない。

 それが勇者という存在の宿命だから――。


「……でも諦めるのはまだ早い」


 彼らは幾度となく不可能を可能にしてきた。

 だから今回も不可能を可能にしたらいいだけの話。単純な話だ。


「作ろうぜ。担々麺を――!」

「この世界じゃ無理じゃ。おぬしもさっき言っておったじゃろ……」

「無理なんかじゃない――!」


 ユークリフォンスの大きな手がマカロンの小さな手を包み込んだ。


「俺たちなら……俺たち〝勇者と魔王〟ならできる! きっとできる! この世界に不可能なことなんて一つもない! 俺は海を、大陸を、空を一刀両断した! キミは月を、太陽を、この星を動かした! そんな俺たちならこの世界でも――異世界でも担々麺を作れる! 作ることができる――!」

「じゃが、現実はそう甘くないぞ。おぬしもわかっておるじゃろ。この世界では足りなすぎるのじゃよ……。食材も調理器具も。そもそも調理を行う設備だって……」


「それでもだ! それでもやる! やろう! 俺たち二人で不可能を可能にしよう――!!」


 ユークリフォンスの熱い視線がマカロンの瞳に宿る消えかけの灯火を燃え上がらせた。

 ユークリフォンスの手のひらから伝わる熱は、マカロンの心を燃やす。


「妾は〝魔王〟で、おぬしは〝勇者〟じゃ」

「ああ、そうだ。俺は勇者でキミは魔王だ――!!」

「ふふっ。やるからには妥協など許されないぞ。たとえこの世界が許したとしても、魔王である妾が決して許さない――!!」

「それは勇者としても同じこと。妥協なんて絶対に許さない――!! 担々麺を作ろう! 勇者と魔王で〝究極の担々麺〟を――!!」

「究極の担々麺か。よいではないか! 妾たちに相応しいではないか!」


 二人は交わした握手を離すのを忘れるほどに熱くなっていた。

 熱々の担々麺よりも、激辛の担々麺よりも、二人は熱く燃えている。


 ――こうして魔王マベル・マカロンと勇者サフィール・ユークリフォンスは、究極の担々麺作りを始めたのだった。

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