第50夜
機能不全家庭に育つと、大人になってからも意見や気持ちを聞かれても「何でもいい」と思う。本当に「何でもいい」ことが多い。自分の気持ちを感じ大事にできる体験が少なかったために、自分の気持ちや意志はとっさに言葉に出てこない。とにかくその場が穏便に済むことを自分の気持ちより優先しがちになる。
「何でもいい」→考えてない、では無くて。
出てこない、と言ったら良いのか。
咄嗟に浮かばない。
「○○したい」が通らなかった幼少期。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」
「妹に譲ってあげるのがお姉ちゃんでしょ」
は、よく言われたな。
(可愛いな)と思ったものは
「似合わないから辞めなさい」
「お下がりでも充分すぎる」
って言われて、従兄のお下がり来てたなぁ。
そのうち第二次性徴で体が変化した時も、成長に合わせた下着は買って貰えず。
中学で祖母宅にお世話になってから、祖母が買ってくれたっけ。
…未だに、産後うつ延長戦で冷遇されたのかな?とか思うけど。
1年半後に産んだ妹の事は、最優先してたからなんなんだろう?
今更聞いたところで答えては貰えないし、聞きたいとも思わない。
まずまともに話を聞きかないから、話し合いというものが出来ない。
縁を切るきっかけも、一方的な思い込みによる攻撃だったしな…。
「何がしたい?」「どこに行きたい?」って聞いてもらえるのは、とても嬉しい。
顔には出てないかもだけど、脳内は嬉しくて小躍りしてるから。
けど、言葉にしようとすると声が詰まってしまうの。聞かれると、咄嗟に答えられない。
それが、申し訳ないなと思う。
ただ、大好きで大事な人は。
通話中とかに「○○行ってみたいな」って言った事を覚えていてくれて、会った時に連れて行ってくれたり、人混み苦手なのに一緒に行ってくれる。
優しくないって言うけれど、そういう所が優しいと思う。
万人に優しいのは、優しいとは思わなくなった。ウチも、万人に優しくするのは辞めた。
以前は"嫌われるのが怖い"が強かったから、我慢することが多かったし、それを「優しい」と言われていた。
でも、大好きで大事な人に出逢って知って行く内に「優しい」がどういう事なのか考えるようになった。
結果、『自分と自分が大好きで大事にしたい人に使うモノ』だと解釈した。
大好きで大事な人から学んだ事。
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