2話 リリーとロッテ
オリバーは落ち込んではいたが、同時に少し解放された気持ちもあった。母は違えど、共に暮らすのだから穏やかな関係が築ければというのがオリバーの願いだった。だが、それは彼が努力しても決して形になることはなかった。
「…僕、もっと頑張ればよかったのかな」
ついたため息が白くなる程、寒い中に放り出されたというのにオリバーにはまったく彼らを恨む気持ちがなかった。
そんな彼に呆れたような声がする。
『そりゃ無理だね。相手にそんな気持ちがありゃしないんだ。まったく、そんなんで貴族がやれるもんか。家を出たのはある意味では正解だよ。腹芸や他人を利用しようって気持ちがなきゃ貴族なんてなれやしない』
「そうかなぁ、偏見だよ。お母さまは優しかったでしょう」
『…へっ』
少年の肩に乗った小振りな狐のような生き物は、フンと鼻を鳴らすと体の三分の一程あるふんわりとした尾を少年の首に回した。
「ふふ、あったかい。ありがとう 」
『フン、でこれからどうするよ。とりあえずは夜が更ける前に安全な場所を探さねぇといけねえだろ。まぁ何とかなるとは思うがよ』
「うん、そうだね」
今はまだ日が暮れる前だが、暗くなる前に安全に夜を越せる場所が必要になる。普段から街に雑用で出されているため、オリバーは大体の店は把握できているのだが問題は彼が子ども一人という事だ。成人前の子どもに出入りできる場所は限られる。宿もまっとうなところであれば、一人で子どもが泊まれはしない。無論まっとうでないところに泊まるのはもっと危険なわけであるが。
だが、オリバーには自身が安全な場所で過ごせる確信があった。それは少年特有の無謀なものではなく、きちんとした理由があるものであった。彼が生まれ育った家を出ることに納得したのもそれが大きかっただろう。
そのため、追い出されたというのにオリバーはどこか余裕があった。それは彼の人よりだいぶ大らかな性格もあったし、信頼できる白い相棒が肩に乗っていたためでもあった。
そんな彼の瞳に、二人の少女が映った。少女達が身を寄せ合いながら、キョロキョロと辺りを見渡しながらこちらへと歩いてくる。妹だろうか、小さな少女はゴシゴシと目元をこすっている。
「ねぇコナン、大変!迷子じゃないかな?困ってるんじゃない?行ってみよう」
『…うんそうか、多分状況的にはお前さんの方が困ってるはずなんだがな』
肩に乗った白い相棒の客観的で冷静な意見を無視して、オリバーは走り出した。
「君達、どうしたの?」
オリバーは二人に声を掛ける。すると彼より少し幼いだろう少女が彼に問いかけた。
「あなた、この街の人?その首の襟巻、素敵ね」
「う、うん」
家を追い出されてはいるが、一応この街に現在も滞在しているのだから間違いではない。そして首に巻き付いている白い獣はいつの間にかしっかりと襟巻の振りをしている。
オリバーの回答に姉であろう少女が少し安堵したような表情を浮かべた。
「あたし達、ここに買い物に来たんだけど街の事がよくわからなくって。買いたいものがあるんだけど、どこで買えばいいのかわからないの。知らない店に入るのって怖くって…でももうすぐ日が暮れちゃうから困ってるの。…ダメかしら」
断られる不安からか眉にしわを寄せながら、オリバーの返事を待つ少女。妹であろう少女は泣いていたのだろう。目の周りを真っ赤に染めてこちらを見つめている。
そんな二人に柔らかい笑顔でオリバーは答えた。
「安心して。僕、この街に詳しいし、時間も結構あるんだ」
そんなオリバーの声に、肩に乗った小さな白い相棒はそっとため息をついた。
「ここへは初めて来たの?」
「えぇ、その…町はずれに住んでるの。だからそんなに余裕があるわけじゃないしどこのお店がいいのかわからなくって、それでずっと決められなくって…」
王都は中央に行くに連れ、栄えている。城を中心に街が作られているため、自然とそうなったものだ。少女が恥じらいながら、住居を口にしたのはそれがある。王都を中心に栄えてはいるものの、都の外れには貧しい者たちがいるのだ。
そこから子ども二人で来るとなると、まだ幼い少女達には大冒険だったはずだ。
「二人とも遠くまで頑張ってきたんだね。何を買いに来たの?」
「おかあさんのストール」
「うん?」
「おかあさんにストールが欲しいの。だからロッテは姉さんと来たの。でももう疲れちゃったの」
ぐしぐしと目をまたこすりながら赤茶の髪をした少女がまた泣きそうになる。
そんな妹の様子に困ったように同じ赤茶の髪をポニーテールにした少女が妹の目線にしゃがみ込む。
「ごめんね、ロッテ。お姉ちゃんが怖くなっちゃって早く決めなかったから」
「…うん、でもそれは正しい事だと思うよ」
「え?」
不思議そうな顔をして、姉と呼ばれたポニーテールの少女がオリバーを見上げた。
「大きな街にはたくさんの店、人がいる。それはそれだけいろんな人がいるっていう事だから。伝手や情報もないと困ったことになると思うよ。君達は女の子だし、子どもだからより気を付けたほうがいい」
ちなみにこれはオリバーの考えではなく、肩に乗った白い生き物(今は襟巻の真似をしている)がこっそり囁いたことである。ポニーテールの少女は表情をさらに曇らせた。
「…そう、やっぱり難しいわよね。ごめんなさい、急に変な事を頼んで。諦めて二人で帰るわ。ね。せめて何か美味しいものをお母さんに買って帰りましょ」
「うん」
妹の頭を撫でながら、妹に、そして自分に言い聞かせるようにポニーテールの少女が呟く。
「ごめんなさいね、急に呼び止めて。教えてくれてありがとう」
ポニーテールの少女が妹の手を握り、オリバーに背中を向け歩き出そうとする。
「待って!」
「え?」
手を取り、歩き出した姉妹をオリバーは呼び止めた。
「言ったでしょ?安心して。僕この街に詳しいんだ。きっとお母さんに良い物が見つかるよ」
そんなオリバーの声に、肩に乗った小さな白い襟巻ことコナンはそっとため息をついた。
*****
「ごめんなさい、あたしったら名前も名乗ってなかったわ。あたしはリリー。こっちは妹のロッテよ」
「いや、僕こそ名乗ってなかったから」
「僕?」
「うん?僕はオリバー・コ…いや今日からただのオリバーだ」
もう家を出された身だ。苗字を名乗ることは許されないだろう。そう思って名乗った オリバーだったが、隣を歩くリリーは全く違うことに驚いていた。
「そう…あなた男の子だったのね…。ほら、髪が長いし!華奢だしてっきり女の子かと思って声を掛けたの。あ、ごめんなさい!」
髪が長いのは貴族男性では珍しくない事だが、今のオリバーの服装ではそうは見えないだろう。まして、幼い二人は貴族に関することなどほとんど知らないはずだ。そもそも、オリバーの髪は放っておかれた結果の髪で貴族らしさが感じられるようなものでもない。また服装も同様である。はたから見ると、淡い金色の髪をしたなぜかズボンを履いている町民の少女であろう。
「そっか、いや気にしないで。僕、まだ成人前だし、そう見えることもあるよ」
「本当にごめんなさい」
『プフフッ。そうそう気にしなくっていいよ。見えるもんは見えるんだしな』
首に巻いた白い襟巻がオリバーにしか聞こえない念話で呟く。
「その襟巻、本当に綺麗ね。白くってふわふわしていて毛並みが輝いてるわ」
「うん、ふわふわ!かわいいねー」
『わかってるな!お嬢ちゃん達!目の付け所がいい!オレはそんじょそこらの獣とは違うからな!』
調子に乗る様子を見たオリバーはにこやかに笑いながらも正直な意見を言う。
「そうかな?見た目よりは重いし、もっと良い物もあるんじゃないかな」
『オイ!』
「そう?でもあたし達、その恥ずかしいんだけど、お金はあまりないの」
そう恥ずかしそうに俯くリリーの手は若い少女のものとしては荒れていた。それは彼女が、懸命に働いている証であるのだが。服装も清潔ではあるが質素であり、この街では店によっては入店すらできないだろう。
「お母さんにストールが欲しいんだよね」
「えぇ、母は数年前から体調を崩していて…。家で療養しているんだけど、うちは周りの家の陰になって日中でも陽があたらないの。せめて暖かいストールを買ってあげられたらって思ったの。それで色々お店の前を歩いて見てたんだけど…特に大通りの店ではあまりいい顔されなくって。それはそうよね、大通りのお店に私達なんて不似合いだもの」
そんなリリーの言葉にオリバーは少し眉を顰める。
「大通りって言うと、最近出来た話題の店の事かな」
「えぇ、女性が多く出入りしていたわ。そこならお母さんに良い物が買えるんじゃないかって思ったんだけど…」
『かぁー、孝行娘だな…オレにも娘がいたらこんな年頃なんだろうな』
もしそうだったなら自分は騒がしい襟巻を二つすることになったのだろうかと思いながら、オリバーは姉妹の様子を見つめた。
「お金はね、姉さんとためたの。よそのお家やお店の手伝いしたんだよ!」
「そうね、ロッテは頑張ったものね」
「ふふ、おかあさん喜ぶといいね」
「…」
リリーは黙ってロッテの頭を撫でる。自分達にとっては必死で貯めた金額でも、一般的にはそうではないのだ。彼女が街を歩き回った理由の一つはその事実を妹には言えなかったこともあるのだろう。
オリバーはそんな姉妹に笑いかける。
「大丈夫、きっとお母さんに良い物が見つかるよ」
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