美桜と魔女(その2) 2018/12/15(Sat)

 穏やかにクリスマスを迎えられると思ったのに。

 運命の時は突然にやってきた。


『今から家に来られないかしら? 大事な話があるの』


 梟森先輩から電話を受けたのは土曜日の、もうすぐお昼になろうという頃。

 仕事でいないお母さんの代わりに昼食の支度をしていたわたしは「急ですね?」と首を傾げるも、


『母が車を出すわ。……緊急の用件よ』

「わかりました。すぐに準備します」

『ええ。母が到着するまで、誰が来ても外に出ないで。約束よ』


 先輩の声はいつになく真剣で緊迫感があった。

 魔眼なんておかしな力を持つ彼女がここまで言うなんていったい何があったのか。

 わたしはよくわからないまま、ただ指示に従うことにした。

 お姉ちゃんたちに急用を伝えて、昼食はデリバリーにしてもらうようお願いすると、


「おっけー。じゃあ美空、なにがいい? ピザ? それともお寿司?」

「美姫お姉ちゃん、ほんとにこういうの好きだよね」


 喜んでスマホをいじり始めるお姉ちゃん。

 素直で優しい美空でさえ心なしか呆れの色を声に混ぜているも──お姉ちゃんのこういう呑気さがこのタイミングでは少しありがたい。

 昼食の準備が具材を切る段階だったのは幸いだ。これは何かに再利用できるように冷蔵庫に入れておくとして、


「それでね、二人とも。わたしが帰ってくるまで知らない人が来ても応対しないでくれる?」

「何それ、あんたのストーカーでも出たの?」

「そうかも。梟森先輩が緊急だって連絡してきたの」


 そう答えるとお姉ちゃんは一気に表情を硬くした。


「わかった。ご飯受け取る以外は誰が来ても開けないから」

「うん、ありがたいけど、梟森先輩ってみんなからどう思われてるの……?」

「あの先輩がガチの緊急って言う案件よ? 先輩にフラれた子があんたを逆恨みして刺しに来てるまでありえるわ」


 ああ、それは若干ありえそうだなあ……。

 ちょっと怖くなってきたわたしは美空の背中に軽く触れて、


「お姉ちゃんが変なことしようとしたら止めてあげてね」

「わかった、頑張る」

「待ちなさいあんたたち。私が一番年上なんだけど?」


 こういう時に物を言うのは年齢よりも日頃の行いである。

 お姉ちゃんたちとの話を終えたわたしは手を洗って、外出用によく使う鞄を手に取って──その時にはもう、家のチャイムが鳴らされて先輩のお母さんが到着した。


「ごめんなさい、美桜ちゃん。とりあえず車に乗ってくれる?」

「わかりました」


 二人にはもう一度用心するように言ってから車内へ。

 密閉型の車体は窓さえ開けなければかなり頑丈だ。菖蒲さんが必要になるような荒事でも起きない限りはかなり安心できる。

 ……うん、案外この世界も危険な気がしてきたけれども。


「あの、いったいなにがあったんですか?」

「ええ。ちょっと、良からぬ相手から接触があったの」

「良からぬ相手……?」


 背筋がぞくっとした。魔術師が警戒する相手って。


「そこまで心配しなくてもいいわ。迎えに来たのもあくまで念のためだし」

「それならいいんですけど……」


 幸い、先輩の家には何事もなく到着。

 リビングにはかすかにだけれど来客のあった雰囲気が残っていた。

 先輩がお茶の準備をしてくれていて、わたしの前にもすぐにティーカップが置かれる。


「あの、先輩。いったい誰が来たんですか?」

「この男よ」


 すっ、と、差し出されたのは一枚の名刺。

 男というとそれだけで候補が絞られるわけだけど、それは湊でもお兄さんでも鷹城さんでも、もちろん葉でもなかった。

 どこかで見たような見なかったような。わたしは数秒考えてから「あ」と思い至る。


「大学の学園祭でライブの後、わたしたちをスカウトしてきた人」

「やっぱり面識があるのね」

「はい。でも、どうしてあの人がここに?」


 先輩のお母さんはふう、と息を吐いて、


「彼は美桜ちゃんとほとんど同じ方法でここにやってきたの」

「え」


 おまじないの本の著者から辿って──ということは。


「魔術師としてのお二人に用があった、ってことですか?」

「そうよ」


 悪寒が背中だけでは済まなくなる。

 これ以上、できれば聞きたくない。あまりにも急すぎる。こんなの一週間は心の準備が欲しかった。

 わたしが言うのもなんだけど、魔術なんかに頼るのはたいがい悪いやつだ。


「この人は、いったいなんの魔術が必要だったんですか?」


 恐る恐る尋ねれば、先輩は「予想はしているでしょう?」とわたしを見て、


「入れ替わり。あなたにとっての、始まりの魔術」

「────」


 頭が真っ白になった。

 今さら。

 もちろん、わたしには魔術防御がある。お守りと髪、二重の守りが入れ替わりを防いでくれるから心配ないんだけど。

 それでも。

 今度は先輩が深いため息。

 名刺の横に差し出されたのは一枚の写真。そこに写っているのは、年齢の割にかなり高級そうなシルバーアクセサリーを身に着けた一人の女の子。


「彼が望んだのは自分と、あなたの入れ替わりよ。美桜」


 ここまで来たら話はわかる。

 わたしは震えながら、一人の少女の名前を呟く。


「香坂、美桜」

「おそらくは、ね。最後まで彼はその名を自称しなかったけれど」


 まさか。

 それこそ「どうして今更」だ。

 そもそもどうやってこの世界に。


「もう一度入れ替わりを行ったんでしょう。あなたと入れ替われなかったから次善の策、と言ったところかしら」

「……それで、その人はどうしたんですか?」


 先輩のお母さんが目を細めて。


「私たちは誰にでも協力するわけじゃない。……と言うより、そもそも魔術師としての活動なんてほとんどしていないの。丁重にお帰り願って、彼もそれに応じたわ」

「素直に引き下がったんですか? 香坂美桜が」

「どうやら私たちに接触して来たのも次善の策、念のための確認だったみたいね。あっさり頷いて終わりよ。むしろ、私たちを口説くほうに熱心だったくらい」


 口説いた。

 この世界の男としてはまあ普通かもしれない。

 けれど、中身が「香坂美桜」だとするとイメージがちぐはぐになる。

 彼女はこの身体を取り戻したいんじゃない?


「あの人は、前にも叶音や恋を口説いていたんです。それって、もしかして」

「戻ることではなく、女を口説くこと自体が目的なのかもね。……それも、あなたのまわりにいる女を」

「そんな」


 愕然とする。


「どうして、そんなことを」

「そんなの一つしかないでしょう。……復讐よ。自分の身体を奪ってのうのうと暮らしているあなたへの、ね」


 寒い。

 ぬるくなった紅茶では身体を温めきれない。


「勘違いしないでね。私たちはあなたの味方よ。だからこそこうやって警告しているし、相手が何を求めてきても応じるつもりはない。たとえ大金を積まれても、ね」

「でも、厄介な相手よ。男性で、しかも金銭的にも余裕のある人間。社会的地位はそれだけで圧倒的に高いわ」


 この世界における男は特権階級だ。

 あいつはそのうえイケメンなのだから、その辺の女性は軽く声をかけるだけでころっと落とせる。

 やろうと思えば、相当厄介な嫌がらせだって仕掛けられる。

 例えば、わたしのまわりにいる女の子を片っ端から味方につけてわたしを孤立させるとか。

 寝取られもののエロ漫画にありそうな構図にわたしは苦笑してしまいつつも、その予想を完全には捨て去ることができなかった。

 例えば、そう。

 このタイミングでグループの結束を崩されたらデビューだって──。


「!?」


 そこで、はっとする。


「向こうは、わたしに嫌がらせをする方法を一つ失ったんですよね? じゃあ、別の方法を取るんじゃ」

「……そうね。美桜、あなたがやられて一番嫌なことって何かしら?」

「そんなの、決まっています」


 二人の少女の名前を思い浮かべたところで、わたしのスマホに着信。

 表示されていた名前は『西園寺玲奈』。

 よかった。連絡する手間が省けたと思いながらわたしは通話ボタンを押して、


「もしもし、玲奈? ちょうど良かった。話したいことが──」

『ええ。わたくしもお話があります』


 返ってきた声は、わたしに向けられるものとは思えないくらいに淡々としていた。


『今から屋敷に来ていただけますか。……恋さんも一緒です』


 恐れていたことが現実になったのだと思い知らされる。

 香坂美桜──本物の美桜には切り札がある。わたしの秘密。

 今のわたし、香坂美桜が本物ではなく、異世界の男子高校生だという「事実」が。

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