美桜と習い事(その2) 2016/9/5(Mon)

 二学期の始業式から土日を挟んでの月曜日。

 僕は帰りのHRが始まるとすぐ、恋から声をかけられた。


「美桜ちゃん。プールだよプールっ!」


 今学期から始めることになった習い事。

 水泳が月曜日と金曜日の週二回、ピアノが毎週水曜日の週一回ということで決定。水泳は恋と一緒で、今日がその初日だった。

 学校が終わったら直行するつもりで水泳用のバッグも持ってきてある。

 今日からだってことは一昨日あたりから恋がはしゃいでいたので忘れるはずもない。僕は軽く頷いて立ち上がった。


「うん、行こっか」

「うん、行こ行こ!」


 当たり前のように絡みついてくる腕には今更なにも言わない。

 代わりに玲奈へ「また明日ね」と声をかけて、


「羨ましいです……」


 ちょっと恨みがましそうな視線を受けた。

 玲奈とはそのうち一緒にピアノを弾く約束をしている。だからまったくの除け者というわけではないんだけど、やっぱり「一緒に習い事に行く」というのは魅力的らしい。

 彼女もどうにかプールに参加しようとしたものの、ごく普通のスイミングスクールなんかには任せられないとお母さんから却下されてしまった。

 かといって僕たちまでお嬢様向けのスイミングスクールでゆったりと練習、というのもアレなので、


「大袈裟だよ。単にちょっと泳ぎに行くだけなんだから」

「そうそう。美桜ちゃんと一緒に。……一緒に」


 大したことないと説得しようと思ったら恋がまたニヤニヤし始めて、


「絶対ですよ? 絶対、美桜さんを我が家へ招待しますからね?」


 ムキになった玲奈と「そのうち必ず家へ遊びに行く」と約束することになった。


「屋内プールってわたし初めてだよ」

「私も! 冬でも泳げるなんてすごいよねっ」


 僕にとっては水泳といえば暑さを忘れるためなので温水プールだと意味が半減ではあるんだけど。


『美桜ちゃんはどうしてプールをやろうと思ったの?』


 先日、お母さんと一緒にプールを訪れて手続きをした時、先生にはこう答えた。


『健康と美容のために適度な運動をしようと思って』


 ちなみに恋は「泳ぐのが好きだから」と答えたらしい。どっちが小学生らしい返事かというと、うん、まあ言うまでもない。

 手続きのついで見学もしたのでそんなに戸惑うこともない。

 恋と雑談しながらスイミングスクールまで行って、受付の人に挨拶をしてから更衣室へ。

 適当なロッカーの前で学校指定の水着を取り出すと、


「あれ? 美桜ちゃんその水着?」

「うん。泳ぎの練習するならこっちのほうがいいと思って」

「えー。じゃあ私もそっちの方が良かったかなあ」


 恋は前に買った遊泳用の可愛いやつだった。

 これは難しいところというか、ぶっちゃけどっちが良いとも言いづらい。基本は地味なやつだろうけど、小学生くらいだと可愛い水着でテンション上げるのも一つの手だろうし。

 僕たちが入ったコースは「楽しく泳ぎを習おう!」というレベルだから猶更だ。


「他の子たちの水着見てから決めたら?」

「あ、そうだね。そうするっ」


 結果的にプールサイドへ集まった同じコースの子たちはスク水的な地味なやつが六割、可愛いのが四割といったところだった。

 意外と拮抗している。

 例によって女の子ばっかりだからこういうところは緩いノリになっているのかもしれない。

 僕たちと同じく二学期から始めた子もいるようで、一緒に挨拶すると前からやっている子たちともすぐに打ち解けることができた。


 先生も優しい人で、のんびりマイペースに泳がせてくれる。


 四年生~六年生くらいまでの混成で能力にもムラがあるうえ、みんな良くも悪くも向上心はそんなにない子たちなので「みんなより泳げないからやだ」とかにもなりづらい。

 話によるともっとガチのコースだとタイムを上げるための指導がメインになるので嫌になってやめてしまう子もけっこういるとか。


「わたし、のんびりコースにしておいて良かった」

「そうだね。私も楽しくできないのは嫌かな」


 これなら無理なく続けられそうだと僕はひとまず安心した。



   ◇    ◇    ◇



 二日後の水曜日は初めてのピアノレッスン。

 こっちは個人の先生宅へお邪魔して教えてもらう。初日は挨拶が必要だということでお母さんと放課後に合流して一緒に行った。


「美桜。わかってると思うけど失礼のないようにね?」

「うん。わたしは教えてもらう立場だもんね」


 お母さんが手にしたちょっとお高めのお菓子を「わたしが食べたい!」とか我が儘言うつもりもないし、なるべく先生の指示には従うつもりだ。

 まあ、スイミングスクールはともかくピアノのレッスンは未知すぎて若干緊張するけど、


「初めまして、香坂美桜さんね? これからよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 幸い先生は優しそうな人だった。

 こう見えて(と言うと失礼か)ピアノのコンクールでいいところまで行ったこともある実力の持ち主だそうで、予定が空いていたのはラッキーだとお母さんが喜んでいた。

 挨拶をして少し話をしたところでお母さんは先に帰り、僕はピアノのある部屋へと案内される。


「楽器の経験はないのよね?」

「はい。音楽の授業でやったのと、後はキーボードを買ってもらって少し触ったくらいです」


 美桜になる前の僕も似たようなものだ。

 むしろ美桜になった当初はリコーダーを扱うのが久しぶりすぎて戸惑ってしまった。


「じゃあ、ゆっくり基礎から覚えていきましょうか」

「お願いします」


 キーボードで予習していたおかげか基礎の部分はそんなに苦労せずに済んだ。

 どの鍵盤がどの音を出すのか。ペダルにはどんな意味があるのか。頭に叩き込んでしまえば凡ミスは大きく減らせる。

 後は楽譜側で音符の読み間違えに気をつければ、


「すごい。美桜ちゃん、本当に初めて?」

「ありがとうございます。上手くできてよかったです」


 先生から「初めてとは思えない」と褒めてもらえた。

 思ったより進みが早いからと初心者用の曲の楽譜をもらって本格的に弾く練習もした。

 押す鍵盤と楽譜の内容がわかっていても指と頭が追いつくかは別問題。こうなると何回も失敗してやり直す羽目になった。

 でも、


「ピアノって楽しいですね」


 一回目のレッスンが終わった感想はとても明るいもの。

 美桜の音感のおかげで助かっているし、知らないことを覚えている実感もある。

 素直に笑顔を浮かべてそう告げると先生は「よかった」と、どこかほっとしたような表情を浮かべた。


「また来週、今日の続きからやりましょうね、美桜ちゃん」

「はい。よろしくお願いします、先生」


 その日から、僕は指の感覚を忘れないようにできるだけ毎日自主練習をすることにした。

 学校の宿題もあるし、月曜と金曜にはプールもある。この他に休みの日には読モの撮影が入ったりするとなるとなかなか忙しい。

 空いている火曜と木曜はなるべく友達と遊ぶようにしたいし、僕は小学五年生にしてスケジュールに追われることになった。

 でも、楽しいから問題ない。


「美桜、無理せず大変ならやめてもいいからね?」

「そうそう。読モやってるだけだって十分すごいんだし」

「私、お姉ちゃんの肩揉んであげる」


 無理やりやらされてるんだったら辛いかもしれないけど、うちの家族はみんな優しい。

 体力的にきつくなったりなにか問題が起きるまでは続けてみようと僕は心に決めた。

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