5-34 さようなら、そして



 それから数日後。

 山の噴火によって進行が遅れていた聖女たちの部隊が、ようやく魔女の館に到着した。


 呪いの矢を携えた半人半馬ケンタウロスたちに襲われて以降は、戦闘も起こらなかったそうだ。

 襲撃時に怪我や呪いを受けた騎士たちも、聖女たちが即座に治療したため、問題なく完治したという。

 その際に使われた矢に込められた呪力は、『ブティック・ル・ブラン』の呪物と比べて非常に強力だったため、もしも解呪が遅れていたら、どうなっていたかわからないのだとか。


 呪いの矢を作っていたと思われる工房も、オル・ルトの証言と、半人半馬の魔獣ケンタウロスの足跡から、ヴェント隊が割り出したそうだ。

 工房内にいた魔人と、付近の魔獣を制圧し、矢も全て回収済。箱に入れ封印を施し、近くの教会の結界内へと運ばれている。



 そして、魔女の呪いだが。

 結論から言うと、聖女たち全員の力を集めても、魔女の呪いをすぐに解くことは、できなかった。

 とはいえ、一回の解呪でも、魔女の中に封じられている呪力は、確実に減少したらしい。


「すごいのじゃ! これをあと何十回と続ければ、呪力が消えるに違いないのじゃ!」


 ――聖女たち数十人の全力を注いだ解呪を、あと数十回。

 気が遠くなりそうではあるが、それで魔王が消え去るのなら、頑張れる。

 聖女たちはみな、かつて魔王を封印した『大聖女』に憧れているのだから。


「これで魔王が消えたら、そちらは皆、大聖女を超えることになるのじゃ。誰も為し得なかった偉業じゃぞ!」


 魔女が両手を天高く上げ、きらきらした目でそう言うと、聖女たちも俄然やる気になったのだった。





 聖女たちの到着と同時に、クロム様はここを出発することになった。

 なお、噴火の際に結界を張っていた騎士たちと、オースティン伯爵も、間もなくこの地を出立する予定である。

 聖女たちの護衛で同行した騎士たちは、聖女たちとペアの者を数名残して、とんぼ返りだ。聖女たちはともかく、騎士たちは大人数で滞在する必要がないためである。


 私は、出発前のクロム様を、魔女の館の玄関まで見送りに行った。


「これから、どちらへ?」


「隣国へ行ってみようと思ってる。国交が正常化したから、今はもう、普通に通れるんだ。……ごほっ」


「……大丈夫ですか?」


 クロム様は、最近、こうして咳をすることが増えた。やはり、顔色もかんばしくない。


「ああ、平気だ。この山の空気が汚いからじゃないか?」


「もう、クロム様ったら。天竜様の雨で火山灰もすでにほとんど落ちましたし、風の結界を張っていたのはご自分ではありませんか」


「はは、そうだったそうだった」


「……街に着いたら、ちゃんとお医者様に診てもらってくださいね」


 感染症や肺の病気だとしたら、私たち聖女の力では治すことができない。

 きちんとした治療と投薬を受ける必要があるのだ。


「ああ……そうだな。じゃあ、手紙の件、よろしくな」


「ええ、お任せ下さい。シュウ様にきちんとお渡ししますわ」


 クロム様は、今まで見せた中で一番優しい笑顔を残して、山を下りていったのだった。





 シナモン様は、オースティン伯爵に押し切られて、魔法騎士を続けることにしたようだ。

 彼女が一時的に魔族に乗っ取られてしまったことは、私たちだけの秘密になった。


 ただし、シナモン様の父親であるイグニ隊の隊長にだけは、真実はうまく隠しつつ、『彼女が失敗を犯し、隊全体が危なくなる場面があった』『それを重く感じた彼女が、退団しようと思うほど落ち込んだ』『しかし結果的に失敗はリカバーされ、被害はなかったため、退団には至らなかった』と伝えてある。


 イグニ隊の隊長は、魔法通信機越しにシナモン様を怒鳴りつけ、そして最後に、「皆が――それにお前が無事で良かった。よく頑張ったな」と、通信を締めくくった。

 シナモン様はその一言でまた瞳を潤ませて、「涙腺が壊れた。きっと魔族に取り憑かれたせいだ」と悪態をついていた。



 シナモン様とウィル様との関係は、もうすっかり元通りの関係に戻っているように見える。

 ただ、あれから、シナモン様はたびたびウィル様を目で追うようになっていた。


 シナモン様とウィル様が二人で話をしたときに、どんな会話をしたのか、私は尋ねていない。

 ウィル様も、特に話してはくれなかったし、私もあえて聞きたいとも思わなかった。


 けれど、シナモン様がウィル様を見るその視線に、切ないものが含まれているのを、私は感じていた。

 逆にウィル様はシナモン様を目で追うことはないし、今まで通り、隙あらば私を独り占めし甘やかそうとしてくる。なので、私自身の気持ちには何も問題はない。

 ただ……何となくモヤモヤするので、私も、あえて互いのことを聞かないように、見ないようにして過ごした。





 時折、滞在するメンバーが入れ替わりつつ、魔女の館で過ごすこと、三ヶ月。

 ついに、魔女の呪いが完全に解ける日が、やってきた。


「おお……この日をどれだけ夢見たことか……」


 鏡に映る自身の瞳を見て、魔女は、声を震わせた。

 彼女本来の瞳の色は、天竜や地竜と同じ、美しい金色だ。


「わらわは……わらわは、もう、自由なんじゃな」


 つう、と透明な雫がひとすじ、魔女の白い頬を濡らす。


「どこへ行っても、いいんじゃな。街を歩いても、何を食べても、めいっぱい遊んでも、いいんじゃな」


「――ああ。頑張ったな、魔女殿」


 地獄の訓練を終えて魔女の護衛任務に戻っていたシナモン様が、優しく魔女の頭をぽんぽんと撫でる。

 護衛騎士は何度も入れ替わっていたが、なんだかんだで魔女が一番頼りにし、心を開いているのが、シナモン様だった。


「もう、他者の生命も、記憶も、奪わなくていいんじゃな。聖獣たちを自由にしてやっても、いいんじゃな。わらわ……わらわ……うわぁぁぁん」


 魔女は、シナモン様に抱きついて、年相応に、声を上げて大泣きしたのだった。





 それから。

 火口の爆発で高さを減じた死の山の中腹に、ぽつんと建っていた石造りの家は、空き家となった。


 その家の主は、クマの帽子とポシェットを身につけ、小さな蛇と蜥蜴と亀をお供に、紫色の髪の騎士と仲良く王国各地を巡っている。

 お洒落をして、美食を堪能し、演劇や舞台を見て、名所や旧跡を訪れては懐かしむ日々。


 願いを叶える魔女の噂はいつしかなくなり、暗雲たちこめる灰の森も、綺麗さっぱり姿を消した。


 ――しかし、彼女が大人になることは、なかった。

 何年かかけて心を癒やし、平和な世界を堪能した少女は、ある日突然、眠るように息を引き取ったのだという。

 時を操る禁術の代償は、彼女自身の寿命だったのだ。


 それでも、最期は穏やかに、安らかに、仲間の元へ行けることを喜びながら――笑顔で世を去ったと、後に紫の騎士は語ったのだった。


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