4-10 侯爵の変化
「父には保護していただいた恩があるのに、どうしても言い方が悪くなってしまうこと……ご不快かもしれませんが、お許し下さい」
リリー嬢はそう前置きをして、続ける。
「紅い目の男が侯爵家に来てから、父はさらに人が変わったようになりました。それまで父は……お金や権力、地位にしか興味のないような人でした。家族との時間も、あまり取ってはくれませんでした。それでも、誓って、家族に酷いことをするような人ではなかったのです」
「……一体、何があったのです?」
「父が、自らの手で、お母様を幽閉したのです」
「侯爵が……夫人を幽閉?」
リリー嬢は、悲しそうに眉を下げて、頷いた。
「本当のところはわかりませんが、もしかしたら、神殿騎士団について、色々と口を出すのがうるさかったのかもしれません。神殿騎士団の正当な後継者は、父ではなくお母様の方ですから。お母様は神殿騎士団長にこそなれませんでしたが、責任を持って役割を果たそうとしていたと思います」
「それで……夫人が幽閉された後、どうなったのです?」
「父はまず最初に、新しい事業を立ち上げました。『ブティック・ル・ブラン』という服飾と宝飾のお店です」
――『ブティック・ル・ブラン』。それは、市井に呪物を流通させているブティックの名前だ。
私のところにも、以前、呪いのストールが送られてきた。
「『ブティック・ル・ブラン』には、実店舗は存在しません。父によると、品物の製造方法も販路も、教会の大神官長様がご教示下さったそうです。製造に携わるのは、父がどこからか見つけてきた職人さんたちと、私たち侯爵家の三姉妹でした」
「貴女たちも、最初から製造に関わっていたのですか?」
「……恥ずかしながら。オースティン様はご覧になったかと思いますが、あの庭にはいくつか離れが建てられていて、その一つ一つで別々の品物を製造しています。私は布製品に刺繍をする仕事を宛てがわれていました」
「ええ、確かにそうでしたね。他の離れについては、あの時は気づきませんでしたが、侯爵家の敷地を調査している魔法騎士団員から報告が上がっていましたので、存じ上げています」
ガードナー侯爵家には、現在、魔法騎士団の調査が入っている。侯爵もまだ、檻の中だ。
「最後の仕上げ、宝石の縫い付けだけは、紅い目の男が自ら行っておりました。私は早々に離れの一室に幽閉されてしまったので、完成品を見たことがありませんでしたが、自由に母屋へ行き来していたローズお姉様やデイジーは、知っているかもしれません」
「そうですか……それにしても、貴女はなぜ幽閉されたのですか? ガードナー侯爵にとっては、貴女は大切な手駒だったのでは?」
「手駒であれば、ヒースもおりましたから。『紅い目の男』が屋敷に来た頃にはすでに、父はヒースが私の実兄であることを知っていたのだと思いますわ。……私たちは迂闊にも、二人の時はため口で話したりしていましたので」
確かに、リリーの従者であるヒースが、彼女に対してため口で話していたら――それは、ヒースがリリーと同じく王族である可能性を、まず最初に考えるだろう。
恋人関係や幼馴染み同士など、親しい間柄だったとしても、王族に仕えてきた人間なのであれば、二人きりであっても完全に対等な関係にはならないはずだ。
「幽閉のきっかけは、デイジーへの見せしめだったと思います。きちんと婚約を成立させ、駒として働けと……そうしないと、私やお母様のように自由を奪われると。その結果、デイジーがオースティン様にも、ミア様にも、ご迷惑をおかけすることになってしまい……申し訳なく思っております」
「いえ、そのことでしたら、お気になさらず。結果的に、私とミアとの仲が深まる一つのきっかけにもなりましたし」
ウィル様は、私に視線を向けると、甘く微笑んだ。私も、目を細めて頷く。
「……私が幽閉されたことで、ヒースも同時に、人質と化してしまいました。父は、私の命が惜しければ、私の代わりに駒となり、デイジーに従って王国内での基盤をもっと確かにすることを、ヒースに望みました。そして、ヒースはデイジーの立てた計画に失敗し……その後は、南の丘教会に移送されました」
「聖女のマリィ嬢から聞きました。南の丘教会に移送された後、ヒースの告発によって、ガードナー侯爵と教会、そして魔族の企みが明らかになったと」
「まあ……。普通なら魔族が関与しているなんて、嘘だと一蹴されて終わることでしょうに。南の丘教会の聖女様は、ヒースの突飛な話を信じて下さったのですね」
「ええ。その情報のおかげで、魔族による被害を最小限に食い止め、早々に治療を開始することができました」
ヒースの情報があったからこそ、南の丘教会とローズ様、アイザック様の間で、すぐに連携が取れたのだろう。
しかし、リリー嬢は、眉を下げた。
「でも、ヒースは……。私が父に捕まってしまったせいで、私の代わりに、あんな役目を負わされて……。あの、オースティン様。ヒースは、やはり、処刑されてしまうのでしょうか」
「いえ。彼が隣国の王族である以上、こちらの王国では簡単に刑を執行することができません。今回の件に関わっていたと思われる、外務大臣や王弟殿下を通さず、改めて正式なルートで隣国との協議が行われるはずです」
「そう、ですか……。ありがとうございます」
リリー嬢は、お礼を言うと、すっと目を伏せた。
「この件について、私からお話しできるのは、この程度なのですが。もう、よろしいですか?」
「ええ、この件は充分です。他の方やヒースの話とも整合性がとれました」
ウィル様は、魔道具のペンと記録用紙を片付け始める。
しかし、片付けを終えても、彼は席を立たない。
「あの……オースティン様?」
「……実は、仕事とは別に、もう一つお伺いしたいことがありまして。先程貴女は、国境を越える前後で記憶を失ってしまったとおっしゃいましたね。もしよろしければ、そのことについて、少し聞きたいのですが」
記憶を失った時のことなんて……その後のことならまだしも、本人がどこまで覚えているものだろうか。案の定、リリー嬢は訝しげな表情をする。
「記憶のことは……私自身は覚えていないので、正確なお話はできないかと存じますが」
「何でもいいのです。当時の状況について、ヒースから、何か話を聞いているのではありませんか?」
「……確かに、聞いています。私が、記憶を失うきっかけになった出来事の話は。ですが、魔族の件以上に荒唐無稽なお話ですよ? 信じていただけるか……」
「構いません」
ウィル様は、リリー嬢の語尾に被せるように告げる。
先程までの態度に比べて、真剣味が増した様子のウィル様に、リリー嬢は眉を寄せた。
「――リリー嬢。単刀直入にお聞きしますが、貴女の記憶喪失には、『魔女』が関わっているのではありませんか?」
ウィル様から出た思わぬ人物の名に、私もリリー嬢も目を瞬かせたのだった。
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