3-35 二人で、未来へ
「ウィル様……ごめんなさい。私、あなたに、辛い思いをさせてしまったのですね」
私は、ウィル様に頭を下げた。ウィル様は不可解そうに、首を横に振っている。
「どうしてミアが謝るの? 全部俺が――」
「いえ。私が、ウィル様に、消えない傷を負わせてしまったのですよね。最期に、余計なことを言ったから」
「違うよ、ミア」
「違いませんわ。『私も、ウィル様も、自由になれる』……別の時間の私は、そう言ったのですよね? それは……私自身も、ウィル様から逃げていたことの証左に他なりませんわ」
私は、ウィル様から幼少期のことを打ち明けられるまでずっと、『ルゥ』の手を離してしまったことを後悔していた。
ルゥのことは、私にとっても心の枷となっていたのだ。私は、あの時救えなかった『ルゥ』の代わりに、誰かを守ったことにして、その枷から逃げたかったのだと思う。
「私は、心が弱かったのです。今はウィル様と過ごせる幸せを知り、たくさんの人と関わりを持ち、ようやく自分自身を認めることができましたけれど……その時間の私は、きっと、変わらず弱いままだったのでしょう。私が自由にしたかったのは、ウィル様のことではなく、自分自身だった」
そして、その言葉は、ウィル様に枷をはめてしまった。
自由からはほど遠いところへ、ウィル様を追い込んでしまったのだ。
「だから、本当にごめんなさい」
「ミア……謝らないで。逆行の選択をしたのは、まぎれもない、俺自身だ。それに、あの時のミアは、きみだけど、きみじゃない」
「いいえ。その時間の私も、確かに私なのです。だって……ウィル様が私を大切にしてくれるようになるまで、私は、自分自身を蔑ろにしてきたから」
私の中で、『ルゥ』とのことがずっと心から離れず、自分自身を蝕んでいた。
「私は……そう、ベイカー男爵の黒い靄を見て、教会に行くように進言した時……少なくともその時点では、確かにこう思っていました。『目の前で誰かが刃を向けられていたら、私がその刃を代わりに受ける方が良い。そうすれば私の心は自由でいられる』と」
「ミア……」
「ずっと、心の中で引っかかっていました。私は今、『ルゥ』を犠牲にして、生きていると」
別の時間軸の私が、ウィル様の心にはめてしまった枷は、それと同じものだ。
私を犠牲にして、ウィル様は助かったと思っている。ウィル様は、そんな自分自身に価値を見いだせなくなり、対価を支払うことを決めてしまった――。
「でも、この身に宿る聖魔法の力が、教えてくれたんです。自分の命を蔑ろにして、自棄になって他者を救うのは、逃げ。大切な人を守りたいと心から願って救う方が、ずっと強く尊い」
だから、その時の私よりも、ウィル様の方が、強かったんだと思う。
けれど。
彼は一つだけ、間違えている。
「――そして、大切な人を本当に守りたいのなら、自分自身も大切にしなくてはならないのですわ。だって、私……ウィル様が傷つき苦しんでいるのを見るのは、つらいもの。代わってあげたいと思ってしまうもの」
「ミア……」
「ですから、自分の命に価値がないなんて、おっしゃらないで。私にとって、貴方は大切なひとなのですから」
「……うん。そうだよね。ごめん」
ウィル様ははっとしたように項垂れた。私の言わんとすることを、理解してくれたのだろう。
ウィル様は、耳をわずかに赤くして、気まずそうに頬を掻いている。
「ねえ……ウィル様。魔女に支払った『対価』とは、何なのですか?」
「それは……、逆行の時点まで『今回』の時間が進んだら、その時に支払うことになっているんだ。支払うものは……とても大きいものだ」
「それは、一体……?」
ウィル様は、目を閉じて首を力なく横に振る。
「……まだ、お話しできないことですか?」
「うん……、いや……そうではないけれど。でも、望みを完全に絶たれたわけじゃないんだ。魔女を満足させる『土産』を渡すことができれば、代償は一部キャンセルされる。だから、まだ俺の支払うべき対価は、正確には決まっていない」
「そう……ですか。その、お土産というのは?」
「魔女の望みは、『賢者の石』――伝説の物質さ」
「賢者の石?」
「ああ。曰く、卑金属を黄金に変える。曰く、傷も病も呪いさえも、すべてを癒やす。曰く、永遠の命をもたらす――」
「まあ、そんな不思議な石が……たった一つの石に、この世のすべての奇跡を集めたような力が、備わっているのですか?」
「うん、けれど、実際にはよくわかっていないんだ。色も、大きさも、形も……石の形状なのかどうかさえも」
「そんな……そうしたら……」
手がかりがそんなに少ないのであれば、見つけ出すのは難しいのではないか。
「……ひとつ、考えていることがあるんだ。見つからないのなら、創り出せばいい」
「……創る?」
「ああ。すべての機能が備わったものは流石に無理だろうけど、二つ目の効果を持つ石だったら、創れるかもしれないと思わない? ――『魔法石研究所』で」
「――あ」
傷も病も呪いさえも、すべてを癒やす。
それは、聖女の力にほど近いものだ。
「そして、魔女はすでに数百年の時を生きている。ならば、元々永遠の命に近いものを持っているか、その手段を手にしているのだろう。それに、一人でひっそりと暮らしているのに、黄金がさほど必要だとも思えない。つまり、聖女の力を極限まで込めた魔法石を持ち込めば……」
「希望はある、ということですわね」
「ああ」
ウィル様は、私を安心させるように、微笑んだ。
「確かに対価のことは少し不安ではあるけれど、俺は、この選択を後悔していないよ」
ウィル様はそう言って椅子から立ち、私のそばまで来て、手のひらを差し出す。
「だって、そのおかげで、こうしてミアと心を通わせることができた。それは、俺にとって望外の喜びだ」
私が、愛しいひとの手に自らの手を重ねると、彼はその甲に優しい口づけを落とした。
「ウィル様……」
「――愛しているよ、ミア。俺はもう、ミアの笑顔を失いたくない。だから、今度は、絶対にきみを呪いから守り抜いてみせる」
決意のこもった新緑色の瞳が、まっすぐに私を見つめている。
「……私も、愛しています。こんなにも深い貴方の愛があれば、呪いになんか、負ける気がしませんわ」
「ミア……!」
私の返事に、ウィル様の顔が綻ぶ。
ウィル様と手を重ねたまま、私は椅子から立ち上がった。それだけで、愛しいひととの距離が、ぐんと近づく。
私がウィル様の胸に頭を預けると、彼は嬉しそうに、私の腰に手を添えた。
「それから、私の聖魔法で、必ずウィル様を救ってみせます」
「ああ。必ず、生き延びよう。二人で、未来へ」
ウィル様は、私を抱く力を強くする。
強く優しい微笑みを、秀麗なその顔に浮かべて。
「約束ですよ」
「ああ。約束だ」
抱き合いながら、視線を絡めあった私たちは、どちらからともなく、目を閉じる。
そうして、重なった柔らかな熱が、角度を変えて何度も触れあうのだった。
――二人でなら、なんとかなる。
ウィル様となら、本気でそう信じられる。
甘い熱に溶かされて、私の不安も闇に散っていくようだ。
闇夜を彩る星明かりは、ただ穏やかに柔らかに、私たちの空で瞬いていた――。
【第三部 完】
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