3-21 ガードナー侯爵と靄



 舞踏会の開始を告げる、鐘の音が鳴る。

 国王陛下が立ち上がると、座っていた貴族たちも一斉に立つ。


 国王陛下ご夫妻がボールルームの中央に歩み出ると、部屋の一角で、音楽家たちが曲を奏で始めた。国王ご夫妻が、生演奏をバックに優雅に踊るさまを、皆で見守る。

 それから王太子殿下、王女殿下と続き、爵位の高いものへと順番が移っていくと、ダンスフロアは徐々に賑わい始めた。



 ダンスを楽しむ人々を横目に、私たちは、壁際でのんびりと談笑していた。久しぶりの一家団欒である。


「お父様、お母様。踊らなくてよろしいのですか?」


「ああ、構わないよ」


「ええ、お母様も、今はたくさんお話をしたいわ」


「……ありがとうございます」


 お父様もお母様も、ダンスは嫌いではないはずだが、私に気を使ってくれているのだろう。

 お二人には申し訳ないけれど、嬉しい気持ちもあって、私はお言葉に甘えることにした。


 続けて、私は隣でにこにこしているお兄様を見上げて、問いかけた。


「お兄様も、よろしいのですか?」


「僕は相手もいないし、踊りに興味ないからね。それとも、ミアが僕と踊ってくれる?」


 お兄様は手を差し出しかけたが、急にその手を引っ込めて、バッと後ろを振り返った。

 つられて私もそちらを見ると、お兄様の視線の先にいたのは、仕事中のはずのウィル様だったようだ。

 ウィル様は、お兄様に向けて刺すような視線を向けていたが、私と目が合うと和やかに微笑む。


「……ははは。やっぱり、怒られちゃうからやめとくよ」


「まったくもう、ウィル様ったら。私の家族にまで嫉妬するなんて。疲れないのかしら」


「そう、だね。はは……」


 お兄様は、乾いた笑いをこぼした。


「マーガレットは、いいの?」


「わたくしは、お姉様と一緒に過ごすと決めておりますわ! デイジーお姉様もいらっしゃらないですし」


「あら、デイジー嬢はまだ学園に見えないの?」


 元気いっぱいに答えたマーガレットに、お母様が尋ねる。


「ええ、お茶会にも、パーティーにも参加なさらないですし、連絡がつかないのです」


「まあ……それは……。なんていうか、ごめんなさいだわ」


 お母様は、ばつが悪そうに頬をかき、辺りをきょろきょろと見回す。


「今日は、ガードナー侯爵家も招待されているはずだけど……まだ来ていないのかしら」


「そのようだな。王家主催の舞踏会を欠席するなんて、あの男にしては珍しいな。……おや?」


 お父様は何かに気づいたように、入り口の方を見る。


「噂をすれば、ガードナー侯爵家のご到着だ。遅れて参加とは……なかなか良いご身分だな」


「……あれが……ガードナー侯爵ですか?」


 ガードナー侯爵は、全身に真っ黒な靄がまとわりついていた。

 靄は深く濃い――まるで人の形をした、魔石や呪物を見ているかのようだ。


「ああ。あの痩せぎすのギョロ目がガードナー侯爵だよ」


「そう、ですか……」


 お父様は心底嫌そうにそう言ったが、私には真っ黒な靄のせいで顔を確認することもできなかった。


 神殿騎士の家系なら、当然教会の聖女様と会う機会もあるはずだ。なのに、どうしてあんなに呪いが進行してしまったのだろうか?

 見るからに根の深そうな呪いだ。普通の人だったら、痛みで床に伏せっているだろう――動いているのが奇跡のように思える。


「侯爵夫人は今日もお見えにならないのね。一番上のお嬢さんは、婚約者さんと一緒かしら?」


 お母様の言ったとおり、侯爵夫人とローズ嬢は来ていないようだ。侯爵の後ろを追従するのは、痩せた灰色髪の令嬢。彼女が次女のリリー嬢だろう。

 そして――。


「まあ! デイジーお姉様!?」


 たった今、扉から姿を現した紅髪の令嬢を見て、マーガレットが驚きの声を上げた。

 だが、音楽の演奏や話し声で賑やかなので、マーガレットの声が本人に届くことはなかったようだ。

 デイジー嬢は新年の夜会で見せた高慢な態度とは打って変わって、うつむきがちに二人の後を歩いてゆく。


「……デイジーお姉様、お元気なさそうだわ」


 マーガレットは心配そうに眉を下げる。


 デイジー嬢は以前、非常識な方法で私とウィル様の間に割り込もうとした。

 私は彼女をそう簡単に許すことはできないが、マーガレットにとっては、デイジー嬢は大切な友人の一人。入学したばかりの学園で、右も左もわからない時に、親切にしてくれた恩人でもある。

 元気がない彼女の姿を見るのは、やはり心配だろう。


 だが、前を歩くガードナー侯爵が、デイジー嬢を気にかけている様子はない。かろうじて、リリー嬢が時折振り返って、心配そうな眼差しを送るだけだ。

 静かに三人の後ろを歩いている、浅黒い肌と真っ赤な瞳の従者らしき男性など、デイジー嬢を心配するどころか、蔑むような浅い冷笑を浮かべていた。


「……あの男……どこかで……? どこだったかな?」


 オスカーお兄様が、ガードナー侯爵家の向かった先を見やりながら、ぽつりと呟いた。

 誰か、会ったことのある人がいたのだろう。だが、結局思い出せなかったらしい。


「デイジーお姉様……」


「マーガレット、心配でしょうけど、今日はデイジー嬢に自分から話しかけるのは、遠慮した方が良さそうね」


「はい……そうします」


 マーガレットは、珍しく聞き分けよく、お母様の助言を聞き入れた。


 ……と思いきや、マーガレットの視線は、すぐに会場の端に釘付けになる。


「それより、あちらに美味しそうなお料理がありますわよ!」


「はは、マーガレットは色気より食い気だな」


「いいえ。マーガレットは、デイジー嬢が見えたことより、ミアと過ごせることの方が嬉しいのだわ」


「ほらほら、オスカーお兄様、ミアお姉様、それより早くお料理を取りに参りませんか?」


 お父様が愉快そうに笑い、お母様はひとりうんうんと頷いた。

 当のマーガレットの意識はもうお料理に向かっているらしく、私たちを急かしている。


「ああ、いいね。行こうか」


「お父様とお母様の分も、いただいて参りますね」


 すっかり元気いっぱいになったマーガレットに引っ張られるように、私たち兄妹は、料理を取りに向かったのだった。



 しばらくして、再び鐘の音が鳴る。

 国王陛下からお言葉を賜る時間だ。

 ダンスフロアにいた人々も、歓談していた人々も、みな壇上に注目する。


 その時だった。


 視界の端で、黒い靄がぶわりと膨れ上がったのは――。

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