2-5 ベイカー男爵の『病』



 半年ぶりに会ったベイカー男爵は、驚くほどスリムになっていた。

 仮にも貴族、顔に出してはいけないと思うのだが、出てしまっていたようだ。男爵は、自らその経緯を説明してくれた。


「はっはっは、すっかり痩せて驚いたでしょう。冬に入ってから、しばらく調子が優れなくてね。重い腰をあげてようやく教会に行ったのだがね、完治しなくて、今もまだ教会通いだよ」


「それは大変でしたね」


 確かに、男爵の身体のあちこちに、黒いもやがまだ纏わりついていた。

 半年前に見た時には、片方の腕にしか靄はなかったのだが、一度全身に広がってしまったのだろう。

 教会で解呪を受けたためか、靄の濃さはかなり減じているものの、両手両足の先まで、所々ぼんやりとした靄に覆われている。


「ベイカー男爵……失礼を承知で伺いますが――」


 ウィル様はそこで言葉を切ると、心配そうに眉を下げ、声を落とした。


「――男爵のご病気は、最近貴族の間で流行っている病と関係があるのですか?」


「……うーむ、どうだろうなあ」


 ベイカー男爵は、顎に手を当て、首をひねる。

 以前と違って、顎と首の境目がわかるようになっているのが、闘病生活の辛さを物語っていた。


「他の方の症状を聞いたわけでもないし、私には何とも。教会の聖女様からは、人から人へ感染うつるようなものではないと聞いているし、違うのではないかな」


「そうなのですか……不躾ぶしつけなことを伺ってしまい、申し訳ありません」


「いいや、誰しも不安だろうからね。私の周りでも話題になっとるし、他の方からも何度か聞かれたよ」


 ウィル様は軽く頭を下げたが、ベイカー男爵は、気にした風もないようだった。

 それだけでなく、ウィル様を安心させるように笑って、明るい口調で続ける。


「教会に行けば治るということだから、そんなに心配はいらないのではないかね? まあ、懐の方は少しばかり寒くなるがね、はっはっは」


 教会に何度も通わなくてはならないのは、確かにお財布に負担がかかりそうだ。

 平民だったら、完治まで通い続けるのは難しいだろう。呪いが流行っているのは貴族が中心だから、まだ犠牲者が少なく済んでいるのかもしれない。


 男爵の言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ、ウィル様が眉をぴくりと上げた。何か思うところがあったのだろうか。

 だか、表情の変化はごく僅かで、すぐ横にいた私しか気付いていないようだった。



 ウィル様はその後も何気ない会話を続け、さりげなく呪いの指輪を買った骨董品店まで聞き出していた。

 貴族同士の会話というより、やっぱり誘導尋問を見ているみたいだ。男爵は、誘導されていることに気づいてもいないだろうが。


 男爵の指には、呪いの元となった指輪がいまだにはまっている。かなり薄まってはいたものの、今も黒い靄が取りつき、禍々しい気配を放っていた。


「――ご紹介、感謝します。そのお店、今度訪ねてみますよ」


「うむ、よければ紹介状を書かせてもらうよ。後日、郵送しよう」


「助かります」


 ウィル様も、男爵に話を聞き終わったようだ。

 男爵はもう帰るようで、再びお父様と挨拶を交わしている。

 その隙に、私は背伸びをして、ウィル様に耳打ちした。


「男爵の黒い靄、あれなら私でも解呪できそうなレベルにまで弱まっていますわ。きっと、次の解呪で完治すると思います」


「そうか、それは良かった」


「ええ。心配でしたので、一安心ですわ」


 お父様と話を終えた男爵を全員で見送り、ウィル様もお父様に挨拶をしてから、帰路についた。



 なんだか変に疲れる一日だった。

 慣れない外出で足も疲れたし、気疲れもしたし、ウィル様はやたら甘くて心臓が三日分ぐらい働いた気がするし。


 ――だが、私の長い一日は、まだ終わらないようだ。


「お姉様ぁぁぁぁ!!」


「きゃっ、ま、マーガレット!?」


「ゔぅぅ、おねぇぇさまぁぁあ、どうじでぇぇ」


 ウィル様の見送りを終えて、邸内に戻ろうかという時に、急に妹のマーガレットが突進してきたのだ。

 いつもウィル様が訪れる時は、使用人に止められているらしく部屋から出てこないのだが、馬車の姿が見えなくなるとすぐにやって来る。

 マーガレットは大抵ぷりぷり怒っているのだが、今日はなぜだか、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。


「ど、どうしたの、マーガレット。とにかく中へ」


「ぅぁああぁい」


 幼子のように泣きじゃくるマーガレットをなだめながら、私の部屋へ招き入れる。

 すかさず侍女のシェリーが、気持ちの落ち着くハーブティーを用意してくれた。


「……それで、マーガレット、どうして泣いていたの?」


「だっでぇ、お姉様がぁ……黒髪の悪魔にいぃ」


「悪魔だなんて、そんな風に言わないで。ウィル様は、私の大切な婚約者よ」


「うぃ……っ、たい……っ!?」


 私の返答に、マーガレットは信じられないものを見るように目を見開いた。


「ねえ、マーガレット。勘違いしているようだけれど、彼は、あなたの思っているような人じゃないわ。無理して一緒にいるわけじゃないの」


「嘘ですっ、だってぇ、お姉様はあんなに嫌がって、お疲れになって」


「最初の頃は確かにそうだったわ。でもね、今のウィル様は、私のことをちゃんと見てくれる。大切にしてくれる。私の嫌がることは、絶対にしないわ」


「そんなの、信じられません! お姉様は騙されて……わたくしの、お姉様が……わたくしのっ」


「マーガレット、私は騙されてなんていないわ。あのね、よく聞いて」


「――嫌ですっ! 聞きませんっ!!」


 マーガレットは、私に思いっきり抱きついてきて、首をいやいやと横に振るばかりだった。

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