氷麗の騎士は私にだけ甘く微笑む

矢口愛留

《第一部 誓いの原点と秘められし力》

1-1 婚約者は氷麗の騎士(……だったはず)




「ミア――愛しいミア。今度こそ必ず君を守る。だからどうか俺を――」


 もう開くことのないまぶたに、優しいくちづけが降ってくる。

 泣きそうに、すがるように、愛しいと語りかけるその声は、一体誰のものだったか――




――*――



 不思議な夢の残り香に、私はぼんやりまぶたを開く。

 どうやらうたた寝してしまったようだ。

 ノックの音が響き、扉の外から執事の声が聞こえてくる。


「ミアお嬢様、失礼致します。オースティン様がお越しになりました」


「あ――もうそんな時間? すぐに参りますと伝えてちょうだい」


「承知致しました」


 私が返答すると、足音はすぐさま遠ざかっていった。

 姿見の前に座ると、すかさず侍女が髪と化粧を整えてくれる。


 白銀色にきらめく髪が結われていくのを見つめる、鏡の中の青い瞳は、ただただ憂いに満ちていた。


 化粧が済むと、私はひとつため息を落とし、家同士が取り決めた形ばかりの婚約者の元へと、重い足を向けたのだった。



 ウィリアム・ルーク・オースティン。


 オースティン伯爵家の三男で、私、ミア・ステラ・エヴァンズ子爵令嬢の婚約者である。

 透明感のある白い肌、さらりとした黒髪。淡い緑色の瞳は、柔らかい色味のはずなのに、人に与える印象はどこか冷たい。


 ウィリアム様は、今日で十六歳の誕生日を迎え、私の二つ年上になった。

 年齢の割に大人っぽく、芸術品のように整った容姿の彼は、魔法騎士を目指している。


 同年代の誰よりも賢く強いウィリアム様は、令嬢たちの憧れの的だ。

 眉目秀麗な見目と冷たい雰囲気、強力な氷魔法とその優秀さから、騎士団入団前にも関わらず『氷麗の騎士』と持て囃されている。


 ウィリアム様は、誰に対してもなびかず、常にクールで感情をあらわにしない人だ。

 それは婚約者である私に対しても同じ――だったはずである。



 なのに。

 ここ数日の間に、何か心境の変化でもあったのだろうか。



 ――子爵家の応接間で待つウィリアム様は、見たことがないほど上機嫌で、謎にキラキラしたオーラを放っていた。


「ウィリアム様、お待たせ致し――」


「ああ、ミア! 会いたかった!」


 私の姿を見るや否や、ウィリアム様はぱあっと笑顔を花開かせて立ち上がり、嬉しそうに駆け寄って私の手を取った。


 ただでさえ美しいお顔なのに、こんな間近でキラキラオーラを振りまかれたら、もう眩しすぎて見ていられない。そしてそれ以上に、今まで冷たかったウィリアム様のこの変化が、ものすごく不気味だ。


 私は、失礼だと思いながらもついつい目を逸らし、顔をのけ反らせて恐る恐る質問した。


「ウ、ウィリアム様……何か悪いものでも召し上がりました?」


「ああっ、ミアがの名前を呼んでくれるなんて、何年ぶりだろう! まるで夢のようだ……!」


「え……あの……本当にどうされたのですか……?」


「あ、ああ、問題ない。少し取り乱した、すまない」


 数日前にもウィリアム様には会っているし、名前ぐらい呼んでいるはずだ。しかも『俺』だなんて……普段はそんな一人称を使わないし、こんなにコロコロ表情が変わるところも見たことがない。


 慌てて体裁を取り繕っているが、なんだか、ブンブン揺れる尻尾が幻視されるのは気のせいだろうか。


「それにしてもミア、今日の君はいつにも増して可憐だね。私の誕生日のために着飾ってくれたのかい? 清楚な青いドレスが、海のようにきらめく君の瞳の色によく合っていて、君の神秘的な美しさを引き立たせているよ。まるで天使が舞い降りたかのようだ。ただ欲を言うなら、アクセサリーに私の色を取り入れてくれると嬉しいな。そうだ、今度君に何か贈り物を――」


 ついこの間まで冷たく突き放されていたというのに、急にこの変化である――ウィリアム様には申し訳ないが、裏がありそうで薄気味悪い。華やかに並び立てた言葉もきっと世辞だろう。


 私は正直、急激な変化に頭が追いつかず、ドン引きしてしまったのだった。

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