第10話
アルはゼルヴィアに連れられて、ザンの住処である丘の上へ向かった。
秘密に関する内容はすでに話し終えている。
後は、それを使用する為の精霊を身に宿さなければいけない。
「まさかお前に先越されるとはなぁ」
車椅子を押して坂道を登るラウロがぶつくさ言ってくるので、得意げなアルが鼻を鳴らした。
「成人して従士になったらラウロも貰えるんでしょ」
「痩せっぽちのな。枯れた土地に大した精霊なんて現れねえよ」
「私も弱いの入れるって言ってたから、どうなんだろ」
今回アルが宿すことになる精霊は、ゼルヴィアが内地から持ち込んだものだ。
詳しいことは知らない。
土地それぞれ、環境に応じた力が溜まり、自然と意思を持つようになった存在をこの地では精霊と呼ぶ。
暑い土地では熱に関する精霊が、寒い土地では冷気に関する精霊が、という程度の知識しか二人には無い。
この外地では土地が痩せ、自然も乏しく、かといって何かの特色がある訳でもない。
だから強い精霊は生まれない。
死者の魂が凝って生じる、悪霊などと呼ばれる存在もあるが、恨み辛みの溜まり易い土地という訳でもなかった。
「というかラウロは見張りじゃなかったの、上がってきていいの」
「ほら、高い場所の方が見渡せるだろ」
どうせ見たいだけだ、思いつつも機嫌が良いので言わなかった。
普段自分を馬鹿にしてくる相手に見せびらかしたかったのもある。
「内地の精霊見る機会なんて滅多にないしな」
「私ここの精霊も見た覚えないんだけど」
「そりゃお前、森にも入れねえんだからな」
命の育まれる場所には精霊が生じやすい。
良い畑には精霊が宿る、などと言われることもあるくらいで、肥沃な土地では収穫の度に多くの精霊も共に収集されると聞く。
外から眺めているだけのアルでは、見たことがないのも当然だった。
坂道を上がりながら、件の森を眺める。
後ろに身を預ける形となった為、体重を掛けるなとラウロに文句を言われたが無視した。少し逞しくなってきた彼の腕に頭をぶつけながら身を捻り、
「あ、あの子だ」
「あん?」
「こないだの森の子。騎士様の従士の」
「あぁ、なんだよアイツまた雑用やらされてんのかぁ。へっ、従士ってもただのガキだしな」
随分と距離はあるが、薄い赤色の髪が判別出来た。
ラウロにはその程度だが、アルはもう少し見えている。
「ほら、もうじき着くぞ、っと!?」
「あぁその辺り盛り上がってるよ」
「先に言えよ!?」
結局登り切れず、やってきたゼルヴィアに手助けして貰って二人は小屋へと辿り着いた。
そこで待っていたのは、ザンとゼルヴィア。
ジーンはと言うと。
「いつまでも道の真ん中で止まっているな、邪魔だ」
「っ、はい!!」
黒馬に乗ってアル達の後ろから付いてきていたのだ。
ラウロが異様に委縮していることで訝しんだアルだが、まあどうでもいいかと自分で車輪を押して車椅子を滑らせる。
キツい坂道はどうにもならなかったが、ここは彼女にとっても慣れ親しんだ場所だ。
それこそ僅かな起伏一つ、小石の配置に至るまでしっかり把握している。
ゼルヴィアの連れていた栗毛の馬にジーンも自分の馬を並べ、手綱を木の枝に結わえ付ける。変わった結び方をしていたのでついアルの視線が吸い付いた。
「それってなんでそんな結び方してるの?」
「うん?」
戻ってきたジーンへ気安く声を掛け、後ろに居たラウロがまた身を強張らせる。
「あぁ。馬が暴れて手綱を引いても解けないようにな。だが余らせた方を人間が引けば、簡単に解けるようになっている。襲撃を受けた際、馬が勝手に逃げず、すぐ出発出来る」
「へぇ……っ。後で教えて貰っていい?」
「断る。なんで俺がそんな面倒を」
「えーっ、いいじゃん!」
「断る」
問答は時間の無駄と思ったのだろう、アルを置いて一人坂道の降り口へ歩いて行った。微妙に下がった位置で立っているのは、明らかに寄ってこさせない為だ。
「お前分かってねえだろ……」
「あーっ、勝手に引っ張らないでよお。結び目見たいんだけど」
「今は騎士様待たせてるんだから、そっちが先だ馬鹿」
既に準備を終えているゼルヴィアが、傍らでむっつり黙り込んでいるザンと共にアルの様子を眺めていた。
内地の騎士はどこか力の抜けた様子で、二人の様子を微笑まし気に見ているだけだったが、砦で上下関係を徹底的に叩き込まれたラウロからすれば気が気ではない。
「もういいのかい?」
「なんかラウロが煩くって」
「お前なぁ……」
「それじゃあ始めよう。先生、それと君、少し離れて貰えるかな?」
※ ※ ※
薪割り用の切り株を挟んで、アルとゼルヴィアは対峙した。
切り株の上には小瓶が一つ。
興味深げに見詰めるアルとは逆に、ゼルヴィアは周囲を確認し、最後に空を仰いだ。
「うん。天候もいいし、環境も悪くない。先生が選んだ場所だけある」
それから切り株の前で膝を付いて、小瓶の蓋へ触れる。
「さっき話したけど、内地では明確に精霊を身に宿すのは十五になってからという法律がある。守られていないのが実情だけど、過剰に力の大きな精霊を宿せば最悪肉体と精神を乗っ取られるというのも本当だ。今から君には極めて弱い精霊を宿らせ、そこから随時様子を見ながら追加していくことになる。場合によってはかなり辛い思いをすることもある。肉体に異物を宿すというのは、その者の精神性を歪めることもあるからね」
「……はい」
言われた内容の全てを実感することは難しい。
ただ、危険があることと、覚悟が必要だということだけは理解していた。
ゼルヴィアが出来得る限り力を貸そうとしてくれていることも。
「とはいえ、一般に考えられているほど精霊というのは特別なものじゃない。土地そのもの、生命それ自体が精霊と同じ力を持っているんだ。簡単に言うと、普段食べている野菜や肉、吸っている空気、飲んだ水にも精霊の元となる力が宿っている。宿したことも無い君やお母上が、さっきの、アレを操れたのはそういう理由だ」
ラウロが居る為、秘密に関する部分の明言は避けられた。
彼は今、ザンの隣で身を縮めている。
「中には体内で集積された力が勝手に精霊としての意思を持ち始める、なんて場合もある。余程生命力に溢れた土地ならではの現象だけどね」
「ここってやっぱり痩せてるんですか?」
「……そうだね。森に入れば微弱な精霊は幾らか発見出来たけど、魔法を使えるほどのものは見当たらなかった。そういう意味では自然の驚異が少ない良い土地なんだけど」
精霊の多い土地は、それだけ強い力の持ち主が増える。
異民族に対する防波堤とされつつ、自力での解決がそもそも期待されていない時点で、外地の貧弱さは明らかだ。
「土地に生きていれば、自然と精霊やその力の元は体内へ入ってくる。それは肉体や精神に影響を及ぼすものだけど、古くから人間はこの環境に耐える為の抵抗力を身に付けてきた。君がどれだけ大きな精霊を宿せるかは、君自身の抵抗力……生命力の強さに掛かっていると言ってもいい。強く自分を保ち、負けず、挫けず、己の中にある別の存在を御し切るんだ。いいかい?」
「はいっ」
「では、始めよう」
小瓶の蓋を開けた。
どういう技術によるものだろうか、片手で握れる程度の瓶の中から、黒い靄のようなものが大量に溢れ出てきた。
「え、あ……キモ」
靄に思えたものは、無数の黒い粒々だった。
よくよく見れば球体状の身体から幾つものイボを生やし、空中を泳ぐようにしてそれを動かしている。そんなのが次々と小瓶の中から吐き出されて自分に向かってくるのだ。
流石のアルもつい身を捻って逃げたくなった。
「手の平を向けて。そいつを食べるつもりで掴めばいい」
「お腹壊しませんか……?」
「ははっ、そうだね。壊さない様、しっかり消化してやらないと」
笑い話ではないんですが、とアルが頼みの綱のザンを見ると、彼は顎に手をやって納得顔。ラウロも気持ち悪そうにするでもなく興味深そうにしていて、ジーンは背を向けて見てくる気配すらない。
ゼルヴィアが相変わらずの笑みを浮かべているから、冗談でも何でもないらしい。
しかも、ザンの様子からすると当たり前の光景であるらしかった。
「あ…………」
目が合った。
粒に目玉があるのかどうかは不明だが、なんか黒い身体に白い点が見える。目玉だろうと、何故か思ってしまった。
ぱちくり見詰めてきた黒くてキモいイボイボ物体はじっとアルの姿を見詰めた後、一斉に突撃してきた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
思わず手を突き出して拒否するアル。
が、よく分からないがそこへイボ物体が殺到し、よく分からないが手の平へ吸い込まれていく。自分でも何をしているのか、それが一番よく分からない。
悲鳴をあげながら珍しくも涙目になるアルを男衆は朗らかに見つめている。
後で全員ぶん殴る、そう誓いながらも次々突撃してくるイボを手の平で受け止め、やがて、全てが吸い込まれた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……、はぁぁぁぁっっ!!」
何故か呼吸を乱し、汗が噴き出る程に身体が熱くなった。
悲鳴を上げ過ぎたからかも知れない。
「身体の調子はどうかな?」
「はぁ、はぁ、分かんないですっ」
今はあのキモいアレが自分に吸い込まれたという事実を受け入れるので精一杯だった。
もう離れている必要も無くなったのか、ザンとラウロが寄ってくる。
「はははっ、お前びーびー泣き過ぎだって、痛えっ!?」
「うっさいバーカ!! ラウロのバーカ!!」
「っ、のやろ!? 泣き虫が調子乗ってんじゃねえぞ!!」
四人分のぶん殴りを受けたラウロがいつもの調子で掴み掛ろうとするが、それを止めたのはゼルヴィアだった。
「すまない。少し安静にしたいから、君は離れてくれ」
「えっ、あ、うん……」
「はい、って言うんだよ」
「っ、お前なあ」
「頼む」
「ふふぅん」
「~~~~ッッ!」
調子に乗るアルへ拳を握るも、騎士相手には文句も言えず、悔しそうにしながらラウロが下がっていく。
「これ」
その頭を優しく小突いたのはザンだ。
「あいつもお前を心配しとった。そうからかってやるな」
「……はぁーい」
言われて離れた先のラウロを見て、彼が振り返るや舌を出してあっかんべー、をするアル。ふくれっ面で拳を突き出してやり返すラウロ。
とりあえず、状況は落ち着いた。
「身体は落ち着いてきたかな? 大抵は発熱したり、悪いと気絶する場合もあるんだけど」
あぁ、と思い至る。
「少し身体が熱いです。頭も少し痛いかな?」
「先生、奥をお借りしてもいいですか? 続きは彼女を休ませてからにしようと思います」
「言われるまでもない。アル、ほれっ、儂の背に乗れ」
言われるまま首に腕を回してしがみ付くと、車椅子から引き摺り上げられ、感覚の無い脚の裏へ手を回された。
背負われ進む中で、どこか冷たいザンの背中を感じながら、アルは大好きな彼の匂いを胸一杯に吸い込んだ。
「回復の状況によっては、今日はこれで終わりにします」
「そうだな。お前の時は三日も寝込んだ」
「……ふふ、あの時はお世話になりました」
「……」
未だぎこちない二人の会話を聞きながら、アルはこっそり笑った。
※ ※ ※
ちょっと横になって、水を飲んだら元気になった。
身体の熱はすっかり消えて、頭の痛みは晴れた日に水浴びをした後くらいさっぱりしている。
最初は次へ進みたくて無理をしているのではないかとゼルヴィアが検査をしたら、驚くほどに健康体でラウロが呆れたように皮肉を溢した。
「こいつ全く風邪引いたりとかしないんスよ。ウチとコイツん家で分け合った食べ物で皆腹抱えてた時も、コイツだけケロっとしやがったし」
アルはとにかく元気だった。
両脚が動かないことが嘘に思えるほど、体調を崩した経験がない。
「さっきも思っていたより影響が無かったから、遅れてくる方かとも思ったんだけど」
「熱出したことないから。ちょっとの事で大事みたいに言うのは、いつものことだもんなあ」
「うっさい黙れバカラウロ」
「森の捜索だって、無駄に事を大きくしてよ。周りの迷惑考えろっての」
最終的にアルから物理的な報復があり、話が進まないと少年は摘まみ出されることとなった。
怖がっているらしいジーンの所へ行けと言われ、青褪めていた様をまたアルに笑われていた。
「先生はどう思われますか」
「……昔から元気だったのは確かだ。無茶をするのもな」
「アル。ここから先は君の生涯に係わる話だ。だから、身体の状態については絶対に嘘を言わず、正直に教えて欲しい」
言われた所で元気一杯なアルは素直に頷いてみせるだけ。
だが、ゼルヴィアはそれだけで納得しなかったらしい。
「先に説明しておくべきだったね。君の中に宿った精霊は、そのまま君の肉体が朽ちるまで共に在り続け、そしてある力を精製してくれる」
彼は小石を取り出し、周囲に灯かりを満たしてみせた。
それはあの伸び縮みする糸と同種のものではあるが、ある程度の力が注げなければ種火程度の明るさも出せない。
「僕らの国では一般に魔力と呼ばれている。土地によって呼び方は様々で、神気と呼んだり、栄力や妖力、霊力なんて呼称もある。それらは概ね同じ力ではあるけど、土地に生じる精霊の性質や力の生じ方が異なる場合もあるから、一概に全く同じものとは言えない。そして、この力の大きさは身の内に宿した精霊に、どれだけ肉体や精神を侵食されているかが大きな要因を占めると言われている」
浸食、という言葉にアルが精霊を吸い込んだ右手を見詰める。
見た目には何の変化も無い。
熱も、頭の痛みもすぐ治まった。
特別な何かを得たという感覚はまだない。
「これは、十五歳で精霊を宿すという通説にも関わる話なんだけど。通常、より若い頃から精霊を宿した方が、魔力量は増大する。五歳で宿した者と、十五歳で宿した者とでは比較にならない程だ」
「え、じゃあ私、もう十歳だから」
「そうだね。君の半分くらいで精霊を得た者に比べると、大きく魔力量で劣る可能性がある。ただ、これはあくまで浸食度を上げて、意図的に魔力量を向上させてきた場合や、そもそもの個人差を考慮してはいない。君が今後順当に成長していった結果、五歳から始めた者より高い魔力量を持てる可能性は十分にある」
と言われた所で幾分損した気分になるのは否めなかった。
不満そうなアルに、傍らで見ていたザンが口添えする。
「魔力量の高さは、精霊に浸食される危険度の高さと考えるんだ。高める程に魔法を使う時の危険も高まり、高度な力の行使が困難になる。崖際で大荷物を抱えて編み物をするようなものか」
「それは落ちそう」
「だろう?」
笑って。
「世には魔力量ばかりあって、碌に魔法を扱えん奴は幾らでもいる。だが、そもそも魔力は貯蓄することが出来る。溜め込むもの自体は高価だが、魔力そのものは大した値段でもない。大切なのは、量ではなく質と、それを御する力だ」
「実際、先生は一般的な魔力量に比べるとかなり劣っていましたよね。それでも魔導技師として名声を得ているし、若い頃には戦場で大活躍したのだとか」
「そうなの爺ちゃん!?」
「……その話はいい」
言いたく無さそうなので追及は止めにし、改めてアルは手の平を見詰める。
量が多いも少ないも、質や技術も、第一歩を踏み出したばかりの彼女からすれば遠い話だ。
「最後に、これだけは覚えておいて欲しい。魔力量を高め、技術を身に付け、強大な魔法を扱えるようになった者は歴史上でも確かに存在する。けれど彼らは総じて肉体をぼろぼろにし、例外無く短命だった。人は力に対して抵抗力を持つ。けれど本来、それは人にとっては異物であり、抵抗出来るというだけでしかない、悪いものなんだよ」
坂の降り口、貧しい村落を眺めるジーン=ガルドが口元に手をやり、掠れた咳をした。
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