第39話
「かも、なんだ?」
海音の言葉に藍沢は何も答えない。
「大嫌いだって言われるかと思った」
「そう言って欲しい?」
「……そうかもね」
「じゃあ、嫌い。海音のこと」
「そっか」
「なんで笑うの」
藍沢の言葉を聞いて冬葉は視線を海音に向ける。彼女は微笑んだままだ。まるで安心したように。
海音は視線に気づいたのか、冬葉に目を向けた。そして一瞬だけ迷うような表情を見せる。冬葉は彼女を見返して小さく頷いた。
きっと彼女は迷っているのだ。自分の本当の気持ちを伝えることを。カフェで話した時、海音は藍沢にちゃんと振られないといけない。そう言っていた。しかしその気持ちはきっと本心ではない。
――悔いのないように、本当の気持ちを伝えてほしい。
そう思うのは二人が互いのことを話しているときの苦しそうな表情を見たからだ。互いを想って苦しんでいるように見えたから。
海音はじっと冬葉を見つめていたが、やがて「ナツミ」と視線を藍沢に戻した。
「なに」
「わたしはナツミのこと好きだよ」
「……いいって、そういうの」
「よくない。ちゃんと伝えるって言ったでしょ。わたしはナツミのことが好き」
「なに言って――」
藍沢はぼんやりとした表情で海音を見返した。海音はそんな藍沢を見つめながら続ける。
「本当はあのとき……。ううん、最初からちゃんと伝えてれば良かったんだよね。でも付き合ってる頃はなんか安心してた。伝えなくても大丈夫だって」
「――安心?」
海音は頷いた。
「ナツミはわたしのこと好きなんだなって分かってたから」
「なにそれ。自惚れすぎじゃない?」
藍沢の口調は固い。海音は「そうだね」と穏やかな表情で頷いた。
「でも、そう思えるくらいにナツミの気持ちは伝わってたし、わたしはそれが嬉しかった。だからあのときナツミに何か言われることを少し期待してたんだよ」
その言葉に藍沢は眉を寄せた。
「怒ってほしかったし、引き留めてほしかった。でもナツミは笑った。わかったって、それだけでさ。何も言わずに荷物の整理始めて……。そんなナツミを見て、もしかしたら今までのは全部わたしの勘違いだったのかもって、そう思って何も言えなくなった」
「そんなの――」
「自分勝手だよね。わかってる。痛いくらいわかってるよ、ナツミ。わたしが全部悪かったんだから」
でも、と海音は笑みを浮かべた。
「ナツミが好きだって言ってくれたあのときから今もずっと、わたしはナツミのこと好きだよ」
「……あの子は?」
呆然とした表情で藍沢は呟くように聞く。
「蓮華は大事だよ。だけどあの子に対する気持ちは恋愛じゃない。家族みたいな、そんな気持ち。蓮華は出会った頃から今もずっと、大事な家族」
藍沢はわずかに視線を泳がせると「でも、わたしは――」と消え入りそうな声で言った。海音は頷く。
「うん。わたしのこと嫌いだよね。大丈夫だよ。今さらまた付き合ってほしいなんて都合の良いことを願ってるわけじゃない。ただわたしの気持ちを伝えておきたかっただけ。ナツミが好きなのは冬葉さんで、わたしのことはもう嫌い。それでいいよ」
「……海音はずっとわたしを好きでいるの? これからも」
藍沢は俯きながら言う。海音は「どうかな」と首を傾げた。
「少なくとも、ナツミが誰かと一緒に幸せそうに笑ってるところを見るまでまでは好きなままでいるよ。きっと」
海音はそう言って立ち上がると伝票を手にして「ありがとう、ナツミ」と笑った。藍沢はゆっくり顔を上げる。
「ナツミと過ごした時間は本当に楽しくて、たまにケンカはしたけどすごく幸せだったよ。あの時間があったからこそ、わたしはナツミと別れてもちゃんとあの子を支えて生きることができたと思う。幸せな時間を知ってたから……」
「海音――」
海音は藍沢に笑みを向けると、視線を冬葉に移した。
「冬葉さんもありがとう」
「いえ、わたしは何も」
それでも海音は冬葉に「ありがとう」ともう一度言ってからレジの方へ向かって行った。そして三人分の会計を済ませてカフェスペースを出て行く。菓子売り場の店内で塚本がこちらを見たのがわかった。
「……ずるい」
ふいに藍沢のそんな声が聞こえて冬葉は視線を戻す。彼女は俯いたまま「ずるいじゃん、海音」と続けた。
「いまさらあんなこと言うなんてさ。しかも自分だけスッキリした顔して」
「――聞かない方が良かったですか?」
冬葉が言うと藍沢は俯いたままピクリと肩を動かした。そしてゆっくりと顔を上げる。彼女は泣きそうな表情で「わたしは冬葉のこと好きだって言ってるのに」と消え入りそうな声で言った。
「今日来たのだって、本当はあの子をもう冬葉に近づけさせないでって、そう言おうと思ってたのに」
「……そうなんですか?」
「そうだよ。だって海音はあの子のことが好きだって思ってたから」
冬葉は微笑みながら頷いた。
「たしかに海音さんは蓮華さんのこと大好きですね。人生を変えてまで蓮華さんを救ったんですから」
「そうだよ。あいつ、バカなんだから」
冬葉につられるように藍沢も笑った。そんな彼女を見つめて冬葉は「そんな海音さんの気持ち、聞かない方が良かったですか?」ともう一度同じ質問をした。藍沢は視線を泳がせて少し考えたが、やがて「ううん」と首を横に振った。
「だけど言い逃げってズルいと思わない?」
彼女はそう言うと「どうしろっていうんだろ」と続けた。
「わたしはもう――」
「嫌いじゃないですよね、ナツミさん。海音さんのこと」
冬葉が言うと藍沢は驚いたように顔を上げた。
「あの夜景の綺麗な場所でナツミさん言ってたじゃないですか。わたしが似てるって。誰と似てるんだろうってあの時は不思議に思ったんですけど、あれはきっと海音さんのことなんですよね?」
「冬葉……。もしかして海音に似てるからわたしが冬葉のこと好きになったとか思ってる?」
冬葉は首を横に振った。
「だけど、あのときのナツミさんはすごく苦しそうだったから……。わたしに重ねて海音さんを見てたんじゃないかって今は思います」
藍沢はじっと冬葉を見つめたが、やがて「わたしは冬葉が好きだよ」と続けた。冬葉も彼女を見返しながら「海音さんのことは?」と訊ねる。
「……気持ちは、変わってないかもしれない。ううん。よくわからない」
藍沢は眉を寄せ、泣きそうな表情でそう答えた。冬葉は申し訳なさに俯く。
「すみません」
「なんで謝るの」
「海音さんと話してナツミさんがもう苦しい気持ちを抱えなくてすむのならって、そう思ったんです。だけど結局ナツミさんにそんな顔をさせてしまって……」
そのとき、ふわりと頭に暖かな手が乗せられた。顔を上げると藍沢が微笑みながら「冬葉が謝ることじゃないよ」と優しく冬葉の頭を撫でた。
「逆にごめんね。わたしたちのことに巻き込んじゃって」
藍沢はそう言うと手を下ろしてバッグを手にした。
「今日は帰るね。ちょっと頭冷やしたい」
「はい……」
藍沢は席を立つと「冬葉はさ」と視線を冬葉に向けた。冬葉は彼女を見返す。すると藍沢は「いや、ごめん。なんでもない」と笑った。
「また明日、職場でね」
彼女はそう言って手を挙げるとそのまま店を出て行ってしまった。
藍沢が出て行くときに塚本が何か声をかけたのが見えた。しかし会話は続かなかったらしい。塚本に手を振って藍沢が俯きながら出て行く。そんな彼女の背中を塚本は悲しそうな表情で見送っていた。
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