138話 梅雨の季節と生姜の力
「最近、妻が冷たいんだよ」
「ほー、そりゃ大変だな」
そういってため息を溢す客の言葉をジョージは適当に流す。
客商売は愛想が大事だという者もいるが、ジョージは商品のみで勝負する主義だ。
こういうと聞こえは良いが、ただ単に不愛想なだけである。
そもそもジョージは今、商品について真剣に考えている最中なのだ。今日、ジョージは大量に仕入れた生姜を睨み、今後の可能性を探っている。
現在は、調味料として少量入れる程度の生姜の使い道が他にないかと懸命に考えた。
「あー! ダメだ。俺は料理に関しちゃ素人なんだ、思いつきゃしねぇ」
わしわしと自分の髪を掻くジョージの足元にしゃがみ込んだテオは、箱に入った生姜を見て呟く。
「僕、これお料理で食べたことあるよ」
「は!? 本当か、チビ?」
テオもその後ろに立って、ショウガの箱を覗き込んでいた兄のアッシャーもこくりと頷いた。
喫茶エニシで働いている二人は時折、野菜を買いにジョージの店に来る。ジョージ自身が届けてくれることもあるが、急遽買い足すこともあるからだ。
「エマさんがたまに料理に使ってるもん」
「でもよ、こいつは辛えだろ?」
その言葉に少しむっとした表情でテオはジョージに言う。
「僕でもちゃんと食べられるよ?」
「調理法にもよるんだと思いますよ。僕もテオも食べていますから」
「……そうか、調理法か。実はな、今のところ調味料として使われてるんだが、これからの可能性っていうか、俺の勘がこれは調味料以外の使い道があるぞって訴えてくるんだ」
「うんうん。安く仕入れたからなんとかしたいんだよね、ジョージは」
先程、ジョージに素っ気なくあしらわれた客はにこやかにもう一つの事実を口にする。ジョージの言う可能性や勘も嘘ではない。だが客の男性の言う通り、安く仕入れられたというのは、ジョージを動かす大きな理由であった。
図星であったジョージはぶんぶんと大きく手を振り、穏やかなその客の男性を追い払う仕草を見せる。
客に対して随分な態度だが、相手も気にした様子はない。どうやら二人は旧知の仲らしい。
「はいはい、それじゃあまたね」
「おうよ、今度は何か買ってけよ! ……で、話を戻すとお嬢ちゃんがその調理法に詳しいってことだよな」
「うん、エマさんなら知ってると思うよ」
「冒険者ギルドに所属してるので、依頼をしてみたらどうでしょう?」
「……それっきゃねぇなぁ。だが、その前にお嬢ちゃんが受けてくれるか探りに行くか」
はぁっとジョージはため息を吐く。
恵真が良い調理法を知っていれば良いのだが、そうでなければこの大量の生姜を一人で捌く必要が出てくるのだ。
ギルドの依頼はまず、恵真の反応を見てからと生姜の箱を持ったジョージは、アッシャーとテオと共に喫茶エニシへと向かうのだった。
*****
「うわー! 生姜ですか。たくさんありますね!」
「おうよ。たくさん仕入れちまったんだよなぁ……これがまたよ。お嬢ちゃんにも少し分けてやるよ」
「いいんですか? ありがとうございます」
生姜を嬉しそうに持つ恵真と自身の勘に不安を抱き始めるジョージ、そんな二人をじっとアッシャーとテオは見つめる。
特に二人がジョージに向けてじとりとした視線を送る姿に、本人はぎくっとした様子で必死に手を振って否定する。
「おい、依頼はきちんとギルドを通すぞ! 俺に向けてそんな疑いの眼差しを送るのはやめろ!」
「ちゃんと見張らなきゃって思って」
「うん、エマさんの優しさに甘えちゃダメだよな」
「くっ、チビの癖に良い目を持ってるな! ちょっとだけ考えたよ! 一瞬な!」
「ほら、やっぱり!」
祖父と孫と言っても良い程に年齢の開いた三人だが、野菜を仕入れるうちに随分親しくなったようである。
生姜を片手にその様子を見て笑う恵真に、ジョージが相談を持ち掛ける。
「でな、この子らがお嬢ちゃんがショウガを料理にも使うって言うんだけどよ、それはちょこっと調味料程度に使うくらいか?」
「薬味としてそういう使い方もしますけど、普通に食材としても使いますよ。ちょうどこの時期は旬ですし、いいですよね」
「そ、そうか! じゃあ、このショウガを使った料理をお嬢ちゃんに頼みたいんだが、ギルドを通しての依頼しても問題なさそうだな」
生姜は通年入手できるが、ハウス栽培では初夏から夏に向けて、露地栽培では秋に採れるものを新生姜と呼ぶ。生姜は臭みや癖をとるために調味料や薬味として使われるほか、その爽やかな風味が好まれる。
「生姜を使った料理を考えればいいんですね。こういう形がいい、とかもしあればギルドに依頼するときにお話ししてください」
「あー、そういうのはお嬢ちゃんに一任する! 金は相場より出す! 頼んだぞ、お嬢ちゃん……ちょいとばかし多めに入荷しちまってなぁ。いや、いけるとは思うんだが料理の知識はねぇのよ」
ジョージは自分の勘を信じている。商売をやっていくうえで必要なのは情報収集、人脈、そして勘だと彼は思っている。これは嗅覚と言い換えてもいいだろう。
情報や経験から得られる小さな予感が次の商機に繋がるのだ。
一方、商売っ気のない恵真はにこりと笑って快諾する。
「いいですよ、詳しいことはギルドにお話ししてくださいね。ふふ、生姜で何作ろっかなー」
「おう、まずはギルドを通してからだな」
そう言ったジョージだが、どこかでこの話は大きな失敗にはならないと安堵し始めていた。
喫茶エニシの店主トーノ・エマの開発したフライドポテトは今、街で人気となっている。知人であるアメリアの話では、ホロッホ亭のメニューの開発にも携わったことがあるらしい。
そんな彼女であれば、生姜の調理もお手の物だろう。
「俺の勘は外れることがないからな」
「……エマさんに頼っただけなのに」
「テオ! 本当のことだからこそ、言っちゃダメだ」
「くっ、俺はな、お前たちが思っている以上に商売には詳しいんだぞ?」
やはり、親しげなアッシャーたちの様子に安心した恵真は、生姜を手に取る。爽やかな香りはこれから蒸し暑くなる時期にちょうどいい。
マルティアの人々に好まれるにはどんな料理にしたら良いかと考え始める恵真であった。
*****
ふいに視線を感じたバートは振り返り、相手を確認する。
ここは兵士たちの訓練所へ続く廊下であり、敵ではないことは確かだ。
バートに視線を送った相手もバートと目が合うばと気まずそうに視線を外す。
実は最近、このような事が多いのだ。
食堂でも更衣室でも廊下でも、誰かからの視線が注がれ、バートが気付くと気まずそうに視線を逸らされる。
何かを期待するような視線だが、バートには心当たりはまるでない。
「なんなんっすかねぇ、この熱視線は」
そう仲間のダンとカーシーにぼやくと二人は呆れたような目でバートを見る。
熱視線を送られる覚えもないが、こんな呆れられる覚えもないバートはうろたえる。ダンはともかく、カーシーは後輩なのだ。
「本当に覚えがないのか?」
「ないっす。金も借りてないっすし、貸す金もないっす! あるのはこの美貌だけっすね……」
ポーズまで決めたバートには触れず、ダンは皆がなぜバートに視線を送るかの答えを告げる。
「差し入れの乙女だよ。去年の今頃、熱中症対策で世話になったろ。皆、それを期待してチラチラお前に視線を送ってるんだ」
ちょうど昨年の今頃、じめじめとした蒸し暑い天候が続き、訓練中の兵士が倒れる問題があった。それを解決したのが「差し入れの乙女」こと恵真が用意した麦茶とピクルスだった。
差し入れの乙女を知っているのはバートだけである。
そのため、自然と彼に視線が注がれていたのだ。
だが、バートは腕を組み、納得できない様子だ。
「いやぁ、今年は自分たちで何とかすべきっすよ。原因と理由も判明したわけっすからねぇ」
「凄い、バートさんにしては凄く真っ当な正論です!」
「いやぁ、オレも成長してるっすからねぇ」
「褒められてはいないぞ、バート。それにお前の言葉も一理あるが、単にお前がお茶係をしたくないっていうのもあるだろ」
「うっ!! いや、それも含めて、自分たちでなんとかするんすよ!」
そんなバートの声に反応したのは通りがかった仲間たちだ。バッと走り寄ってバートを囲む。
「わかっていない! わかっていないぞ、バート!」
「そうだ! 誰かに応援されている、それが心の栄養、糧となるんだ!」
「今年は! 今年はどうなんだ、バート!?」
「い、いや、この熱意を職務に活かすべきっす!」
筋骨隆々とした男たちが必死で力説するその熱量にバートは圧倒される。
先程まで隣にいたダンとカーシーはいつのまにか、遠巻きにバートの様子を眺めていた。逃げ足の速い二人に驚くバートの肩に、どんと力強く重い手が置かれる。
「そうだな、それには俺も同感だ。だがバート、職務に活かすにも心が健康でなければならぬだろう。なぁ、お前たち」
「そうだ! ジャンさんの言う通りだ!」
「ぐぅ……熱量と暑苦しさが凄いっす……仕方ないっすね。話はしてみるっす。でも、期待は禁物で……」
「うおおぉぉっ!」
バートの言葉の後半は男たちの声でかき消される。
彼らの圧倒的な熱量と期待の前に、バートが折れた形だ。
職務以外に重大な任務を背負ってしまったバートはげんなりとした表情だ。
まだ恵真の承諾も得ていないのに盛り上がる周囲の期待、断られたらどうなるのだろう。そう考えて、寒くもないのに身震いをするバートなのだった。
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