124話 新作、春のバゲットサンド 2


 キッチンに立った恵真は丁寧に洗った人参の皮をピーラーで剥いていく。

 ピーラーで剥くのはより皮を薄くするためだ。皮の近くは栄養が豊富なこともあり、無駄なく使いたい恵真はピーラーを使った。

 すりおろし器で人参をすりおろした恵真は用意した食材を確認する。

 小麦粉、砂糖、卵にサラダ油、コクを出すためのアーモンドパウダー、そしてすり下ろした人参だ。

 ボウルに卵を割り入れ、砂糖を加え、ハンドミキサーで泡立てていく。黄色い卵がもったりと白っぽくなったら、サラダ油を加えていく。

 そこに先程すりおろした人参を全体に行き渡るようにしっかりと混ぜる。

 良く振るった薄力粉とアーモンドパウダーを加え、切るように混ぜ、生地の完成だ。型に入れ、温めていたオーブンで焼き上げる。

 後はキャロットケーキの完成を待つだけだ。


「上手く出来るといいんだけどなー」

「んみゃう」


 洗い物を片付けながら、恵真は実家で過ごした学生時代はこうして気分転換に菓子や料理を作ったことを思い出す。

 上手くいかない日々の中でも、こうして菓子を作り、それを家族が喜んでくれるとまた明日から頑張ろうと思えたものだ。

 

「本当、いつの間にか作らなくなっちゃったんだよね」


 忙しく過ごす日々、また食べてくれる人が近くにいなかったこともある。

 オーブンからは焼きあがっていくケーキの良い香りが漂う。

 今回は薄型の真四角の型を使った。焼き上がり時間が短くて済むのだ。

 部屋中に満ちていく甘い香りは成功を教える合図、恵真の口元も緩む。

 そんな中、パタパタと音を立てて現れた祖母はパジャマ姿にカーディガンを羽織っている。


「ごめん、起こしちゃった? 明日、皆に試食してもらいたくって作ってたんだけど、音とかうるさかったかな」

「違うわよ! お手洗い行こうとしたら良い匂いがするんだもの! 気になっちゃうじゃない! もう……」


 こうして作った料理を喜んでくれる人がいるから、キッチンに立つことを楽しめるのだと恵真は思う。


「おばあちゃん、いつもありがとうね」

「え? 何、急に」

「ふふ、なんでもない。明日の朝、一緒に食べようね」


 裏庭のドアと繋がった異世界で喫茶店を開く。そんな突拍子もない秘密を共有してくれる一番身近な協力者、祖母の瑠璃子の存在に恵真は改めて感謝するのだった。



*****



 今日、喫茶エニシに訪れた客の視線を集めるのは昨夜、恵真が作ったキャロットケーキである。

 喫茶エニシのワンプレートの定食は今日も好評だ。今日は春キャベツのクリームスープ、ひき肉と玉ねぎを使ったキッシュ風オムレツ、じゃがいものポテトサラダである。特にオムレツは卵を使っていること、ポテトサラダはそのクリーミーさで皆、驚いた。

 だがそんな定食を置いてキャロットケーキに目線が行くのは、恵真の「皆さんに味見して貰いたい」という言葉が理由だ。

 視線に気付いた恵真は嬉しそうに笑って、ケーキを切り分け始める。


「お皿は用意しますか?」

「いや、いい。食べ終わった皿に置いてくだされば」

「なんなら、俺は手の平でも十分だ」

「そうだよな。俺らにはもったいくらいだ」


 最近、訪れるようになった彼らはがっしりとした体をしていて、残さずよく食べる。その服装や雰囲気からも冒険者か建築など、体を動かす者たちであろうと恵真は推測している。

 少しラフな言い方をする彼らの配慮に恵真は感謝する。片付けの手間を増やさないように気を使ってくれたのだろう。

 綺麗に食べ終わった皿の片隅に、ちょこんと置いていく。

 それをぱくりと食べた客たちはもぐもぐと口を動かしていたが、なぜか皆沈黙してしまった。


「え、え? 美味しくなかったですか? 一応、朝に味見はしたんですけど」


 そんな恵真の言葉に慌てて、彼らはケーキの感想を口々に伝える。彼らは驚きで、言葉が出なかっただけなのだ。


「っまい、旨い! いや、しっとりとした生地に甘みがあって旨いな」

「あぁ、甘さもちょうどいい。だが、こっくりとした旨味があるな」

「しっかりと甘いんだが軽さもあって食べやすいな」

「良かったです。人参を使ったケーキなんですよ」

「は? これが?」


 人参と言えば特有のクセがあり、一方で甘みも強く料理のメインになることが少ない。彩りとして少し料理に入っている野菜、彼らにとってはそんな印象なのだ。

 だが、このケーキにはその人参が含まれているという。


「いやぁ、俺、実は人参苦手だったんだが、これだといくらでも食べられるな」

「ここの料理は旨いが、本当にクセの強い人参はなかなか食べづらいものがあるよな」

「料理の仕方で変わるもんなんだなぁ」


 どうやら大人である彼らも野菜、特にクセの強い人参には抵抗感があったらしい。

 じっと彼らの様子を見ていたテオが恵真に尋ねる。

 

「エマさん、本当に? このケーキ、すっごく美味しそうだよ」

「うん、人参は甘さもあるしお菓子にしても美味しいんだよ。二人もあとで食べてみてね」

「はい! ありがとうございます!」

「ありがとう、エマさん」


 アッシャーは嬉しそうに、テオは少し戸惑いながら、恵真に感謝を伝えるのだった。



 昼の時間帯を過ぎると客はぐっと減る。皆、仕事へと戻っていくからだ。

 その後は少しお茶をしたい人や時間が自由な冒険者や自営業の者、いつもの面々が訪れるようになる。

 

「さてと、お茶も入れたしケーキを食べてみよっか」


 ケーキは先程とは違い、白い粉が降ってある。雪のように見えるその粉と茶色い見た目は素朴な温かみがある。

 二人の目の前に置かれたキャロットケーキにアッシャーとテオはそっとフォークを入れ、ぱくりと口へと運ぶ。


「美味しい! しっとりした生地と優しい甘さですね」

「うん! 人参のクセがなくってすっごく食べやすいね」


 嬉しそうに食べる二人、その様子に恵真はホッとする。

 作り方は少し違うだろうが、恵真にとっても幼い頃に祖母が作ってくれたケーキは大好きな一品だ。

 

「人参にはカロテンっていう成分が含まれてて免疫力が上がるのよ」

「免疫力って何?」

「えぇっと、肌にも良いし体の中も健康にしてくれるの。油と摂ると特に良いんだよ」

「人参がいつもケーキだったらいいのにな」

「テオ、せっかくおじさんがおまけでくれたんだぞ。ケーキじゃなくっても美味しく食べなきゃ失礼だろ」

 

 アッシャーの言葉にテオは反省したように肩を竦める。

 今回恵真が使った人参は、アッシャーとテオが行った店でおまけに頂いた人参なのだ。

 だが、恵真としてはテオの気持ちもわからなくはない。大人になった今だからこそ人参の美味しさもわかるが、子どもの頃は苦手意識があるものだ。


「どちらかというと大人も苦手なのが問題なのよね」


 恵真は先程の客たちの様子を思い出す。皆、人参は食べられるものの好んでは食べないという話しぶりであった。

 今回、作ったキャロットケーキはアーモンドパウダーも加えて香ばしい風味もあり、誰もが食べやすい。それは人参への苦手意識を軽減することには繋がるが、人参を食べたいと思うきっかけにはなっただろうかと恵真は考える。

 出来ることなら、人参だとわかる形で使って美味しいと感じて貰いたい。


「もっと違う形、うん、やっぱり人参そのままで美味しいって思って貰えるのが理想よね」


 そんな恵真の呟きにテオは不思議そうな表情だ。目の前の人参を使ったケーキは間違いなく美味しい。これなら誰もが好んで食べるのではとテオは思う。


「そうかなぁ。僕、このケーキなら毎日食べられるよ?」

「それじゃあ、ダメなんだよ。ケーキは皆、毎日は食べられないだろ? 普通の人参のままじゃなきゃ、街の皆は食べられないんだし」

「アッシャー君の言う通りなんだよね。どう料理したらいいかなー」


 人参を使ったケーキには卵も砂糖も使う。店で販売することは可能だが、人参の新たな調理法としては新鮮だろうが頻繁に食べることには繋がらない。

 メインになる人参料理をせっかくなら、恵真は考えたいのだ。

 出来れば、調理法も材料もこの街でも気軽に作れるくらいがいい。


「そっか。でも、これ新しい商品として売れるくらい美味しいのに残念だね」


 そんなテオの何気ない言葉に恵真は固まる。ちょうど良い機会があることに気付いたのだ。

 人参をそれに使えば、多くの人に食べて貰うきっかけになるだろう。


「エマさん? どうかしたの?」

「…………新しい商品。そうだよね、その手があるよね!」


 きょとんとして不思議そうに尋ねるテオに力強く恵真は断言する。

 先程まで恵真の話に賛同していたアッシャーも今度はわからず、同じように不思議そうな表情である。

 だが、テオの言葉は恵真にとって、新たな気付きになったのだ。

 

「二人ともありがとう! 頑張って新しい商品を作ってみるね! きっと良いものを作るからね」


 嬉しそうな恵真の表情に事情はよくわからないもののアッシャーもテオも安心して、ケーキに再びフォークを入れ、その美味しさに口元を緩めるのだった。

 




 






 

 

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