土蔵の少女

うろこ道

土蔵の少女

「おばーちゃん、来たよー!!」

 玄関先で元気いっぱい飛びついてきた弟の翔に、一年ぶりに会った祖母は相好を崩した。

しょうちゃん、いらっしゃい。ゆいちゃんもよく来たねえ」

 祖母にくしゃりとした笑顔を向けられ、唯も思わず抱きつきたくなったが、もう中学生になったので我慢する。かわりにお土産を差し出した。

「お世話になります」

 祖母は唯をまじまじと見つめながら受け取り、感心したように息を吐いた。

「すっかりお姉さんになって! 女の子は変わるねえ、見違えるようだわ」

 唯はなんだか急に照れくさくなってもじもじと指先をもてあそぶ。

 夏休みは母と小学三年生の弟と三人で、大好きな祖母の住む田舎に一週間滞在するのが恒例行事だった。

 おばあちゃんも、おばあちゃんちも大好き。だけど――。

 こっそりと溜息をつく。唯にとっては、憂鬱な一週間の始まりでもあった。



「翔! 川行くぞ」

 突然、敷地内に入って来た少年に、唯はびくっと身動ぎした。

(来た、元凶が――)

 気分は一気に地の底まで沈みこむ。

こうにいちゃん!」

 姉の気も知らず、翔はぱっと顔を輝かせた。

「えー! 康ちゃん、背ぇ伸びたぁ!」

 車のトランクルームから荷物を運びだしていた母が目を丸くした。康介こうすけは視線を合わせもせずにぺこりと不愛想に会釈する。

 唯も唖然としてしまった。おない年の康介は、去年よりぐんと背も伸びて、なんだかごつごつしていて、声も掠れてガラガラで――まるで別人のようだった。

 だが見た目は変わっても、中身は何一つ変わっていないようだった。中学生にもなってろくに挨拶もできないなんて、本当に信じられない。

 祖母は、唯たちがお土産にもってきた横濱ハーバーをいそいそとスーパーのビニール袋に取り分けた。

「いつも遊んでくれてありがとねぇ。これ、皆でお食べね」

 康介はそれを無造作に受け取ると、やはり目も合わせず「っす」と出しにくそうな声で答えた。もはや唸り声にしか聞こえない。

 クラスの男子を見ても思うのだが、もし自分がこんなふうに変わってしまったらと思うと、ぞっとした。男の子じゃなくてよかったと心底思う。

「唯、ついていってあげてよぉ」

 母の言葉に、唯はサンダルのつま先に視線を落とす。

 ――ほらきた。

 康介を筆頭とする男子集団との付き合いは物心つく頃からだったが、皆そろって粗野で乱暴で、大嫌いだった。

 戦いごっこの囮にされたり、崖を登らされたり、背中に芋虫やみみずを入れられたり――。特に虫系は本当にだめなのに、おもしろがって嫌がらせしてくるのだ。

 毎年泣かされていた。力がものを言う男の子の世界で、唯はひどく無力だった。

 無言でうつむく唯に、母は「お願い」と懇願するように手を合わせた。

(心配なら行かせなければいいのに。どうしてあたしが犠牲にならなきゃいけないの)

 いつも弟ばかり優先で、自分だけ我慢させられる――そんな思いが、常に胸にわだかまっていた。

 翔は不器用な自分と違って甘えるのがうまい。唯はどうしても大人の顔色を見て、空気を読み、気を使ってしまう。親の都合などお構いなしの弟の方が可愛がられるのは納得いかないし、ずるいと思う。

 それでも唯は立ち上がった。

 子供――自分も含め――から離れて羽を伸ばしたいという母の気持ちも、わかってしまうからだった。



 康介と翔は連れ立ってそのまま道路に飛び出していった。唯は慌てて後を追ったが、二人の姿はすでにない。

 ――何で男子というのは走るのか。

 焦って駆け出しかけたが、急に馬鹿らしくなって足をとめた。どうせ行き先はわかっているのだ。

 小さく溜息をつくと、川に続く油照りの道をのろのろと歩いた。

 やがて黒々とした板塀が見えてきて、唯はその前でふと足をとめた。

 この塀の中が、昔からやたらと気になっていた。だが、塀の色と同じ黒い数寄屋門は、いつもぴったり閉じていて一度も開いているところを見たことがない。

 母によると、元は由緒の古い実業家の邸宅だったそうだが、今は廃屋になっているという。康介たちはお化け屋敷と呼んでいた。

 祖母や母には近づくことを固く禁じられていた。危ないからと言っていたが、理由はきっとそれだけじゃない。大人の言葉の端々に嫌悪するような響きがあったからだ。

 だから、いいつけを守っていつも素通りしていたのだが――。

 今年に限っては、なんだか異常に気になった。気を抜けば、ふらふらと引き寄せられてしまいそうだった。

おせえよっ」

 どきりとして振り返ると、いつの間にか康介が数メートル先で不機嫌そうにこっちを睨んでいた。

「お前さ、このお化け屋敷、いつも気にしてるよなあ」

 康介は刈りあげた後ろ頭をさすりながら近づいてくると、唯の隣に並び、塀を見上げた。

「俺、仲間と何度か入ったことあるけど、なんもなかったぜ。お化けも出ねえし」

 さして興味もない様子で言い捨てた康介を、唯は二度見する。――それって、不法侵入ではないのか。

「んなことより早く来いよ子守り。翔がねーちゃんねーちゃんぐずってるぜ」

 康介は小馬鹿したような一瞥をくれると、さっさと元来た道を駆けて行ってしまった。

 唯はぐっと唇をかむ。

 唯が翔の面倒にうんざりしていることをわかっていて、あえて言っているのだ。なんて意地悪なんだろう。

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