第11話



 保成は明かり窓の際の畳に窓の方を向いて坐り、目を閉じ、腕組みして何かを思案している。あるいは思案しているように見えるのはうわべだけで、その実、意識はどこかに飛んで行ってしまっているのかもしれない。


「殿」


「……!」


 林之介が声を掛けると、うたた寝の最中に不意に背中の毛を一本抜かれた飼い猫のように、保成はビックっとして向き直り、照れ隠しのように大声を出した。


「なんじゃ! 何か用か!」


「驚かせてしまったようで、申し訳ございません」


 林之介は敷居の脇に坐り、頭を下げた。


「まあよい。で、何か用か」


「はい。確か萩山村は殿のお蔵入地でございましたな」


「そうじゃが、あれを寄越せというのか?」


「いえ、それがしは未だ殿の役には立てておりませんゆえ、あの村を欲しいと言うわけにはまいりません」


「うむ、それで?」


「先ほどそこの廊下で権三郎の娘が柱の掃除をしておりましたので、少々話を聞きましたところ」


「うむ?」


 保成は、よく女子に軽々しく声を掛けられるものだ、と変に感心したが、それは表情に出さずに軽く頷いて先を促した。


「弟が三人いると申しておりました。一番上が十四歳だということで」


「うむ。その者はこの間まで前髪立てじゃったが、つい先ごろわしが烏帽子親になって元服の儀を済ませてやったばかりじゃ。……そういえば、あの時はそちもわしの供をしていたはずじゃが、忘れたか?」


「……あ、はい。思い出しました、十四とは思えないほど大柄な若者だったと」


「さよう、良き武者になりそうな面構えゆえ、来年あたり城に上げてわしの元に置こうかとも思うておる」


「さようでございますか、それは残念でございます」


 林之介は少し肩を落とす素振りを見せた。


「ん、なんじゃ?」


「いえ、それがしも手柄を立てるために家来の一人も欲しいと思いまして、殿にお願いをして彼の者を貰い受けようなどと……」


「思案したのか?」


「さようにございます。しかし殿がお側衆にいたそうとされておられるのなら、やむを得ません」


「いや、そちが欲しいというのなら、呉れてやっても良いぞ。その下の子も聡そうじゃから、わしはその子を貰うことにする。しかし養っていけるのか? わしの今の立場では、田んぼの一枚も加増はしてやれそうもないが」


 そう言って保成は溜息をついた。保成は義元に吉田城を攻略してもらった後、今川の家来同然になり果てて、今川家に伺いを立てて許可を得ないと何もできない状態になっている。当然家来に加増してやるために周囲にいくさを吹っ掛け、その領地を分捕るなどということは不可能である。


「いいえ、その点はご心配に及びません。それがし、未だ独り身ゆえ、家来の一人くらいは食わせていけます」


「さようか──」


 保成はホッとした顔をして頷いた。


「……しかし独り身といえば、そちもそろそろ身を固めても良い歳であろう。誰か意中の女子でもおるのか? なんならわしが世話をしてやっても良いぞ」


「ははッ、かたじけなく存じまする……」


 と頭を下げた林之介は続けて、


「──それでは」


 と言いかけて口をつぐみ、にやけそうになって、慌てて頭を更に深く下げた。ガバッと面を上げて唐突に忍殿をいただきたい、と言ったら、殿はどういう顔をするだろうか。そんなことを想像すると、喉の辺りの筋肉が震え、腹筋が波打ってくる。


 その様子を見て不審に思った保成は、林之介の顔を覗き込んだ。


「どうした? ……もしや権三郎の娘を好いたか? わしの養女ということにすれば、そちの親族衆も文句を言うまい」


「いえいえ……」


 滅相もない、と林之介は首を振った。あんな小娘ではなく──、と喉元まで出そうになったが、それも思いとどまった。


「さようか? まあもしも誰かを好いたら申してくればよい。良きように計らってやるぞ」


「では、その儀はしかるべき時が来たらお願い申し上げます。ところで──」


「なんだ、まだ用があるのか」


「はい、実はこちらが本題なのですが」


「うむ?」


「本日は長谷堂の御開帳の日でございます。あそこの観音さまに詣でれば、願いごとが叶うということで……」


 保成はゆっくりと頷いた。


「さよう。随分な人出のようじゃが、城下の者も願いごとが多いように見えるな」


「そこで、でございます。先ほど又次郎と相談いたしまして、殿のために我らが参拝いたそうか、と」


「わしのために?」


「はい、殿に幸多かれ、と願おうかと存じまする」


「何が言いたいのじゃ? 謎かけはよい、はっきりと申せ」


 保成は林之介の思わせぶりな言い方に、少しいらだった声を出した。


「では単刀直入に申し上げます……。殿がご執心のお女中の……、えー、花藻殿と申されましたか、そのお女中の快癒を願ってこようか、と。腐ったイワシような殿のお顔を拝見いたすのは、我らにとっても心苦しきことゆえ」


「腐ったイワシとはひどい物言いじゃ……」


 そう言いつつ保成は、怒ったような、照れたような、困ったような、様々な感情が入り乱れた複雑な表情を浮かべて下を向いた。


「それでは言い直します。まだ肌寒い砌に冬の眠りから叩き起こされた、ガマガエルのツラのような……」


「なに! 人をからかうのは大概にせい」


「申し訳ございません」


「ふん、全然申し訳なさそうな顔ではないわい」


「しかしあの二人が居らぬと、殿にも御不便でございましょう」


「うむ、少なくとも飯が不味くて食う気が起きぬ」


「さようでござりましょう? では参拝の儀、よろしいでしょうか」


「ああ、良きに計らえ……。そうじゃ、お供えの品がいるじゃろう? 台所方に行って米を二升ほど貰っていくがよい」


「かしこまりましてございます。それでは早速詣でて参ります」


「よろしく頼むぞ」


 保成はどことなく晴れやかな顔を林之介に向けた。



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