第12話 渡邉信之助
藤田警部補が剣を構える。彼の構えは一般的な日本剣術とは一寸違う。刀を水平に持って肩口に挙げる独特の構えだ。前に剣術に詳しい部下に訊いたら、あんな構えは知らない――幾つかの流派を組み合わせた独自の剣術か、実戦本意の殺法術ではないかとの話だったな。
しかし、凄まじい殺気だな……一分の隙も無い……。
仮に俺が藤田と闘うのなら、如何攻め込むか等と考えている間にも、捕縛された住人達の叫び声は更に激しさを増して「逃げろ、逃げろ」の大合唱である。
「う、う、うぎゃあああ‼」
異様な叫び声を上げると、少年は並外れた跳躍力で後ろに跳び退いた。掘建て小屋を軽々と飛び越え、驚く聴衆を余所に、まるで獣の如くの敏捷さで一目散に逃げて行った。
え? 一寸、待って? 逃げるの? 俺は慌てて、拳銃隊に指示を出した。
「シ、照準合ワセハ無視! 目標ニ向カイ、撃チマクレー‼」
パン、パパンと渇いた銃声が幾重にも響くが、獣の如きに動き回る少年には、まるで当たらない。本当に手負いなのか? 其れよりも驚いたのは、少年の直ぐ後を何と藤田が追い駆けていたのである。
何時の間に⁉ 俺は急いで命令し直す。
「ウ、撃チ方止メー! フジタ警部補ニ当テルナー! カ、カワジ殿。我等モ追撃ヲ‼」
俺の怒声交じりの進言に今迄、呆然としていた川路大警視も我に返り、慌てて追撃の命令を発した。
「つ、追撃するぞ。五名は此処に残り住人達を監視せよ! 剣客隊を前衛に、拳銃隊は一定の間隔を開けて後衛に付け。藤田警部補に続けー‼」
流石である。此の男、戦術の基本が分かっているな。初動が遅れたにも関わらず、瞬時に適切な戦闘隊形を取れる処なぞは一流だ。
まあ、しかし初動が遅れたのも無理はない。あんな常識外れの跳躍力を見せ付けられては、誰だって、たじろぐであろう。
藤田の瞬時における判断能力が異常なのだ。其れも、弾雨の中に躊躇い無く飛び込む度胸もさることながら、放たれた弾丸の軌道を読んで躱せる動体視力と反射神経が有って、始めて出来る事なのである。普通の人間に真似出来るモノではない。一体どんな修羅場を潜って来たんだ、あの男は……。
其れにしても速い――あの少年、尋常の状態では無い事は確かな様だな……あの逃げ足に真面に付いて行けるのは俺だけであろうな、藤田も今の処は頑張ってはいるが何れ離される。
俺の経験上にて考えられるのは、催眠術か元からの異常体質者、或いは未知の細菌感染によって、肉体の潜在能力を解放されている者と云う事になるのだが。
雅か俺と同じく人造人間と云う事は無いだろうな? いや、其れは考え難い。つい最近迄、切開手術も行っていなかった此の国で、人造人間への改造手術を行える、『博士』並の有能な医学者が居るとは到底思えないからだ。
しかし藤田は粘るな、未だ奔っているとは――あの異常体力を持つ少年相手に、よく付いて行ってはいるが、此の儘では振り切られる。
俺の態勢が整う迄、十五秒程待ってくれ――奴の後頭部を撃ち抜いてやるから。そう思っている内に藤田の右腕から何か、光る物が放たれていた。
「ぎゃっ!」と云う声と共に、少年が勢いよく倒れ込んだ。右足首に何かが突き刺さっている、投げナイフか――見事な腕だな。
此の国では『手裏剣』と云って、様々な形の投げナイフが存在する。今、彼が投げたのは『小柄』という、日本刀の柄に付いている小刀である。
現在、日本では近代化を推し進める為に警察、軍隊共に西洋刀を各隊員に帯刀させる様にしているのだが、藤田を始め一部の隊員達は、頑なに日本刀を使い続けている。
時代遅れな奴等だと、批判されたりもしているが、此の様な見事な業が使えるのであれば態々、西洋刀に変えなくても、使い慣れた日本刀を継続使用しても良いと思うのだが。
藤田は右足を痛め、もがいている少年との間合いを一気に詰めた。
怪力無双の辻斬りと呼ばれ、恐れられていた者とは思えぬ程に、件の少年は色を無くして、まるで年相応の子供の様に幼く脅えた表情で体を丸めて防御を固めたが、藤田の容赦ない一撃が倒れ込んだ少年の右肩口辺りに、弧を描く様に下方から突き込まれた。
なんと、片手剣での突き。
其れも左腕一本で突き込んだにも関わらず、少年の身体が高く宙に舞い上がったのである。物凄い突進力――尋常ではない威力――何だ、あの出鱈目な技は……。
「ひぎゃああああっ‼」
壮絶な悲鳴を上げて、少年は弾き飛ばされた。片口からは当然、出血をしているのだが大量という訳では無い。如何やらワザと急所は外した様だ。
後から追い付いた警官隊は「おおう」と、驚きの声を発し、其の光景を見詰めた。
「左片手一本突き――相変わらず、凄まじいな……」
漸くに追い付いた川路大警視も、息を切らしながらボソリと感嘆の声を上げた。
「うっ、うわああ……い、痛でぇ~………」
少年は這いずりながら、近くに転がっていた棒きれを掴むも有り余る力で、ささらに握り潰してしまった。次に大きめの石ころを掴むが、それも粉々に握り潰してしまう。
如何やら武器に成る物を探している様子だが、余りにも強過ぎる握力によって、掴む物全てが潰れてしまうのであった。折角の怪力も自己制御出来ぬ様では、いざという時には役立たないだろう。
之で勝負有り、藤田の勝ちだ。
「――『怪力無双の辻斬り』――童、御前に訊きたい事が山と有る。大人しく縛に就け」
藤田の威厳の籠った一喝に、怪力無双の辻斬りとの異名を誇った少年は、声を震わせ脅えていた。
同時に周りに居た警察官達も、藤田の尋常ならざる強さに驚愕していた。成程、自信家になるのも頷ける。之程の技量が有れば相手との体格差や腕力差も余り関係無いだろう。取り敢えず、此の男が今の処は味方で本当に良かったと思う。もし、パーシバルやグラントンが藤田と闘ったとしたならば、間違いなく殺られている。
『人造人間』の優位性が無くなりそうだ……まあ、戦闘能力は如何ともしがたいが、寿命の長さで相手の老いを待つ手があるか。
「おいっ、小僧。之以上の抵抗はよすんだ、大人しく縛に就けば手当てもしてやろう。如何だ? 我々と一緒に来んか……」
川路大警視が件の少年に向かい、諭す様に自首を勧めるも、少年は涙で潤んだ眼で此方をキッと見据えながら、途切れ途切れに唸っているばかりである。
「此の侭では埒が明かんな。暫く寝ていて貰おうか」
藤田は容赦の無い台詞を吐くと、再び剣を構えた。
すると件の少年は、覚悟を決めたかの様な表情となり、我々に向かって少し、どもった声で叫び始めた。
「お、お、御前ぇ等――か、か、官軍共に、は、は、話す事、なぞ――ね、無え‼」
そう云うや否や、少年は左手で自らの首根っこを掴むと、瞬時にしてグシャリと捻り潰してしまったのである。
ガクンと、頭が不自然な角度に垂れ下り、口からは鮮血がダラダラと溢れ出した。
こうして怪力無双の辻斬りとして、東京市中を震え上がらせた男は、何とも呆気なく絶命してしまったのである。
たった今、目の前で起きた余りにも強烈な出来事に対して、周りを囲む屈強な警察官達も、言葉を失うばかりであつた。
こんな自殺方法が嘗て、有っただろうか? 少なくとも俺の知る限りでは無い。
古今東西の例を取ってみても、恐らく此の様な自決を果たした者は他に居ないだろう。
常識外れの握力を持ってして、初めて出来る自決であろう。否さ――例え、そんな握力を持っていたとしても、実行するのには相当な覚悟と決意、精神力を持っていなければ、不可能な筈である。
あの少年には己が生命を賭してでも、守らなければならない秘事でも有ったのか? 其れとも唯、単に自尊心を満足させる為だけなのか? 何にしても、少年が死んだ今となっては全ては藪の中か。
之には流石の藤田も、チッと舌打ちをして捨て台詞を吐いていた。
「雅か、あんな自決をするとは――予想の範疇外だったな……」
「アンナ自殺方法、誰モ予測出来マセン……」
俺の言葉に同意の頷きをすると、藤田は川路大警視に向かって、此の男には珍しく神妙な趣で報告をした。
「――申し訳ありません、本官の手落ちであります――賊に、してやられました」
「いや、貴公のせいでは無い……之は如何にもならぬよ……」
川路大警視は冷静を装うも、蒼白な顔で受け答えた。
少年の死を知らされると、意外にも彼を匿っていた集落の住人達は誰もが哀しみ、悔しがりながらも、彼の事について色々と知る限りの事を話し出した。もう一つ意外だったのは少年と思われていた怪力無双の辻斬りは何と、二十代半ばの青年であった事だ。
俺だけでは無く、周りも彼の若い容姿に驚いているようだ。同じ日本人の目から見ても随分と童顔なのだろう。
「まあ、彼奴が大人だった事はさて置き――もし、彼奴が生きておれば此処の連中は拷問に掛けられても、何一つ口を割らなかっただろうがな……」
川路大警視の云う通りであろう。
生きてさえいれば彼の成すべき事の為に口を噤むだろうが、逆に死んでしまったのならば、彼の成そうとした事を後世に伝えたいとの思いから、包み隠さず全てを語る。英雄視された人間は何にしろ、巷説に上るモノなのである。事実と虚構を織り交ぜながら――伝説へと変わっていくのだ。
聞き取りで判明した、怪力無双の辻斬りの概略は以下の通りである。
姓名 渡邉信之助
年齢 二十六歳
生国 旧若狭国(現・滋賀県)
※明治11年当時――小浜、若狭地方は滋賀県に属している。
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