5月10日(風)ー③
校門をくぐり、そこでイヤリングを外す。
そこでセシリアから、
「そういえば、なんでそのイヤリングを学園の中でも付けないんですか?」
その疑問は当然のことだろう。もしこれを使えていれば、校内でも人目を気にすることなく色々なこと《殿下から逃げたりセシリアと遊んだり》が出来るのだから。
だが、それは出来ないのだ。
「こういう重要施設は基本、犯罪を防ぐために結界が張られてるのよ。これは教会特製のものだから、あなたの方が詳しいんじゃないかしら」
そう言うと、彼女は何かを思い出したようにポンと手を叩く。
「確かに聞いたことがあります。私の魔術と同じようなものですね」
「そうなの?そういえば、ちゃんとあなたの魔術を見たことはなかったわね。
などと、セシリアの魔術の秘密を聞きながら、ユーティを先行させて人を避けて図書館に向かう。
図書館の古ぼけた扉が見えてきた頃、またセシリアから真っ当な疑問が投げられた。
「って、マーガレット様。その先輩に会うのに、私もいていいんですか?」
「あ」
彼女の言う通りだ。勝手にあの野郎は事情を知っていると考えてしまったが、ただ奴は、私の善性を見抜いただけであった。しかし、それがバレているのであれば、セシリアと行動を共にするくらいは問題ないのか?
「……一応、演技をする意識だけしておいてもらえる?多分必要ないけど」
カーミラルは怪しい男ではあるが、私のことを見透かしたうえで、その噂を広めている様子はない。私を邪魔する《褒める》気があるのなら、それを公表すればよい。それをしていないところを見るに、私とセシリアの関係に突っ込んでくることもないだろう。
カーミラルへの、信頼とも違う不思議な感情を感じながら、図書館の大きな扉をくぐる。
受付には以前と変わらず、怪しい眼鏡を光らせたカーミラルが立っていた。
「おや。ようこそ、リコリスネーロ様。今日一年生は確か、野外訓練の準備だったと思うのですが、もう済んだのですか?」
「その準備の一環ですわ、カーミラル様。去年までの調査レポートを拝見したいのですが、こちらに保管されていますか?」
そういうと彼は感心したという風に目を細め、称賛の拍手を叩き始めた。
「流石ですね。私は去年、レポートを作る段階になってから気づきましたよ。どうぞ、こちらに」
そう言うとカーミラルは受付を出て、ついてくるよう手招きをする。特に疑問もなく彼の後についていくと、奥まった場所の本棚の前で彼は足を止めた。
本の代わりに納められていた紙束を一つ取り出すと、学園近辺の植生が、いくつかのエリアに分かれて纏められていて、私たちが向かうオーステンの森についても記載があった。
やっぱり、思った通りだ。この図書館は国を批判するような本も置いてあるのだから、学生のレポートを保管してないほうがおかしいだろう。
存在することは確認できたし、後は必要なものを抽出しようとセシリアの姿を探すと、突然目の前に別のレポートが差し出される。
「向かうのは、オーステンの森ですね?こちらが去年のレポートです。いやあ、去年私たちが訓練したのもそこでしてね。そのレポートも私たちが作ったんですよ。あ、その時に使った資料も持ってきますね」
「あ、ありがとう……」
彼はこちらが言葉を挟む間もなく言い切り、背を向けて歩いていく。
カーミラルにお礼を言ったはいいものの、これまで見てきた彼からは想像できない勢いに呆気に取られてしまう。
彼があんなにも早口で喋るなど、一体何があったのだろう。それに何故あの男は、他学年の行事にあんなにも熱心になっているのか。
「あの、マーガレット様。どうしましょう……?」
その声にハッとして呆けた表情を何とか隠す。そうだった、今は私ひとりじゃなくてセシリアを連れているんだ。
小さく頭を振って気を取り直して、なんでもないという風に笑いかけた。
「とりあえず、座って待っていましょうか。まだ寮の門限までは時間がありますし、必要な情報を書き出しておきましょう」
「わかりました!」
気持ちのいい返事を受け、彼への疑念についての優先度を下げる。聖女の笑顔に浄化されながら近くの机に陣取って、調査エリアの選定や情報の書き出しなど、手際よく情報を纏めていく。
たまにセシリアのことも確認すると、読めないこともなく書き写せていて、その内容も役に立つものに間違いなかった。
彼女が故郷を離れて半年ほどだろうか。そんな短時間で様々なことを身につけていく彼女はとても優秀で、一部だろうがその助けになっている事実に少しだけ嬉しくなる。
同時、悪役令嬢として彼女をいじめるのは不可能なのではという予感に駆られる。暴力に走ればまだ何とかなるかもしれないが、セシリアを殴るくらいならバカ王子を殴りたい。
でもそれをやってしまうと、単なる婚約破棄ではなく傷害罪で捕らえられたうえでの破棄になるかもしれない。流石にそれは陛下も庇い切れないだろう。この辺りはまたユーティやピスティスたちと話し合ってみよう。
何冊もの分厚い本をドサドサと机の上に並べていき、呆気にとられるこちらを放って、汗を拭いながらカーミラルが解説を始める。
「いやあ、少し張り切りすぎましたかね。これらの図鑑を基本に、こちらの論文を読んでいただければ参考になりますよ」
いったい彼は何を暴走しているのか。漬物石としても役目を果たせそうな図鑑をいくつも持ってきたカーミラルに、私は突っ込まざるを得なかった。
「カーミラル様。とてもありがたいのですが、流石にこの量は持っていけませんよ」
その言葉に彼はハッとして、こめかみの辺りを搔きながら気まずそうに笑みを浮かべた。
「ああ、申し訳ない。少し興奮しすぎていたようですね。……そうですね、こちらは私の方で貸出不可にしておきますので、いつでもお声がけください」
「そんな、よろしいのですか?」
「ええ、情けない格好を見せたお詫びだと思ってください」
カーミラルは任せろという風に胸を張り、自信満々に言い放つ。彼にそんな権限があるとは思えないが、そこまで言うのであればと、その好意を受け取ることにした。
「わかりました。しかし、あなたですらそんなにも興奮するとは。同じ特待生がこんなにも可愛らしいと、殿方としては世話を焼きたくなるのでしょうか」
恐らくこの方もセシリアに惚れたのだろうなと思いそれを口にすると、カーミラルはポカンと口を開けた状態で固まってしまった。
最近の殿下の様子からして、そう言う人は多いと思っていたのだが、もしかして違ったのだろうか。いや、それにしたって、彼が冗談も返せないくらい固まるのは予想外が過ぎた。
彼はすぐに再起動するが、呆れたような笑いを浮かべていた。
「ああ、まあ、そうですね。色々と噂もありますし、必要があれば助ける用意はしておりました。ただ……」
そこで彼は言葉を区切り、何かを迷うように視線を下に向けた。がっかりしたような声音も相まって、私に何か思うところでもあったのだろうか?
彼の意図が分からず、ただ黙って彼の言葉を待つ。
そうして私と目を合わせた彼は、何かを決めたように頷いて、また変わらない笑みに戻って言い放つ。
「ただ今回は、あなたのせいですよ」
「え?」
「あなたにはいろいろと恩がありまして、頼られたのが嬉しくて」
私は何を言えばいいか、どう言葉を返せばいいかわからなくなってしまった。
恩と言われて思いつくのは、家の仕事を手伝っていた時の事。確かにそれで、貧民の支援や魔物の駆除で各地を訪れたことはある。だが、そのどれもが私が主導したものではないし、住民との交流があったわけではない。
それなのに、私個人に向かって恩など。
戸惑う私に追い打ちをかけるように、カーミラルは瞳を閉じて、優しい笑みを重ねる。
「マーガレット・リコリスネーロ様。あなたは自分の思うより、多くの人を救っているのですよ」
私はどうにも恥ずかしくなって、蚊の鳴くような声でお礼を告げた。
「その。ありがとう、カーミラル様」
その時の光景を、机の向こうで黙っているセシリアはどう感じていたのだろうか。
奇妙な沈黙を挟んだ後、カーミラルは誤魔化すように咳払いをして話題を変えた。
「それにしても、リコリスネーロ様は特待生とは仲が悪いと聞き及んでいましたが、私にそんな姿を見せてよかったのですか?」
意趣返しなのかいたずらな笑みを浮かべて、こちらに問いかけてくる。優しい雰囲気からの変わり身の速さに、思わずいやな顔をしてしまった。
だが、ここで下手な誤魔化しをすると、そこを突いてさらに遊ばれそうな気がして、素直に、ただ詳しいことは教えないように言葉を選び、答える。
「……あなたは特別です。他の方には秘密ですからね」
その声にまた彼は固まり、先ほどより長い時間をかけて眼鏡を掛けなおす。
小さく笑い声をあげて、機嫌よく声を上げた。
「ええ、ええ。委細承知いたしましたとも。ですがお気を付けを。幸運にも、今は閑散としておりますが、本来この図書館は大人気なんですよ?」
確かにその通りだと納得して、だが彼が機嫌よくなった理由は理解できなかった。とにかく、彼の意見が正しいことには変わりない。そう判断して、彼に合わせた答えを返す。
「確かにそうですわね。次からは個室を使わせていただきましょう」
「ええ、私に依頼していただければ必ず用意いたしますよ」
機嫌よく笑っている彼に何故か苛立ちを覚えて、会話を放棄し資料の調査を進める。
その最中も何故か彼は傍にいて、我々の手伝いをして、たまに出る疑問にも嫌な顔一つすることなく答えてくれた。
「そう言えば、実際にレポートを書いた方から見て、森に何か変わったところはありましたか?」
「レポートの通りですが、例年通り変わったことはありませんでしたよ」
少し残念に思って会話を切り上げたが、カーミラルは考えるようなそぶりをした後、とある情報をくれた。
「……ああ、一つだけ。珍しいことに、
「確かに、それはおかしいですね」
オーステンの森にも洞窟はあるが、鉱石が掘り出されるような深さではなかったはず。その情報を活用するなら、洞窟や岩場を調査してみるといいかもしれない。
「であれば洞窟を重点的に調査してみますわ」
「それがよろしいかと。ですが、どうかお気を付けを。あの森には昔から、地から響く鬼の声、なんて都市伝説もありますからね」
「あら、カーミラル様のようなお方が、そんなものを信じているなんて」
「楽しむ分にはいいものですよ」
その後はカーミラルが司書見習いらしい手腕を見せ、門限前には必要な情報がほとんど揃ってしまった。
情報が揃った私たちは、殿下たちへの説明用に昨年度のレポートと図鑑を一つずつ、私とセシリアに貸し出してもらい図書館を後にする。
「カーミラル様、今日は助かりました。このお礼は必ず」
扉をくぐる前に後ろへ振り返り、見送りまで来てくれた彼に感謝の念を込めて視線を送った。
だが彼は普段と変わらぬ笑みを浮かべ、気にするなと手を振る。
「いえ、何度も申し上げた通り、あれは恩返しですので。どうかお気になさらず」
「いいえ、私はあなたの言う恩に覚えがありません。そして、働きには褒美を与えるのが貴族です。私を貴族ではなくすおつもりですか?」
納得できないと、強い意志を込めてにらみ続けていると、折れてくれたのか彼は一つ息を吐き、困ったような笑顔を浮かべた。
「ですから恩返しだと……。ではせっかくですから、あなたに贈り物をする名誉を頂ければと」
「いえ、それではまた私が……!」
言いかけ、覗き込んだ彼の顔はまるで歴戦の商人ように見え、この案件だけは絶対に通すという意思を感じた。
それに冷静に考えれてみれば、平民が貴族に贈り物をできる機会、それも男性が女性に、というのは確かに名誉だ。
他に妙なことを頼まれても困るし、これで納得しておくべきだと自分を納得させてため息と共にその提案を飲む。
「わかりました。では一度だけ、あなたからの贈り物を受け入れます」
「ありがたき幸せ。ただ、今思いついたことですから、実物はしばらくお待ちください」
その言葉に私は笑顔を返し、セシリアに声をかけて歩き出した。
寮までの道では流石に人に見られることもあるだろうと、セシリアとは別れて寮に向かう。
まだ人通りの少ない細道、建物が乱立している影響で出来てしまったその道を歩いていると、後ろから人の足音が聞こえた。
ユーティはセシリアの監視に行った。不審者ならば顎を打ち抜く。そう覚悟をして振り返ると、そこにいたのは息を切らしたセシリアであった。
「セシリア?どうしたのよ。何かあったの?」
駆け寄り、取り出したハンカチで汗を拭いてやる。
少し待って、落ち着いたらしいセシリアの顔は、怯えたような表情で話し始めた。
「ごめんなさい。どうしても、今伝えないとって思って」
「伝える?もしかして聖女の力で何か感じたの?」
そう言うとセシリアは、怯えながらもはっきりと言葉を返した。
「あの司書さんは、危険です!」
あの司書とは、と考える必要はないだろう。
カーミラルと名乗るこの学園の特待生で先輩の、司書見習いをしている怪しい眼鏡。
何かを隠していそうなあの男も、聖女の特別な眼をもってすれば心の内を見透かしてしまうのだろう。
「あの眼鏡?まあ、それはそうでしょうね。何か見えた?」
何でもないように言い放つ私に驚いて、慌てて飛びついてくるセシリアを受け止める。
「分かってるならなぜあんな約束を!……彼に私が今まで見てきたような噓つきの色はありませんでした。その代わりに、あの方は色が何色も見えたんです!普通は混ざり合うはずのそれは完全に独立して、まるで、1人の中に何人もいるみたいな……!」
「落ち着いて。落ち着くのよ、セシリア。そう興奮しては、伝わるものも伝わらないわ」
過呼吸になりながら何かを叫ぶセシリアを宥めようと背中をさするが、どうにも収まらない。
教師か治癒士を呼んでくるようユーティを走らせ、しばらくの間セシリアを抱きしめ続ける。
「あなたの見える景色がどんなものか、私にはわからない。でも、大丈夫よ。私はあなたを信じるから……」
それを聞いて、ようやくセシリアが顔をあげた。
「あの方は、なんなのでしょう……。フェルト先生だって……」
「?……人に話せない秘密なんて誰にでもあるはずよ。私だって最初、あなたに嘘をついていたでしょう?」
ここで何故、フェルト先生の名前が?
だがそれを問いただそうにも、今セシリアは詳しく話せる状況にない。
「私は大丈夫よ。知らないかもしれないけど、魔物だっていっぱい倒してきたんだから」
そう囁くと、抱えた頭から眠ったような規則的な息遣いが聞こえた。
ちょうどユーティも治癒士を連れてきてくれて、セシリアはそのまま医療棟に泊まる運びとなった。
カーミラルの思惑。セシリアがなぜフェルト先生の名前を出したのか。
分からないことは多い。調べようにも時間は少なく、来週には野外訓練が始まる。何かを仕掛けていると決まったわけではないが、意識を裂く必要はあるだろう。父にも協力させる。もしできるなら、陛下にも。
だが最終的に頼れるのは己の拳のみ。
そして訓練の場に、民を危険に晒す者どもがいるのであれば、私が断罪してやろう。
私は貴族。国を守り、民を護る者なのだから。
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