3月5日(土)ー別視点ー④

 教室を出て、またスタッフの方に教えてもらいながら学力試験の会場に向かう。

 道中や待っている間に何やら視線を感じたのだが、もしかして私が先生を燃やしたことがバレたのだろうか。いやいやあれは先生に許してもらったのだし、何の問題もない、よね?

 後ろ髪を引かれる思いではあるが、今はスタッフの説明に集中する。

 説明は簡単なもので、とりあえず、名前を書き、配られた紙にある問題を全部解けばよいとのことだった。歴史や算術は勉強してきたし、もしかしたら全問正解出来たりして!

「皆さんよろしいですね?では、始め!」

 スタッフの声を合図に、目を輝かせながら自信満々に用紙をめくると、そこには、私の知らない世界が広がっていた。試験は私の戸惑いなど関係なく始まっている。

 最初の方に書いてあるものは辛うじて理解できるのだ。だが後ろの方にあるものは一体なんだ?本当に、私たちの使う統一言語で書かれている内容なのか。それすら私には読み解けなかった。

 今までの自信が嘘だったかのようにしぼんでいき、もうペンを置いてしまおうかなんて考えてしまった。

 その時、私を必死に指導してくれた先生たちの顔が思い浮かぶ。さっきもセブルス先生だって、自分のできることを全力でと言われたではないか。

 上の方が解けそうなら、これを全力で解いていこう。

 そう決意を固め、うめき声を漏らしながらも、かつてない強敵へと挑み始めた。




「そこまで!皆さん、ペンを置いてください」

 私にはその声が、死んだあとに聞くという閻魔様の声に聞こえてしまった。

 手元の解答用紙はなんとか半分が埋まるだけ埋まっているという形で、ただし解けた部分はしっかりと見直しをしたので4分の1はとれている、はずだ。

 ふと周りを見ると私以外には誰も生徒は残っておらず、やっと部屋が空いたとも言いたげなスタッフの指示に従って外へ出た。

 私と入れ替わりで教室に入る生徒たちを尻目に、一息つくために休憩室に入る。

 帰りの馬車はもう来ている時間なのだが、どうにも真っすぐ帰る気分にはならず、空いていた椅子に腰を下ろし、窓枠から見える空を眺めていた。

 その空があまりにも綺麗に見えたから思わず目が離せなくって、後ろから声をかけられた時も、すぐに反応することが出来なかった。

「君は確か、特待生か?こんなところで何をしている。」

 ゆっくりそちらに視線を向けると、そこには今朝出会った王子様、サミュエル様の姿があった。

 今回も何も言わずに見つめていると、怪訝な顔をして近づいてくる。

「もう試験は終わったはずだろう。もしや帰りの馬車待ちか?」

 彼は今朝と変わらぬ優し気な笑みで、私に話しかけてきてくれた。だからといって試験後に残っていた無力感がなくなるわけでもなく、弱弱しく返事をする。

「ええと。そんなところです」

「ふむ、そうか……」

 そう呟いた王子様は何を思ったのか、私と同じ机に腰を下ろした。

 一体どうしたのだろうと、今度はこちらが怪訝そうに見つめていると、それに気づいた王子が柔らかな笑みを浮かべてくる。

「いやなに、朝はろくに名前も聞かず別れてしまったからな。どうだろう。馬車を待つ間、お茶でも」

「ぜひ!」

 憧れていた王子様からのその誘いに思わず、教わった淑女の動作も忘れて返事を返す。

 王子も機嫌よく使用人を呼び出して、彼女らは瞬く間にお茶の準備を整えてしまった。カトラリーやケーキスタンドがどこから出てきたのか気になるが、貴族ならそんなものだと自分を納得させて、用意されたお茶を啜る。

「美味しい……」

 一口含んだそれは、苦悩を越え疲れ切った今の私にぴったりの癒される香りをしていて、改めて貴族に使えるものの凄さを実感した。

 と、そこで王子に見つめられていることに気付き、顔が赤くなるのを感じた。

「気に入ってくれたようで何よりだ。私の名はサミュエル・アイリスレーギア。この学園では、ただのサミュエルとして扱ってくれ」

 こういうのは下の者から名乗るものだろうに。先んじて名を名乗られてしまい、真っ先にお茶に飛びついてしまった自分が恥ずかしくなった。

「その、私はセシリアと申します。礼儀知らずで申し訳ございません。田舎からこちらに来たばかりで……」

「よいよい。そもそも俺は、王族だなんだというのが嫌いでな。学園では身分が関係ないと聞いて、楽しみにしていたのだ」

「そうなのですか?王子様って、いいものだと思うのですが」

「そうでもないぞ。思い通りにならんことも多い。この前など……」

 お互いのことを教えながら、他愛もない話をして過ごす。

 こんなにも楽しくお話をした覚えなんて人生で一度もなく、空がオレンジ色になるまで話し込んでしまった。

 王子もそれに気が付いて、苦笑しながら謝ってきた。

「もうこんな時間か。すまない、引き留めすぎたな」

「いえいえ、私も楽しく過ごせましたし」

「そうであれば嬉しい。機会があれば、また平民の生活について教えてくれ」

「わかりました、サミュエル様。それでは、ご、ごきげんよう?」

 最後だけはちゃんとしようと学んだことを思い出して礼をすると、王子も同じように礼をして、二人で大笑いをしてから席を立つ。

「ははは、それで問題ない。ではな、セシリア。また会おう」

「はい、また今度!」

 サミュエル様はそのまま背を向けて去っていくと思われたが、途中で足を止めてこちらへ振り向く。

 彼は先ほどまでとは打って変わって、不安そうな表情で口を開いた。

「なあ、セシリア。運命とはいったい何なのだろうな。それに振り回されて、一体どこに人の意思があるのだろう」

 私にはその言葉の意味があまり理解できなかった。だが、不安そうな人を目にした時、やるべきことは母からしっかり教わっていた。

「サミュエル様、私は難しいことはわかりません。でも、あなたは優しいお方です。私はあなたのことをおうえんしております」

 それを聞くとサミュエル様は笑顔を浮かべ、改めて部屋を出て行った。質問の意図は分からなかったが、私も早く帰って馬車の人に謝らないと。

 今日は楽しかった。でもその分自分の無知っぷりが理解できた。帰ったら講師の方にもっと貴族のことを学びたいと言ってみよう。

 それで今度サミュエル様と会った時には綺麗になったと言われるんだ。

 そんなことを夢想しながら、私は帰りの馬車へと乗り込む。

 後日、礼儀作法の先生に心中を打ち明けると、指導がさらに地獄となったが、王子様への憧れでなんとか乗り越え、それを見た先生によってさらに地獄になるという悪循環(?)に陥ったのは別の話だ。

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