3月5日(土)ー別視点ー②

 道行く人たちに教えてもらいながらなんとか会場にたどり着き、スタッフさんの説明を聞いて、私が唯一使えた透明な壁を張る魔術の分類をさらに質問して、苦い顔を返されながらも防御魔術というグループに向かう。

 細かいことはあまり理解できなかったが、中に居る先生の言う通りにすればいいというので安心だ。

 少しだけほっとして、待機所の隅で名前を呼ばれるのを待っていると、私の名前は比較的早くに読み上げられた。

 案内に従って教室に入ると、そこには長机と黒い背広に身を包んだ男性と、剣士のような動きやすい服装の男性が立っていた。

 こちらの姿を確認した背広の男性がズカズカとこちらに近づいて、ギロリとこちらを睨みつけて来た。

「貴様がセシリアだな?事情は聞いている。だが、試験に手を抜くようなことはしない。心して挑め」

「ちょっと、いきなりそんな脅かすようなこと言っちゃ可哀そうですよ。すみませんね。この人、口下手なもんだから」

 扉を開けたとたんにかけられた言葉に驚いて、背広の強面先生の肩を叩きながら軽口を叩く軽薄そうな先生にもまた驚く。

 そんなことをして失礼ではないのかとハラハラして固まっていると、今度は軽薄そうな先生が手招きをして、宥めるような優しい声で話しかけてくれた。

「そう怯えないで大丈夫ですよ。改めて、私はフェルト。あなたと同じ平民です。と言っても、私は名誉貴族でもあるんだけどね」

 そう言ってフェルトは紳士的に腰を曲げる。それを見て、強面先生も顔にかかった黒髪をうっとおしそうに払いながら名乗った。

「セブルス・ユダローレルだ。この学園で魔導戦術の授業を預かっているが、まあ貴様には関係ないことだろう」

 そう言い放った先生の貴族らしい貴族な姿に、私は何故か安心感を覚えた。

 もちろん恐れはあるし、指導中も他の貴族の方と顔を合わせていたのだが、村に居る時に想像していた貴族とは、まさしく彼のような相手なのだ。

 そしてこれからのことを考えれば、彼のような相手にも慣れておかねばならないだろう。そして人付き合いとは、挨拶をしなければ何も始まらない。

「セシリアです!今日はよろしくお願いいたします!」

 なんとか習った内容を思い出して、ぎこちなさを残しながらも、教わった通りのい礼を行う。恐る恐る二人の様子を伺うと、なんとも微妙な空気が流れていた。

「ふん、無様だな。学んだことはもう忘れてしまったか」

「あはは。セブさん、そう言わないであげてください。私だって最初の頃はこんなもんだったじゃないですか」

 出来の悪さに気恥ずかしさを覚えながら、セブルスに笑いかけるフェルトを見つめる。今の様子からは想像できないが、フェルトも貴族になりたての時は私と同じように未熟な時期もあったのだろうか?

 などと思いながらそのやり取りを眺めていると、ふとフェルト先生のゆるいウェーブのかかった青髪が記憶の中の何かに引っかかる。何だったか。確か何年か前、母に連れられて見に行った、闘技場の……。そこで記憶のピースがカチリと嵌まった。

「もしかして先生って、いつだったかの武術大会で優勝していませんでしたか?」

 その声に、フェルト先生はよく知っていたねという風に手を叩いて喜ぶ。

「セシリア!君も見てくれてたのかな?過去に私は、いや僕は武者修行の旅をしててさ。確か四回目の大会のときにここの学長さんに気にいられて、剣術を教えることになったんだよ」

「やっぱり!」

 確かに剣もぶら下げているし、平民がどのようにして貴族になったのかにも合点がいった。

 北部にある闘技場は国内で一番の規模を誇り、優勝すればとんでもない量の金貨と名声が手に入ると有名なのだ。そこで何度も優勝を手に入れたフェルトは貴族になれるだけの財力と名誉を持っていても不思議ではない。

 それだけ強いのであればこんな貴族だらけの学園で先生として雇われていても不思議ではない。

 和気あいあいと思い出話に励んでいると、コツン、と机を叩く音が部屋全体に響いた。

「ここは試験の場だ。思い出話は後にしてもらおう」

 その言葉にフェルトと一緒に顔を青くして、何とか姿勢だけは正して沙汰を待つ。

 セブルスはその様子に呆れたように一つ息をついて試験の始まりを告げた。

「あれだけ流暢に話をしていたんだ。緊張は解れているだろう?ではまずは基礎の確認からだ」

 そう言いながら子供の遊ぶ玩具にも見える模様の入った、何かしらの道具を沢山取り出し、長机の上に並べていく。

 その中の、二つの金属の輪が交じり合った知恵の輪のようなものを弄びながら、再びセブルスが口を開いた。

「これは魔術を習いたての徒弟どもが使う訓練用の魔道具だ。今の貴様にはこれがぴったりだろう。さあ、やれ」

セブルスはその魔道具をこちらに差し出しながら、それ以上説明することはなくその無機質な灰色の瞳でこちらを見つめ続ける。

 どうすればいいのかわからないまま、とりあえずそれを受け取り、鈍色のそれを四方から無言で眺める。一呼吸ごとに重くなっていく空気に耐え切れず、私は結局恥を忍んで口を開くことを選んだ。

「あの、これはどうやって使うものなのでしょうか……」

「なんだ?教わっていないのか?それともやはり平民には理解できなかったのか」

 確かに指導の中にはあったかもしれないが、如何せん詰め込まれた量が多すぎて思い出すのにも時間がかかる。

 そうやって黙って固まっていると、痺れを切らした先生がまた一つ息をつき、その魔道具を奪い去って魔力を流すと、鈍色の二重円が鮮やかな赤に変わった。

「このように魔力を流せば色が変わるだけの単純なものだ。輪の数が増えるほど流した時の抵抗は上がるが、流し方くらいはわかるだろう。分からぬのならばさっさと言え。時間の無駄だ」

 その言葉に恐怖を覚えながらも、ブリキ人形のような不自然な動きで首を縦に動かす。

 今思い出したが、確かに流し方は基礎として学んでいる。だが今度は魔道具を持つ手が震えてしまって、上手く魔力を流すことができない。

 失敗するたびにだんだんと息も荒くなってきて、朝と同じように視界が霞んできてしまった。

 突然、私を受け止めるように後ろから影が伸びてくる。なんだと思いそちらに目を向けると、私の手にフェルトの手が重ねられていた。

「大丈夫だよ。落ち着いて。ゆっくりでいいんだから。……セブさぁん、せっかく緊張を解したのに」

「貴様が緩め過ぎなのだ。ここが由緒正しき魔導学園であると理解しているのか」

 二人の先生が私を挟んで睨み合って言い合いをしている間に、呼吸も落ち着いてきた。

 だが落ち着いてしまうと、初めて男性に手を握られている事実に頭が追い付き、少し顔が熱くなってしまう。それに気づいたフェルトもすぐに離して笑いかけてくれた。

「おっとごめんね。女性の手をいきなり握るなんて紳士的じゃなかった。どうか許しておくれ」

 その笑顔を向けられた時には完全に自分を取り戻して、セブルスの灰色の瞳もしっかり正面から覗くことができた。

「だ、大丈夫です。ありがとうございます。セブルス先生も、未熟な私にご指導ありがとうございます。もう、大丈夫です」

 そう言いながらなんとか魔力を流して、鈍色から輝かしい白に変化した魔道具を掲げる。それを見て先生方はため息を吐いたり手を叩いて褒めてくれたりと、それぞれに、しかししっかりとその出来を認めてくれた。

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