4月9日(水) 午後ー①
マーガレットは事件の後、殿下と共にいるときには楽しめなかった図書館へと向かっていた。あのバカ王子は王城に行ったから貴重なお休みの時間だと、そう思っていたのに。
廊下を歩く私の隣には、笑顔のセシリアが上機嫌で付いてきていた。
「マーガレット様はどうして王子様の婚約者になったんですか?あっ、その。嫌な意味ではなくて。本当にお似合いだと思うので、どうやって知り合ったのかなって。だってそんなの、運命じゃないですか。憧れですよね!いいなあ、すごいなあ」
「騒がしいわよ。少し静かにしなさいな」
セシリアを睨みながらそう言っても彼女が凹んだ様子はなく、笑顔のまま答えが返ってくる。
「あっ、ごめんなさい!ちょっと興奮してしまいまして」
その後も黙るかと思えばそんなことはなく、どこかを通り過ぎればあれは何だと、私が何かをするたびにどんな意味があるのだと質問される。
鬱陶しくなって黙っていろと言っても、こちらが心苦しくなるくらいしゅんとして、こっちが悪いことをしている気分になった。
だがここで絆されて仲良くなるわけにもいかない。せっかく嫌いだという噂を作ろうとしているのに、一緒に居ては噂の方こそ冗談だと言われるだろう。
そう判断し、溜まりに溜まった疲労感も合わさって、初めて彼女に心からの嫌悪の言葉を吐いた。
「セシリアさん。図書館に着くまでで良いので、私に近づかないでもらえますか?」
そこで初めて、彼女の怯える表情を見た。今までの落ち込むような表情ではなく、目の焦点も合わずに歯を打ち鳴らす彼女の顔を。
それを見てしまった私は、私の身体を止められなかった。理性が何をしているのだと𠮟責してくるものの、それをさらに感情で抑えつける。
「ごめんなさい。許してくれとは言わないけれど、私にも事情があるの」
周りに誰がいるのかも確認せずに彼女を抱きしめ、安心できるよう声音を選んで語り掛ける。後ろでユーティのため息が聞こえた気がするが、今は無視して彼女のことを抱きしめ続ける。いつまでたっても離れない私を不審に思ったのか、彼女が腕を叩いてきた。それを受けて、ようやく彼女を解放する。
「図書館に着いたら必ず話すから、先に向かっていてちょうだい」
最初こそよくわからないという表情をしていたが、彼女はすぐに頷いて、廊下の先へと駆けていった。
その背中を見送るなか、後ろに控えていたユーティが、いつもの口調を崩してまで苦言を呈してくる。
「メグ。人の目がないからと言って……」
「あれを見て何もしなかったら、それはそれでお説教だったでしょう?民を安心させるのが貴族だというのに。ユーティ、案内してあげて」
ユーティの言葉を遮って、場所を知らないであろうセシリアを案内するよう指示を出す。彼女は少しの間黙り込んでから、セシリアの後を追いかけて行った。
「全く、悪役令嬢ってのは難しいわね……」
私のつぶやきは、閑散とした廊下の影に吸い込まれていった。
セシリアに追いついてしまわないよう遠回りして、遠くに見える古ぼけた塔へと向かっていく。
道中、噂好きの令嬢たちに婚約破棄だったり特待生について問いただされたが、適当なことを言って煙に巻いておいた。
そうして図書館と外界を分ける大きな扉の前に立つ。そんな状況ではないとわかっているのだが、その威容に感動して身体が震えた。これが数多の書籍を歴史の炎から守った偉大な場所。僅かに魔力を感じる外壁は、魔術的な守りも付与されているのだろう。
扉を開いて中に入ると、先ほどよりも強く感情を揺さぶられた。塔の天井まで届きそうな本棚、個室の扉以外を埋める壁一面の本。
ああ、この独特の空気こそ、私を心の底から癒してくれる唯一のものだ。
最近の流行り物から古くから愛される英雄伝、さらには驚くべきことに王国樹立以前に書かれた、初代国王を批判する書籍まで保管されているらしい。そんなものでも許可さえあれば読めるというのだから本当に心が広い。
何もなければ流行りの小説を読むつもりだったが、今は気持ちを抑え込み、セシリアたちの姿を探す。
図書館は広く、人の姿もあまり目に入らない。窓口に聞いてみるかとそちらに足を向けると、ちょうどユーティが個室の鍵を借りているところだった。
「ああ、お嬢様。お客様はあちらに」
「ええ。ありがとう、ユーティ」
ユーティの案内に従い、図書館の奥にあるずらりと扉の並んだ廊下へ足を踏み入れる。
この個室は、外壁と同じように古い防諜魔術がかけられていて、大昔には何か軍事的なものにも使われていたのだとされている。
今は個人が研究するためだったり、静かに本を読みたいという人のために解放されており、受付で手続きをすれば誰であろうと部屋を借りることが出来るのだ。
その廊下の途中でセシリアが私を待っていた。
私たちが近づいていくと、それに気付いた彼女がいつもとは違う引き攣った笑顔で迎えてくれる。
「あ、マーガレット様……。お待ちしておりました」
皮肉にもその時の礼は、いつもより冷静でいるためか、先ほどよりも出来のいい礼だった。
「ええ。まずは部屋に入りましょう」
そう言って、廊下に並んだ扉の一つへ入っていく。
個室と言っても、一般的な平民宅のリビング程度の広さはあり、机と椅子も用意されていて、まさしく会議室のような様相であった。
ユーティは部屋に入ると同時、魔術も駆使しながらお茶の用意を進めて行く。
セシリアはその様子におろおろとしていて、そんなところからも平民であることが感じられた。
私は冷静に椅子に座り込み、セシリアにも座るように手を向けた。彼女が座るのを確認してから、ユーティが紅茶と菓子を我々の目の前に置く。
そして一口お茶を含み、私は口を開いた。
「さて、何から話しましょうか」
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