裁判所口述資料
夏海惺(広瀬勝郎)
鹿児島地裁における想定問答
1 生い立ちについて
奄美大島の小さな村で昭和29年に生まれました。島が日本に復帰して半年後である。
の記憶は両親の記憶ではなく、父の一番下の父の妹の記憶です。
ある日、彼女は私の前から姿を消しました。その後、平穏な日々が続いていました。小学校二年生の頃、彼女が姿を現しました。直ぐに私は彼女が普通ではないと感じました。
小学校四年生の頃だったと思う。祖母と父親が言い争い、それを目にしたTが激昂し床下から錆びた斧を取り出し父に襲い掛かろうとしました。父の母が慌てて父と妹の間に割って入り、その後、Tは再び、私の前から姿を消した。
その直後に父が糖尿病を患いました。
母は、このままでは四人の子供を育てきれないと鹿児島に住む父の妹に泣き付き、鹿児島に一家で引っ越したのです。しかし父は鹿児島の生活に馴染めずアルコール依存症になり、そして施設に入所してしまいました。実は、父方の従兄弟は13名いますが、障害を持つ者が3名もいました。そして父、Tと父です。父の妹のTが何故、あのようになったか手掛かりを得る機会は陸上自衛官として沖縄に勤務していた時期に訪れました。三十代初めの頃でした。彼女は沖繩に働きに出掛け、あのようになってしまったのです。父の父、すなわち、祖父は早死しており、海軍の水平服を着た祖父の肖像写真だけが、極貧生活の家に映えていました。兎に角、幼児期から極貧で家族の味を知らずに育ったと思います。
2 防衛大学校時代について
全く馴染めませんでした。入校して半年も経たない頃に、陸上自衛隊不要論を唱え、学生隊で問題になったようです。翌年、学生隊で「バトル オフ ロイヤル」という第二次世界大戦時のイギリスとドイツのドーバー海峡を挟んでの空の攻防戦を描いた映画を鑑賞しました。あれが私に対する先輩たちの回答だったと思います。終戦の日に陸軍を鎮めるために、自ら腹を切った「阿南陸軍大将」の壮絶な死に様の様子を御子息から聞いたことを最近、特に思い出します。
(日本国内では学生運動が盛んな時期でした。
しかし、あのまま家に留まっていたら、死んでいたと思います。精神的にも追い詰めらてれいました。自己の家庭の貧困の理由は子沢山のせいだと思い、「人口問題」に関心を持ち、戦争と人口問題を考える機会があるかもく知れないと思ったので入校しました。漏れ聞こえる中国の文化大革命の話や中国の人口爆発も気になりました。ベトナム戦争が防衛大学校2年生の時に終わりました。次は中国が出て来ると思いましたが、中越戦争で、米軍が残置した武器を駆使するベトナム軍の前で、あっさり破れたことには驚きまきした)
3 陸上自衛隊生活について
自ら穴を掘り、また自ら穴を埋めるという硬直化した職場です。ただひたすら静かに組織維持すれば過去の旧軍と米軍が守ってくれると言う組織でした。防衛大学校時代から感じていた中国に対する脅威や地政学的に周囲を海を囲まれた島国であると言う現状が先に浮かび、熱心にはなれませんでした。
(今も変わらないと思いますが、施設科職種は日清、日露戦争当時からの破壊筒持ち、鉄条網や地雷原を開設しようとする部隊です。それでも誇れる仕事はした時期がありました。沖縄での施設班長という職や六本木駐屯地の土地を売却して、東京近郊の部隊を再配置する際の大宮駐屯地での勤務した頃です)
4 「柵の中にて」という小説について
以前は虚構だと主張していましたが、事実に基づいた作品だと告白しております。福島第一原発事故に国の責任は無かったという最高裁の判決を覆すためには必要だと思い実名を「生業訴訟弁護団」に伝えております。川内原発稼働に伴い川内移駐する前の第8施設大隊第1中隊内で起きた出来事をモデルにしております。
5 身に危険を及ぶこと、恐れを感じたことについて
常に感じておりました。そのために生命保険は多く掛けておりました。具体的には若い頃、サラ金の件でデッチ上げられた時、Sという隊員が俺が同棲した女と結婚した隊員が施設科幹部初級過程に入校したと叫んだ隊員と幹部中級過程で会った時、その頃、私は自己の名義を勝手に使われたサラ金から借金をされているのではないかと強い不安も感じておりました。成田離婚を強いられた時。健軍支処勤務時に不審な電話が官舎にあった時、その後、Gという隊員が健軍支処にやって来て私の前で仁王立になり、道を塞いだ時、その数日後、柵の中にてという小説の舞台として部外工事で本管中隊から派遣されていた油圧ショベル操縦手が現れ、私に「余計なことを言うな」と強い口調で数回、警告された時です。
(当時の健軍支処長や施設科隊員の人事配置をする担当者は私の自殺、或いは殺人事件を恐れたのではないでしょうか?。それから小郡に転属にしたのですが、その小郡で部外工事で一緒にだったOから私の次級者だったHという隊員がOB会?で「全て私が悪い」と言っていたことを聞きました。私を8施設大隊や川内駐屯地に近付けまいとする輩が存在することは感じました。それでも昨年の最高裁判決直後に部外者である指宿観光協会事務局長から「川内駐屯地」に帰れなかったようですねと言われるまでは確信を持てませんでした。今は確信に近いものを感じています。事実関係は「生業訴訟弁護団」で取って頂いていると期待しております)
6 福島第一原発事故について
福島第一原発事故を回避する機会は3回あったと思います。
最初は新潟沖地震で柏崎原発緊急停止半年後に共産党国会議員が安倍総理に原発事故について質問し、安倍総理が「原発事故は起こしてはいけない」と応えた直後です。それまでジャワ島沖地震でインドの原発が緊急停止したことを受けて貞観地震の際の津波を基準に旧通産省は東北地方に原発を有する電力会社に改善を迫っていましたが、恐らくこれを機会に東海原発と女川原発は政府の指導に従い、改善工事を始めた筈です。ところが東京電力のみは柏崎原発か停止しており赤字だと政府の指導に従わなかった。
次に安倍内閣の後を継いだ鳩山内閣です。東京電力に改善を働きかけた様子は全く見られません。ひたすら辺野古基地移設問題に固執するのみだったと思います。
最後は事故当日です。東電の要請とおり自衛隊が高圧電源車を空輸しておれば、事故は防げたと思っております。政府主導の防災訓練では密かに原発事故対応訓練も行われていたようです。私の存在も無関係ではないと思い、弁護団や各マスコミ、鹿児島地裁にも話を伝えております。
今後、原発事故裁判や鹿児島県での川内原発稼働延長に伴う県民投票が行われると思いますが、事実を解明し、高裁が最高裁判決を覆した理由を国民や告知するしかないと思います。
福島第一原発事故と辺野古基地移設問題の関連性に報道機関も一般国民も気付かざる得ないと思います。
陸上自衛隊が東京電力の高圧電源車輸送要請に応えておれば防げたのではないかと思います。
(元朝日新聞記者の添田タカシさんの「東電原発事故 10年で明らかになったこと」で多くのことを知りました。同時に事故を防ぐ役割を背負わされた当事者であったと思い始めました。事故当日、福島第二原発も福島第一原発と同じように電源を喪失し危機的な状況に陥ったにも関わらず、現場作業員の突貫工事でケーブルを引き、電源を回復し、東芝からモーターを自衛隊機に運んで貰い交換し、土壇場で持ち堪えたと書いてあります。もし事故当日、東電から要請があった高圧電源車を福島第一原発に運ぶなど自衛隊が最初から全面的な支援を行っておれば防げたと思います。もし私が川内駐屯地に配置をされ、陸上幕僚監部の現場の駒として、情報収集する機会があれば円滑に初動対応も出来たと思います。暴力的に人事介入を行い、阻止した輩がいたと思います。Tという隊員の代わりにサラ金で私をデッチ上げた時や成田離婚に追い込んだ時も同じことをやった筈です)
7 川内駐屯地に配置され、陸上幕僚監部の現場の駒として地位が与えられた場合の対応は
陸上幕僚監部の情報提供の要請に東電が事故は起きないの一点張りで門前払にされ、原発事故を想定する防災訓練が出来ないと東京の事情を川内原発で密かに説明し、原発事故の際に陸上自衛隊が出来ることを聞き、陸上幕僚監部に報告したと思います。
(東京で陸上幕僚監部が東電に原発事故について情報も求めても東電は原発事故は起きませんの一点ばり門前払された筈です。第8施設大隊という部隊が川内原発稼働に併せて仙台駐屯地に移駐する前に大宮にあります化学学校に入校させて頂いたことがありました。核攻撃や化学、生物兵器に対する防護方法を取得する過程です。部隊に帰り多くの隊員の前で原発は絶対に安全だとは言えないと言ってしまい騒ぎになったことがあります。その時に騷ぎを沈めて下さったのは浪江出身の大隊長でした。山口さんは5期生で私とは16歳も違います。85歳ほどになっていたと思いますが、神町駐屯地で勤務していたおり船岡駐屯地に伺い遭うことが出来ました。不思議なことに副団長室で制服姿で座って居られました。その時は何かの行事だと思いましたが、今ではわざわざ私の姿を見るために船岡駐屯地の副団長室に座って居られたような気がします。とにかく陸上幕僚監部の現場の駒として仙台駐屯地、あるいは8施設大隊に席を置き、情報収集を行えるのは私以外に適任者は居なかったと思います。しかし陸上幕僚監部の隠れた意図を暴力的な人事介入で妨害したテロリスト達のせいで、原発事故回避の機会を逃したと思っています)
8 福島第一原発事故の被害者救済について
まず最高裁判決を覆すことが必要だと思います。事故前に政府主導の防災訓練で原発事故を想定する訓練が行なわれていたにも関わらず、事故当日、適切な対応が出来なかった理由を明らかにし、避難者が生活再建をするために朝霞訓練場や習志野訓練場等等を割譲を求め、生活再建が整った後には補償費の負担も軽減できると思います。
(「生業訴訟弁護団」の事務局長マナジ弁護士の非行もあり私が提供した情報は全て無視されたと思います。このようなことがないようにマスコミ各社にも情報を拡散させて頂いております。東京へ避難された方々の団体には大正時代に田中正造が足尾鉱山鉱毒事件で行った請願を防衛大臣に行うように勧めております。)
9 テロリスト達に対する処罰について
もし私が指摘するような暴力的な人事介入が行なわれていた場合には、ウクライナのサボリージャ原発で起きているようなことを防ぐためにも国際社会に模範を示し、厳罰に処すしかないと思います。子孫や親類縁者、友人にも処罰の範囲を拡げる前近代の連座制を採用すべきだと思います。見せしめのための厳罰も必要だと思います。
(補償費や廃炉費用など10年間に要した経費は約13兆円に上ったということです。年間1兆3千億円です。それ以外に目に見えい被害は多々あります。例えば現在の極東の状況、防衛増税も福島第一原発事故によるパワーバランス崩壊の福島第一原発事故せいで起きたかも知れません。ウクライナ戦争もそうかも知れません。歴史に例を見ない最悪のテロ行為です)
10 今後の陸上自衛隊や安全保障体制や危機管理体制について
日本は周囲を海に囲まれた海洋国家です。陸地の3倍ほどありそうな排他的経済水域を国際社会に主張しております。その排他的経済水域の安全確保を責任を持って行うためにも陸上自衛隊を解体的に縮小し航空自衛隊や海上自衛隊に増員増強を急ぐべきだと思います。
(中国は福島第一原発事故から日本の安全保障体制を多く知った筈です。安全保障体制を全面的に見直すべきです)。国民を巻き込む憲法改正を急ぐべきですが、先に陸上自衛隊を解体的に縮小し、航空自衛隊や海上自衛隊に、海上保安庁、警察等々の外国人勢力と常時、対峙する組織に多くの隊員を再配置し直すことです。また総務省内に国家総動員法や国家存亡の危機に対応する新しい組織を造るべきです。規模を縮小した陸上自衛隊は平時においては海外での活動に重点を置くことです。まずはウクライナの停戦監視団などとして活動になると思います。
憲法改正論議については憲法前文と九条を再優先し改正とすべきだと主張しております。前文には「国際法と国際条約を遵守し」と言う一文を追加し、九条は周囲を海に囲まれた日本は海洋国家として存続を図る。国際法に違反する行為があった場合は宣戦布告も辞さない。国内での地上戦にもつれ込んだ場合には、国家総動員法を発令する。等々で国民の誰もが理解できる平易な議論を進めるべきです。
11 南西諸島への師団配置について
「柵の中にて」という小説は川内駐屯地移駐前の話です。様々な隊員を寄せ集めた時期です。師団の編成ともなると大事業です。しかも抑止力回復の効果があるか疑問です。むしろ多くの陸上自衛官を航空自衛隊や海上自衛隊に適材適所、再配置すべきです。
(述べたように外国人勢力と常時、対峙する組織に適材適所、再配置する方が合理的です。台湾有事の際には日本は国際社会に主張する排他的経済水域の安全を確保し台湾が世界から孤立しないように図ることが最優先事項だと思います)
12 今後の中国の戦略と日本の対応について
原発事故から1、2年後、国家出席に就任したばかりの周近平国家主席はアメリカに行き、堂々とハワイから東はアメリカが支配し、西は中国が支配することをアメリカに申し出ました。最初はアメリカは冗談だと思ったようですが、本気だと悟ったようです。客観的にも南シナ海の現状を見ても中国は本気なのです。台湾が中国の支配下に陥ったら、中国海軍は南西諸島とフィリピンの間を通過し自由に太平洋に往来出来るようになる筈です。その後は日本の交易の妨害し、日本が弱体化するのを待ち、北朝鮮による朝鮮半島併合、そして元寇の例に習い朝鮮軍を尖兵にし日本を攻め入る戦略ではないかと思います。とにかく台湾有事を起こさないためにパワーバランスの回復を急ぐべきだと思います。
(台湾有事が日本有事だということを最初に指摘されたのは安倍総理です。台湾有事は南西諸島有事という意味ではないのです。今の韓国大統領はマトマで方で少し危機は遠のいたように感じますが、今後、どうなるか分かりません。長期的な中国の戦略を読み誤らないようにすべきです)
13 川内原発を含む今後の国の原発稼働期間の延長について
二度と福島第一原発事故事故のような破局的な事故を起こさないために福島第一原発事故前に行うべきだったことを行って貰いたい。ただし玉石混交の陸上自衛隊主体で行うのではなく、総務省に新しい組織を作った上で実施して貰いたい。
(数週間前に川内市で行われた鹿児島県主催の川内原発の運転延長に対する説明会を聞きに行きました。罵声飛び交うような会場でした。運転延長による原発全体の脆弱性の増加は否定出来ないようです。それでも運転延長をせざる得ないのが現在の日本の状況だと思います)
14 今後の家族について
嫉妬深いテロリストたちと戦うために家族を人身御供やいけにえに捧げたと思うこともあります。成田離婚のような出来事を避けるためには家族を遠ざけるしか無かったと思うこともあります。
職場での不調や辛いことを家庭に持ちこみ、本当に申し訳け無かったと思っています。戦前に沸き起こった天皇機関説問題や防衛大学校時代に学生隊で鑑賞した「長い灰色の戦線」という映画の主人公の階級に拘らす生きる道、主人公は前線に立つのが向いていると降格を申し出た物語ですが、そのような人生もあると理解していたつもりですが、防衛大学校卒業で3等陸佐で定年退職を迎えたということも大きな痛手だったと思います。もし貴女が40歳の私を拾ってくれなければ、生きて居なかったと思います。せめて遺族年金だけは受け取るようにして貰いたい。今は息子に早く家族を持たせ、もし義理の兄夫婦が望めば、隣の事務所を解体後、半分のずつの土地で隠居小屋を作り余生を過ごしたいと願っています。
私は家族の幸せを人身御供に差し出し、行動を続けたようなものです。世の中には墓場に持って行くべき話があることは承知しているつもりですが、原発事故や、それに伴う二次災害「戦争」を招くようなことは墓場には持って行きたくありません。私にしか果たせない役割だと自負しています。テロリスト達から家族や私を守るために家族の幸せを人身御供に出したと思うようなこともあります。
(家を出た理由は色々な理由もありましたが、このような発言し、家族を巻込みたく無かったと言うことが一番の理由です。苦しい人生でした。やっと過去に向き合い過去を捨て去る断捨離も終わりかけているように思います。多くの方々の世話になりましたが、最大の恩人は貴女した。若い頃の苦労は買ってでもしろと言う人がいましたが、嘘だと思います。普通は苦労は人を痩せさ、勇気を奪います。今も避難生活を続けている原発事故避難者を出来るだけ早く苦労から開放して上げるべきだとも思います)
15 その他、本件に関する事項
また陸上自衛官の中には私より階級が低くても素晴らしい方々が多くいらっしゃいました。その方々のお陰で定年退職するまで無事に辿り着くことが出来たと思います。
16 陸上自衛隊定年退職直前直後の心境と小郡市議選挙に立候補した理由について
個人的なことです。今年1月に離婚した。
鹿児島地方裁判所では、ひたすら妻に謝罪し、弁明の許された時間内で幼い頃からの極貧生活や防衛大学校時代のこと、そして陸上自衛隊勤務末期の心境を理由や福島第一事故と自己の関係、そして台湾有事や南西諸島を巡る陸上自衛隊の状況について裁判官に聞いて貰った。
最終弁明の時に妻の弁護士から、小郡市の市会議員選挙に出馬した理由を特に尋ねられ、陸上自衛隊を三佐ペッで定年退職したせいだと、その時、思わず応えたが、正確なことは今でも、自分でも分からなく、うまく説明出来ない。福島第一原発事故などを予言したと言える訳もなかったが、山形県の神町駐屯地での出来事などが腑に落ちず悶々と日々を過ごしていたのは事実である。自己の身の安全や家族の身の安全を確保するために居場所を転々と変える車中泊生活を続けながら、発信を続けたのである。しかしそのような悶々とした日々は一昨年の最高裁判決後の数カ月後に指宿観光協会の理事長の電話での「川内駐屯地に帰れなかったようですね」と言う一言で変わった。
山形県の神町駐屯地から九州の部隊に配置された理由があったのである。その頃から陸上幕僚監部や諸先輩は原発事故発生を備えねばならないと考えており、福島第一原発事故の30年ほど前の川内原発稼働に伴い川内駐屯地に移駐する前に多くの隊員の前で「原発は絶対に安全とは言えないので備える必要がある」発言した私を九州に帰し、様子を見て鹿児島川内駐屯地前に配置しようと考えたのであろう。しかしやはり、移駐前のゴタゴタが災いし、私は川内駐屯地はおろか南九州の部隊に帰ることは出来ず福岡県の部隊で定年を迎えることになったのである。
定年退職二年前の健軍駐屯地から小郡駐屯地での配置が大きな結節だったと思う。原発事故の3年半前の事だったと思う。
裁判所口述資料 夏海惺(広瀬勝郎) @natumi-satoru
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