第10話 何か
そう奥深くに分け入るまでもなく、紙の軽い感触が指先に触れる。
ようやく観念したユーノが手をどけると、ポケットの中から現れたのは小さな包み紙だった。
瑠璃色のリボンで閉ざされ、巾着型に結ばれているのは、これもきららが提案して最近流行り始めたレースペーパーだ。
「これは?」
僕は掌に包みを乗せて、ユーノに差し向ける。
上った熱を落ち着けるように両手で頬を包むユーノが、気まずそうに視線を下へと落としていった。
「わたくしが作ったんです。アステリオス様にと思って……でも、甘いのは苦手でいらっしゃいますし自分で食べようと……」
ぽつり、ぽつり、と話し出すユーノの言葉を聞きながら私はリボンを解いていった。
ふわり、と広がる包み紙。
その真ん中にあったのは、僕の理解を越えるものだった。
「これ、ユーノが作ったのかい?」
頷くユーノに、頭の中の同居人が問い掛ける。
────なぜこうなった。
私も、同意せざるを得なかった。
包み紙の上に転がるマシュマロという名前のそれを、改めて見下ろす。
角度によってギラギラと七色に輝く楕円の物体は、最早食べ物という枠組みを超越していた。
言葉で表現するとしたら、満点の星空。
あるいは伝説の鉱物の一欠片といった具合だ。
「アステリオス様!お返しください。わたくし、自分で食べますから」
玩具に飛び掛かる猫のように、両手を伸ばしてくる彼女から遠ざけるために、片手をサッ、と上にあげて避ける。
そのまま私は立ち上がると、彼女の指が躍りかかってく前に、金属的な光沢を帯びるマシュマロを摘まみ上げて自分の口の中に放り込んだ。
「え、あ…っ」
硬直するユーノが何かを言う前に私はマシュマロを噛み締めた。
硬質な見た目に反して食感は柔らかく、噛むと甘さと一緒に花のような芳しい香りが広がった。
食べ物に対して使ってよい表現か迷うところだが、言うなれば蠱惑的な香りだった。
「───……とっても美味しいよ、ユーノ」
「本当ですか?」
両手を組み合わせて、祈るように私を見るユーノの前で、私はもう一個マシュマロを口に放り込む。
普段なら一粒で十分、と思えるのに…鼻の奥に残る香りが、私をどうしようもなく誘惑する。
「うん、君の作ったものだし ね……ところで、この綺麗な光沢はどうやって出しているんだい?」
「きららが使ってる特別な調味料……たしか、はっぴーぱうだー?という物を、使わせて頂きましたの。少しお借りするつもりだったのに、全部入ってしまって……後で謝りませんと」
はっぴーぱうだー、何というか不思議な響きだ。
そんな風に呑気に考えていた私の思考を吹き飛ばすように、猛烈な大声が頭蓋の中で響いた。
─────待って、まてまてまて、それストップ!!飲むな!!吐き出せ!!ぺっ、しなさい、ぺっ!!!
頭の中の同居人の声は、血相を変えたような慌てぶりだった。
只事ではない、そう分かっていながら私は手を止めることができないでいた。
食べるほどに、理性の箍が緩むような幸福感に満たされる。
絶え間ない酩酊感に襲われると、皇子として、ユーノの婚約者として、いつも自分を律していた私の中に僅かな隙間ができた。
そこに、同居人とは違う
途端に、どうしようもない悪寒と快楽が私の身体を苛んだ。
「美味しいよ、これなら毎日食べたいぐらいだ」
そう言って笑った私に、別の何者かが溶け込んでいた。
─────馬鹿っ……、アステリオス!!それは禁断の課金アイテム『はぴ粉』だ!!!
頭の中の同居人は、私の異変に気付かないまま、叫んでいる。
「きらら…、…」
私はマレビトであるか弱き少女の名前を、口にする。
私の記憶の中できららは、美しく…そしてどこまでも憎らしく、輝いてみえた。
私を唯一消せる存在。
私を
全ての楽しかった記憶も、喜びも、感動も。
きららの姿に埋め尽くされていった。
きららの名前を口ずさむだけで、ヘドロのような幸せが頭から溢れて、満たされていくようだ。
『おかしい』
そう思うのに、私はこの歪な思考を当然のものとして受け入れてしまっていた。
「アステリオス様?」
可愛い声が聞こえてくる。さっきまでこの世の誰よりも愛しくて、大切だったユーノの姿を私は見下ろした。
「ユーノ…君とはもう、一緒にいられない」
そう唐突に告げた瞬間、ユーノの大きな瞳が零れんばかりに見開かれる。
「私は、本当の愛に目覚めてしまったみたいだ」
「え…、…」
呆然としたユーノの声に、私の心が軋む。
『こんなことを言いたい訳じゃない』
叫ぶ感情と裏腹に、こんなに愛しいユーノを捨てて異世界からきた少女を選ぶことに、歪んだ高揚を覚える。
「さよなら、ユーノ。私はきららと結婚するよ」
晴れやかに笑う私の顔を、涙に濡れるユーノの瞳が映し出していた。
────馬鹿野郎!馬鹿!ばかばかばか!!アステリオス!!目を覚ませ、アステリオスっっっ!!!
頭の中の声が、一瞬だけ私に酷い後悔と悲しみを思い出させた。
『今すぐユーノに謝らないと!』
そう思った次の瞬間、私の中に溶け込んだ
私は泣き崩れるユーノを残して、生徒会室へと向かっていった。
掌からは、彼女の想いが込められたリボンが風に弄ばれながら、儚く飛び去っていった。
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