第23話

「ハル?」


 振り返るとそこには泉と近江が神父に連れられて立っていた。


「あれぇ? まっちゃんなんでいるんだぁ?」


 近江が間抜けな声を上げる。


「何で、何でハルがいるのよ? それに」


 泉は小金井を睨みつけていた。

 

 神父は泉を見て、静かに笑みを浮かべていた。その姿がなぜか不気味に思えた。


「僕らはその、見学に来たんだよ。この前、神父さんと会って、それで……」


「何で小金井さんもいるの? ハルは何をしてるの?」


「おい、由紀、どうしたんだよ──」


「亮太は黙ってて!」


 近江はびくりと肩を震わせる。


「泉、違うんだよ。この間のは誤解なんだ」


「何が誤解だっていうの⁉︎ どうしてハルはそんなのと一緒にいるのよ!」


 泉はこちらに近づいてくる。そして、小金井の目の前まで来て叫ぶ。


「私が何したって言うの⁉︎」


 泉の勢いは止まらない。小金井の呼吸は浅く早くなる。視線は泉の顔の横、肩のちょうど上辺りを彷徨っていた。彼女には今僕らに見えないものが見えている。


「私は……」


 小金井は必死に言葉を探しているようだった。


 しかし、その時泉がぎゅっと拳を握ったのが見えた。


「ちょっと、泉! それ以上は」


 僕は小金井と泉の間に割って入った。


 その時、なぜか神父と目が合った。その目は大きく見開かれていた。何にそんなに驚いていたのかわからない。


「ハルも何なのよ! どうしてそんな奴を庇うの⁉︎ どうして私ばっかり……」


 泉の目から涙が流れるのを見た。


「おいおい、由紀も落ち着けよ。どうしたんだよ?」


 近江が泉に駆け寄る。


 僕は泉の言葉に何も返すことができなかった。どうして泉が泣いていたのかもわからない。


 近江は泉を近くのベンチに座らせて、背中をさすっていた。泉は嗚咽を漏らす。


 僕は小金井に「大丈夫?」と声を掛けた。小金井は「平気」とだけ呟いた。


 嫌な沈黙が続いた。

 

しばらくして泉も泣き止んだのか近江がこちらに来た。


「なあ、まっちゃん何があったんだ?」


「いや、それは……」


 僕はなんと答えていいのかわからなかった。


 僕が答える前に小金井が立ち上がる。


「いきましょう」


 それだけ言って小金井は歩き出した。


「ちょっと、小金井さん!」


 僕は近江を見た。近江は顔をしかめていたけど、顎で行けと合図を出した。僕は両手を合わせて謝罪した。そして、すぐさま小金井を追った。


 入口に立っていた神父に軽く会釈をし、僕は教会を後にした。


 教会の外に出ると辺りはすでに暗くなりつつあった。国道に続く沿道を小金井が歩いている。僕は走って後を追った。


 追いついて小金井に声を掛けるが一向に返事がない。


 街灯が着き始めるほど辺りが暗くなった頃、小金井はようやく口を開いた。


「泉さんがくること知ってたの?」


 冷たい視線が僕を射抜いた。


「いや、知らなかった。今日来るなんて思いもしなかった」


「普段から来ていることは知っていたのね」


「それは、泉の通っている教会だってことは知っていたけど、今日来るなんて思わなかったんだ。本当に……」


 小金井は訝るような目でこちらを見つめる。


「わざとではないの、よね?」


「あ、当たり前だよ」


 僕は慌てて答えた。


「それならいい」


 先を行く小金井は歩道の縁石の上を歩き始めた。小さい頃はよく僕もそんな遊びをしていた。


 小金井は縁石の上をふらふらと歩いていた。今にもこけてしまいそうで危なっかしい。


「それよりさっき言っていた嘘って何だったの?」


 不安定な縁石の上で小金井は振り返る。一つに束ねられた髪が揺れる。


「魚齢章のこと、あの人知らないって嘘をついていた」


「どうして嘘だって?」


「あの時、私が魚齢章のこと聞いた時、そんな文献知らないって言ったのよ。あそこにあった本はあの人が見繕ってくれたのに」


 僕はその時のことを思い起こす。確かに知らないというのは変だ。


「でも、それくらい言い間違えただけかもしれないじゃない?」


「それも考えられるけど、私が魚齢章のことを言った後、明らかに態度が変わったと思わない? 最初はシラズ蛙に関する本まで見繕ってくれたのに。不自然よ」


 そう言われるとそうかもしれない。あの時、急に調べない方がいいと言い始めた。何か隠したいことがあったと考えるのが自然だ。


 小金井は続けた。


「今夜時間ある?」


 小金井の髪が揺れる。空は藍色に染まり、雲一つなかった。海は群青で潮風が強く吹いていて、波は荒い。小金井の髪は街灯に照らされて、ヘアゴムのガラスが光る。彼女の顔には笑みが浮かんでいた。まるで悪いことを思いついた子どものような笑みだった。

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