第17話
その日、蓮見中学に着き、校庭に足を踏み入れると違和感を覚えた。人がいないのは早朝だから当然だったけど、グラウンドが妙にでこぼこしているように見えた。野球部がいつも使っている黒土のマウンドもなくなっているし、校舎の窓ガラスもいくつか割れているように見える。
悪戯にしてはずいぶん大がかりだった。こんな状況ならもっと騒ぎになっていてもおかしくないけど、教員の姿は見られなかった。
僕は昇降口で上履きに履き替えすぐに特別棟に向かった。理科室に行けば小金井がいるのではないかと淡い期待を持っていた。西海にあれだけ殴られたのに今の僕は小金井と会おうとしている。西海なんてどうでもいいような気にさえなっていた。それよりも早く昨日のことを小金井から訊きたかったのだ。
しかし、理科室に人の姿はなかった。ただ教卓の上に試験管が数本立てられているだけだ。ま、こんな時間に登校していると思う方がおかしいのだ。
誰もいない理科室で一人木製のスツールに腰掛ける。ここは静かだった。今日は学校に入ってから誰とも会っていない。まるで僕一人しかこの学校に通っていないようだった。
僕は虚空を見つめた。どこを見ても代わり映えしない。退屈な教室、蛇口の横に金属ブラシの入ったビーカーが一つ置かれている。僕は蛇口をひねってそのビーカーを水で満たす。蛇口から出てきた水は茶色く濁っていた。
黒い机に頬をつけると冷たかった。僕は呆然とビーカーの水を眺めていた。
僕は何をやっているんだろうか。
徐々に思考が鈍っていく。
ビーカーの水はどんどん濁っていくように思われた。全てがぼんやりと曖昧になっていく。
僕はどうしてここにいるのだろう。
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一限目終わりの休み時間にトイレに向かう途中、廊下の隅で光るものを見つけた。それは小金井がいつも着けている青いガラス玉の付いたヘアゴムだった。
僕はそれを拾い上げた。どうしてこんなところに落ちているのかはわからなかったけど、これで小金井と話す口実を得られたと思った。昼休みにでもも届けに行こうと思っていると誰かに肩を叩かれる。
「まっちゃん! 何してんだよぉ」
近江はいつも通りの陽気さで言う。
「な、何もないよ。ただトイレに」
「何だ? それ」
「これは、落とし物」
「うーん、なんかどっかで見たことあるなあ」
僕は慌ててヘアゴムをポケットに隠した。
「そうかな。僕は初めて見るけど、後で職員室に持っていくよ」
近江はうーんと唸った後、どうやら気が外れたみたいで「いこうぜ」と僕の前を歩き始めた。
「そういえば、昨日あれから泉とは?」
僕が訊くと近江は顔をしかめる。
「結局何も話せずだったぁ。一応家まで送って行ったんだけどよ。話しかけても全部無視だもんなぁ」
今回の件は近江が悪いから仕方ないとして、ただ昨日の泉は様子が変だった。
「それよりまっちゃんこそ顔大丈夫か?」
「ああ、大丈夫。まだ少し腫れてるけど痛みはもうほとんどないよ」
近江は「よかった」と頷いた。
僕は自分の頬に触れる。もう痛みはなかった。顔はわずかに赤みを帯びているが腫れも遠目にはわからなくなっている。それにしても普通こんなに早く痛みが引くものなのかと疑問に思った。
「それでよぉ、昨日の事故聞いたかよ。まっちゃんちの近くだろ?」
小さい町だから噂はすぐに広まる。蓮見町で事故や事件が起これば次の日には大抵の人が知ってるし、死亡事故なら尚更だ。
「うん、そうみたいだね。でも、あまり詳しくは知らない」
僕は昨日の事故については誰にも話していなかった。思い出すのも嫌だったし、これ以上、誰かに心配をかけるのも申し訳なかったからだ。
近江は「そうなのかぁ」と欠伸をひとつすると先にトイレに駆け込んでいった。
僕もすぐに近江の後を追った。
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