4節:或る地獄の再演
すぐさま装置を付ける。
冷静に考えれば、明らかな緊急事態の際につけるべきものでも無い気はしたけど、1か月の長い入院生活で体に染みついた行動を私は自然と取っていた。
だからこそ、事態の深刻さに気付いてしまった。
「……機械のアナウンスが、聞こえない?」
部屋の空調システムの電源はいつの間にか落ちていた。
外では鈍い、何かが叩かれている音が聴こえる。
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン
それに合わせて扉は揺れている。
風が吹いてるかのように振動している。
耳をすませば他にも誰かの悲鳴や銃撃音が聴こえてくる。
なのにも関わらずアラームが聴こえない。
病室のシステムそのものは、何事もないかのように静か。
考えたくない想像が頭を駆け巡った。
病院はとっくに機能を喪失しているのではないか。
「────ありえない」
とにかく外に出ることにする。
装置の認可無しには動かないはずの扉は呆気なく動いた。
しかし、勢いよく開閉とはならずにスライド式の扉は途中でつっかえた。
「……?」
どうやら扉のレールに何かつっかえているらしい。
ぎりぎり人一人分通れそうなくらいには開いていたので、そこに体を通して夜光精神病院の白い世界に身を投じる。
とりあえず扉の不調の原因を探るために、なにかがつっかえている方に目を向けた。
目を向けた先。
扉のレールには、つい今朝私の病室を掃除してくれていた、職務に忠実な看護師が座り込んでいた。
頭を何度も殴られながら。
「ひっ!?」
思わず悲鳴が口から洩れた。
そしてその看護師を殴っている存在に目を向ける。
そんな非道なことをするのは誰か。それを知るために、防衛本能を呼び起こしながらゆっくりとそいつの顔を見る。
そいつは、
栗色のくせ毛まじりの髪の毛の女の子の顔をしていた。
「────────────なん、で……?」
つまり私だった。
いや、私と同じような顔だった。
より正確に言い表すなら、まるで私よりも歳を一つか二つ重ねたような顔立ち。
私に生き別れの姉がいたのだろうか。なら、あいさつをするべきなのか。
そんな悠長な思考に逃げたくなるほどの異様な光景。
私の顔をしている人間が人を殺している。
そいつの眼は、眼の前の獲物一点に向けられていて生気が無い。
絶対にこいつを殺す。
そんな殺戮機としての殺意と、強烈な憎しみを感じた。
私が近くで声を出し、情けなくも後ずさりをしている光景には、眼を向けない。
荒い息遣いで一心不乱に眼の前の看護師の頭を殴っている。
殴られている方はとっくに意識が無いのに、殴っている拳は度重なる殴打で皮が向けていて痛々しくなっているというのに。
こいつは手を止めない。
『に…げ、て』
同じような顔に同じような声。
誰の言葉だったか。
それが聴こえた瞬間私の体は駆けだしていた。
一刻も早く、ここを離れてどこか安全なところへ行かなくちゃいけないのは一目瞭然だった。
「ほんと、何がどうなってんの────!」
白いはずの廊下を虚弱な体に鞭を打ちながら全速力で走る。
電源は落ちていて頼りになるのは明滅する足元の非常灯のみ。
ほとんど完全暗黒に近い廊下を何度も転びそうになりながらも、無事な右手を壁に触れさせて転倒しないように全力疾走。
────ヌメり
壁に触れている右手から、何度も暖かい感触が伝わる。
何も反応がないとはいえ、装置をつけておいて良かったと心の底から思う。
視界は少しだけ悪いが、余計な匂いと光景を遮断できた。
────チカチカ
明滅する明かりと共に、現在の廊下の姿が露わになる。
────理解しない理解しない理解しない理解しない理解しない
理解しないように前だけを見て走る。
時折顔をのぞかせる足元の地獄なんて知ったことか。
足を動かし続ける。
────アーアー…
たまたま眼に入ってしまった死体を踏み越えていく。
────ピシャピシャピシャピシャ
明らかに赤い水たまりの上を走る。
そこで突然、足が何か硬いものに引っかかる。
私は思わず転んでしまった。
体が水たまりに倒れこむ音。引っかかったと同時にそれをけとばしてしまったのか、飛ばされたものが壁にぶつかる音。
思わず地面についた右手は ────やけに柔らかく冷たい感触のモノを触っていた。
努めて冷静に、なぜ転んだのか考える。
恐らく、装置の死角と曲がり角で見えなくなっていたのだろう。
足に目を向けるとそこには死体があった。
たぶん、見ないようにしていただけで、いくつも通り過ぎたモノ。
そんな思考の途中。
足元でだけ明滅していた非常灯が、一瞬だけ、廊下全体を赤く照らした。
────理解を必死に拒んでいた頭に惨劇の情報が頭に叩き込まれる。
大量の血だまり。
白い廊下は赤く穢されていて。
たくさんの死体が。
走ってきた廊下のいたるところに、たくさんの死体が転がっていた。
そして、足元にあった死体は──── また私の顔。
私が転んだ時に装置を外してしまったのだろう。顔が露わになっていた。
今度はだいぶ幼い。
たぶん、5歳くらい。
その顔を正しく認識した瞬間、幼稚園のアルバムに映っていた笑顔の私の顔がフラッシュバックした。
「う"っ……うぉえっ!!」
耐え切れなくなり、装置を投げ捨てて体の中の物を吐き出す。
床に吐き出される私の汚物。
それを上回る密度で、とっくのとうに廊下はグロテスクで。
私が知っている病院の世界は赤黒く染められていた。
再度闇に呑まれた廊下で、頭が勝手に思考を巡らせる。
悪夢にも似た想像が、とめどなく広がっていく。
思い返してみれば、走ってきた道を振り返ってみれば。
装置をつけていた人以外の、患者の死体の顔は皆私と同じ顔では無かったか。
今よりもっと小さな私がいた。
中学生や高校生の私もいた。
髪の毛の色が私と同じ栗色のの老婆もいた。
たぶん………しわしわの老婆の私。
妄想だ。ただの妄想だ。
でも。
たぶん、装置を外せばほかの歳の私がいる。
「うっ────」
また吐き出しそうになるのを必死にこらえる。
足元の血だまりに映る恐怖に歪んだ私の顔と、同じ種類の顔がたくさんある。
普段なら、ちょっと顔が似てる程度で済ましていただろう。
でも、なんだ…これは。
見てきた死体を頭の中で比べてみれば、
自分の顔が、グラデーションのように変わっていっている。
もしかしたら、年齢順に並び替えることができるのでは。
気持ちの悪い想像。
まるで、私の人生が丸ごと収容されているようだと、思ってしまった。
「はぁ…はぁ…………」
胃液で痛んだ喉で、ここの穢れた空気を必死に肺にかき集める。
一旦冷静になる。
深呼吸をする。
今更、私なら助けられたかもしれないなんて、考えるな。
何でもできるからこそ、なんでもしなくてはいけない。
そんなの、もううんざりだ。
だって、私になんにでもできる素養は無い。
無かった。
そもそも何もできなかった。
だから、大丈夫。
助けなくちゃいけない人を、自分にできることをはき違えてはいけない。
「……とにかく、ここから逃げよう」
澱んだ空気で肺を満たす。
体を立ち上がらせて、再度暗闇の中を走り出す。
目標はエレベーター。
そこまでの道を暗闇に足をもつれさせながらもなんとかたどり着く。
早く3階へ。
その一心でエレベーターのボタンを押す。
意味も無いのに何度も押す。
ボタンが壊れるかもしれない。その勢いで何度も腕を叩きつける。
────ヴゥウウオオオオオオオオオオオオ!!!
次第に、エレベーターがこちらへ来る音を察知し、今か今かと待ち構えていたところ。
その音がやけにうるさいことに気づく。
私は全身が感じた悪寒に従い、すぐさま近くにあった非常階段に通じる扉を開け、扉を閉めて身を潜めた。
その不自然な音は、エレベーターが上から近づくほどその輪郭を表していった。
一つの小さい鉄の箱に、まるで数十人の人間が入れられているような。それほどの声の密集具合。
────チーン
エレベーターが到着したいつも通りの音と共に、箱の中身が露わになる。
「────────ひっ……」
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?
視界に入り込んだのは不可解の塊で、
中から出てきたのは、見るも無残な、ナメクジのような化け物だった。
高さは優に大人を越していて、そいつは大量の老若男女合わせたうめき声と共に、その巨大な体を這わせていた。
────ズルッ……ズルッ……
体の表面には大量の人間が、顔と手足ばらばらに埋め込まれていた。
なにより私の心を折りに来たのはやはり、そこにも私と同じ種類も顔が大量に発見されたことだ。
今までとは違い、私以外の女の子や男の人のも確認できたが、全員一様にそこに埋め込まれた後悔と生き地獄に顔を歪ませていた。
化け物は次第に、大量の触手を体内から放出し、さっきまで私がいた廊下へと侵略を開始していく。
私は、ソイツが十分離れたのを確認し、無意識のうちにその先の安全確保も碌にしないで走り出していた。
あんな目に遭いたくない。あんな化け物に勝てるわけが無い。
そんなネガティブな感情が頭を支配する。
だけど、それも仕方の無い事だろう。
とっくのとうにここの安全は崩壊してしまっている。
ここは想像以上に危険な事になっていて、すでに戦場で、大人たちはこの事態に対処出来ていない。
私は、命の保証がされていないみーちゃんの元へと急いだ。
*
私は焦る気持ちで3階、みーちゃんがいる階層に足を踏み入れた。
幸いにも下の方は比較的、あの化け物が居ないという事を除けば安全だった。
ただ、ここにも敵がいた。
廊下を歩いて行った突き当りの向こう。
明滅する非常灯に、敵の影が点滅するように現れていた。
────キャハハハハハハハハハハハ
耳障りな音が廊下に響く。
ばれないように角の向こうを覗き込んでみると、声の主はまた新しい顔の人間だった。
私と違って、桃色の髪をした少女。
背丈はみーちゃんと同じくらい。おそらく、10歳くらいだろうか。
元は同じ患者だったのかもしれないが、もはや同族だとは思えないほどその姿は狂気に染まっていた。
何かに突き動かされているような、そんな止めようのない熱気。
その熱に浮かされて、桃色髪の少女は白衣を着た男に馬乗りになり、自身の体ほどの極彩色の槍を軽々しく扱い、それで男の体を、何度も何度も突き刺していた。
周囲を見渡せば同じような被害に遭った私と同じ顔の種類の患者と、職員の死体を確認できた。
しかも、その意思な槍は何本か突き刺さったままになっている。
しばらく様子を見ていると、刺し殺すのにも飽きたのか、少女はまだきれいな扉の方へ向かう。
そこはみーちゃんの病室だった。
────戦うしか、ない。
敵は自身の槍で扉を強引に突破しようとしていた。
扉に攻撃が加えられていく度に中にいるみーちゃんの悲鳴が聴こえてくる。
通路に刺さっていた槍を抜く。
私にとっては軽々しく振るえないほど重かったが問題ない。
桃色髪の少女は、もう部屋の中に入っていた。
私は後ろからばれないよう近づき────敵の虚を突き、
「がはっ────!?」
槍で頭を薙ぎ払った。
断末魔は敵のもので、不意の一撃によって呆気なく敵は向こうへ倒れていった。
人を殺したという不快感が一瞬で体を支配するが、知ったことか。
友達の方が大事だ。
「みーちゃん大丈夫!?」
脅威は排除した。
すぐに友達の安否を確認する。
彼女はベッドの上で丸まっていた。
けがは無し。無事だった。
「────おねえちゃん?」
その彼女が両手でおおわれていた顔を見せる。
装置によって今まで見ることができなかった素顔をのぞかせる。
予想はついていた。この階にいるのだから当然だ。
眼の前にある顔は小学4年生の頃の私と同じ顔だった。
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