2節:おねえちゃんの入院生活

どこかの発展途上国で死んでしまった子供へ。裕福にしてあげられなくてごめんなさい。


起こってしまった殺人事件の被害者の方へ。事件を未然に防げなくてごめんなさい。


世界中のすべての人へ。幸せにできなくてごめんなさい。


無能でごめんなさい。


─────────────────────────


「わ、私は何もしてません!」


 白くて広い病室でたまらず釈明の大声を出す。


 現在、私の目の前には1人の主治医とその付き添いの看護師2人、そして私に向けて銃口を向ける警備員3人がいる。


 全員を着けていて表情は分からない。

 だけど、そのしぐさでなんとなく分かることがあった。


 主治医は自身のお腹をさすりながら私の顔を装置越しに静かに見つめている。

 後ろに立っている二人の看護師はなにか関わりたくなさげに私から距離をとっていて、警備員の3人は一切警戒を緩めずに銃を構えていた。


 いや、たった一人だけ銃を降ろして主治医の方を見ている人がいた。


「……なんだい? この病院の平穏を壊す人間を始末するのが君の役目だろう? ほら、見なかったことにしてあげるからちゃんと狙いたまえよ」


 そう言い放つのは主治医だった。

 ただし、その言葉に納得がいってないのか、一人の警備員はしばらく狼狽えている。 


「良いから職務を全うしたまえよ。それだけが君の存在理由だろ?」


 少しの間抵抗していたが、主治医の言葉に観念したのか、その警備員は私に銃を向けた。

 相変らず銃口は向けられたまま。私の認識が間違っていなければ、その銃は本物だろう。


 直感する。危険だと判断されれば私は即座に射殺される。


 加えて、場の空気は最悪だった。

 今朝の私の吐瀉物の処理がまだ終わっておらず、生暖かい風が酸っぱい匂いをより濃厚なものに際立たせている。


 そんな悪臭の逃げ場は部屋の換気口ただ一つのみ。

 窓が無い部屋では悪臭がどんどんたまっていく。

 思わずもう一度吐いてしまいそうには、ここは不快感が煽られる最悪な部屋になっていた。


 そして、大人からぶつけられる素直な敵意に私は泣いてしまいそうだった。


「…………信じてください」


 今朝も吐いてしまった影響で声はがらがら。眼からは涙が出てきて喉も痛い。

 加えて喪った左腕のせいで体は心もとなく、まともに話そうとするだけで心身ともにすり減っていくのが分かる。


 だが、目の前の人たちはそんな私の気持ちを汲んではくれはしない。


「君がここに来てから今日で1か月、か。先の見えない入院生活に気でも滅入ったのかな?」


 疑いの眼差しを向けたまま主治医は続ける。


「……少々脱線してしまったが、話を戻そう。一昨日おとといと昨日も言った通り、既にここ4号棟内で暴走した患者によって2人の貴重な患者と、先生が1人殺されるという事態が発生してる。3人が既に亡くなっているんだ。怪我じゃないんだよ? 人が死んでいるんだ」


 お医者さんが被害に遭っている通り魔的な殺人事件。


 それが私が今お世話になっている病院で起こっている。

 事件の概要だけはいたってシンプルで、病院内で登録されている患者の個人情報と一致している人間が犯行に及んだ。

 ただそれだけだ。


 概要だけはシンプルな、単純に考えてしまえば気が狂ってしまった人が起こした事件。


 私はその事件の狂った犯人としての疑いをもたれている。


 もちろん無罪だと私は主張する。


 私は無駄に人を殺すような真似はしない。


 ただ、


 


「そして、昨晩私が襲われた」


 そう言って、私の主治医は自身のお腹に巻かれた包帯を見せつけた。


「昨晩、ちょうど君と同じ背丈の女の子に急に襲われてね。監視カメラにも君と同じ、が確認されているんだ。今までと同じようにね」


 向けられる銃口に明確な殺意が装填されるのを感じる。

 思わず顔を右手で覆う。


 はたして、これはいったい何の冗談だろう。

 この人たちは、たかが12歳の私が大人を殺したなんてことを本気で疑っている。

 しかも3度目だ。


 

 ただ、銃を突き付けられたのは今回が初だった。


 主治医は大した感情も込めずに話を続ける。


「3度目でようやく犯人の顔を見ることができた、奇跡的に一命をとりとめた私がこうして取り調べに来たというわけだ」

「……ちょ、ちょっと待ってください!私は昨晩ずっとこの監視カメラが付いている病室で、しかも外には警備員がいる状態で監視されてたんですよ!? 私がやっているわけないじゃないですか! こんなの何かの間違いですよ!」

「それもそうだな」


 主治医は顔を見せないまま呟く。


。なら、話はこれで終わりだ」

「だからっ…………はい?」


 ここまで長々と話した割に、主治医はあっさりと私への追及を取り下げた。


「あの…………昨日も、おとといも。そうやって私をからかって何が楽しいんですか」


 怒気を含ませて抗議をする。


「はっはっはっ。これはすまなかったね。警備の方々もその銃を取り下げてください」


 主治医の言葉で私に向けられた銃口が一斉に取り下げられる。

 空気は、匂いが最悪なことを除けば一気に和やかなものになった。

 ただ、銃を向けたことに未だに不信感をあらわにしている警備員と、朝からこんなことに巻き込まれた私達だけがそのままだった。


「いやなに、君なら世界にをしてここから抜け出し、完全犯罪とか可能だろう? 痕跡は無かったけど、一応かまをかけてみただけさ」

「……私は人を殺すためなんかに力は使いません」

「何でもできるんだろう? それこそ眼球を丸ごと移植したりとか」

「だからこそ、意味の無い事に使いませんよ。それにこの前のは特別です……はぁ。こんな意味の分からない疑いを掛けられて3回目ですよ? そもそも事件があったとかが嘘なんじゃないんですか?」


 ここまでで3回。

 私が犯人だという証拠も、私が犯人じゃないという証明もある状況が3回連続。 

 1回目と2回目はちょっとした尋問と監視カメラの確認だけで終わったが、今夏は無意味に銃を突き付けられた。

 さすがに何かの茶番を疑わない方がおかしい。


「残念ながら殺人事件があったのは本当だよ。私達も困っていてね。なにせ収まってくれない。今もこうして患者がおかしくなってしまってないか確かめてたんだよ」

「は、はぁ……? なんですか、それ。? どうして私以外を確かめる必要があるんですか?」


 私の言葉の何が引っかかったのか。


 刹那ではあるが無視できない沈黙が、主治医の次の言葉の前に訪れた。


「当然だろう? 言葉の綾だよ。まぁ、幻覚の症状や体のせいで辛いだろうに、申し訳なかったね」


 いろいろ不可解な点を残したまま主治医は話を切り上げる。

 3日連続で続いている、今朝の取り調べがそろそろ終わるようだ。

 主治医は看護師の方々に部屋の掃除を頼んで病室から去ろうとする。


 その直前に、私に向き直り、私が待ち望んでいた報告をする。


「そうそう、随分かかってしまったがこれが頼まれたゲーム機だ。父親からはお大事に、と言ってたよ。長い入院生活の足しにでもするといい」


 お礼を言ってゲーム機を受け取る。

 私がゲーム機の触り心地を確かめていると、主治医はもう一つ、大事なことを伝えてくれた。


「それと、話も聞いてきたよ。君が蘇生した母について……、まだ生きているらしい」

「────そう、ですか」


 待ち望んでいたゲーム機と、聞きたくなかった言葉を私は受け取った。

 今ので用事が完璧に終わった主治医は、


────最近患者たちの稼働がおかしいようだな


 何やら変な言葉で話しながらお医者さんは去っていった。


「…………いったい、なんだって言うのよ」


 一人になった病室で小さな声で文句を言う。

 3回も変な言いがかりをつけられたんだ。

 私じゃなくても文句を言うだろう。おかげで、ただでさえ悪い体調がさらに悪化しそうだった。思わず口も曲がる。 


 窓の無い部屋の空気を入れ替える為の換気扇の無機質で頭に響く音が部屋を支配する。


 事件が起きてもこの病院には警察が来ない。

 院内で時たま起こる暴動は全て警備員が処理をする。

 私みたいな患者を頭がおかしいと判断しているからだろうか。ここはやけに閉鎖的で外からも中からも何も入ってこないし、何も出ていかない。

 私みたいに未来の無い人間にとっては居心地はいいけど、やはり異常だ。


 鈍感な私でも分かる。


 この一連の事件はただの殺人事件として片づけてしまうにはあまりにも不気味だ。 

 真面目に考えるのすらばかばかしいとんちきな事件。

 まるで、私のドッペルゲンガーがどこか近くにいるような。

 そんな、考えるのすら馬鹿らしい妄想。


 科学の領域の外の非化学。


 そんな考えが頭をよぎった。


      *      


 朝に一回吐いてしまったが、それもここに来てからはいつものこと。

 喀血してないだけまだマシなのでいつも通り外に出ることにした。


 送ってきた貰ったばかりのゲーム機を持って扉に向かう。

 左手が欠損した私にとっては、手がふさがって少し不便だがしょうがない。

 ソフトを入れ替えれば、様々なゲームがどこでも遊べる優れモノだ。

 今更未練は無いけど、それなりに楽しく過ごすにはこれが必要だ。


 スライド式の扉の前に立ち、傍に備え付けられている装置を頭につける。


『識別番号……SN00000。生体反応一致。認証が完了しました』


 F1レーサーがつけるヘルメットのような、頭がすっぽり隠れるほどの装置を装着した瞬間、頭に無機質な女性の声が流れだす。

 装置は、いつも通りの説明を私に言い聞かせた。


夜光やこう精神病院では以下の4つの禁止事項を犯さぬよう生活をしてください』


1.病室の外で生活する際は必ずこの装置を離さずにつけてください。

2.自身の生活領域を越えて、他の病棟に行かないでください。

3.他の方にご自身の話をしないでください。

4.当院の外の人間と会わないでください


『もし、上記の規則が守られなければ罰則が与えられます』

『あなた達はこの装置によって監視されています』


『どうか、穏やかな生活の為にも、何卒ご理解の程よろしくお願いします』


 1か月間、飽きるほど聴いてきた5分ほどの説明が終わり、ようやく眼の前の扉が開く。


 一歩足を踏み出せば、そこは床も天井も白い廊下で、ちょうど私と同じタイミングで出てきた顔の見えない患者と鉢合わせた。

 相手は大人の人でたぶん30歳くらい。

 軽くお辞儀をする。相手も遅れて返してくれた。

 少しだけぎこちないが、それは私の欠けた左腕を見てのことだろう。今更その程度のことは気にしない。


 仮面舞踏会………そんな感じ。

 患者が誰も彼も顔を隠して歩いている風景も今となっては見慣れた。


 私は少しも立ち止まらずに先を急ぐ。

 最初こそ面食らってはいたが顔が見えないというのは案外心地が良い。

 まるで、自分が何の問題も無い普通の人間に成れたような、みんなと同じという心地のいい匿名感。


 しかも、人のかを見て何も思い出すことや考える事が無い。

 現に私の友達は男の人の顔を見ると吐いてしまうらしいのだが、この装置のおかげでそれに悩まされていない。

 顔を隠すのは心にとっていい治療方法なのかもしれない。


 私は仮面の院内を歩き、現在私がいる5階からエレベーターを使って1階に降りた。

 降り立った先にある銀行の金庫の扉のような、固く閉ざされた扉を通り過ぎてさらに歩く。

 ここの扉は4号棟から他の1号棟と3号棟へ続いている、規則に則れば行こうとしてはいけない場所。

 そっちには友達なんていないので、わざわざ気にする必要も無い。

 あるはずの入り口も見えないが、出る意味なんて今の私には無いのでこれも関係なかった。


 外の人間には当然会えない。

 面会も無し。

 頼めば連絡を図ってくれるが、ここの患者さんはあまり使っていないようだった。


 そんな院内でわざわざ病室を出て自由に過ごせる場所なんて、私も含めたここの患者にとっては一つしか無い。

 4号棟の真ん中を四角く、くりぬいて存在している中庭だ。


 広さは大きな公園くらいだろうか。

 今は8月にも関わらず、日差しは柔らかく、暑苦しくない。

 ただただ平穏が約束された、恐怖が無い世界。

 何もかも停滞しているここに相応しい天気だと思う。


 こうして暇さえできればずっとここにいる。


 停滞した私の人生に相応しい療養所もとい、収容所。

 それがここ夜光やこう精神病院。

 心がおかしくなり、幻覚を見るようになってしまった私たちの居場所。


 時間が有り余った今だから考えてしまう。

 犯罪者といった社会にとって危険な異常者を収容するのが刑務所なら、ここは止まってしまった人生が収容される場所。

 外の人たちにとって要るのか要らないのか分からない欠陥品。

 ただ一つだけ確かなのは皆狂ってまともな歯車になれないということ。


 ここはそんな人たちが生きることを許される世界。


 そんな世界で展開されている平和な日常を、装置によって狭くなった視界を眺める。

 ここでの私の唯一の楽しみでもあり、今の私にとっての最大限有用な時間の使い方。

 贅沢な時間の浪費。


 殺人事件の存在なんて、嘘かのように何もかも静かだった。

 院内の混乱を防ぐためなのだろうか。にしても一切公表されていないのは違和感だったが、まぁ……どうでもいい。


 自分じゃ助けられない人のことなんか心底どうでもいい。

 どうでもいいと思うことにしている。


 ここに来るまでに喪ったいくつかの体を無視して、ここで穏やかに過ごすという日課。

 2年間の昏睡から目覚めてここに入れられてからずっと続けてきてたことだ。 


「……あ」


 今の私の日常の象徴している場所。

 その中庭の日陰で、しゃがみ込んでいる友達を見つけた。

 左腕が無い分、私の判別は人より容易なはずだが、うつむいていて私のことには気づいていない。

 せっかくだし、少しだけ驚かしてやろうと思った。 


「わっ!」

「わぁっ!?……っておねえちゃんか」

「うん。こんにちわ、みーちゃん」


 個人なんて判別の出来ないこの狭い社会の中で、私が唯一得た繋がり。

 規則のせいで禁句になっている本当の名前をお互い知らずに、あだ名で呼び合う仲。

 年が上の私を実の姉のように慕ってくれる友達、みーちゃんだった。


「もう、今立て込んでるんだから脅かさないでよ」

「ごめんごめん……って、それどうしたの?」


 私の声で振り向いた友達の病院着は、この場所には似合わない赤い血で汚れていた。


「怪我でもしたの?! 先生呼ぼうか? というか運んでくよ、ほら、おぶるから」

「ううん、私は大丈夫だよ。それに、おねえちゃんは片手じゃ背負いづらいでしょ」


 そう言うとみーちゃんは私の方に体を向けた。


「怪我をしたのは私じゃなくてさ……この子の方」


 見てみると、みーちゃんは青い小鳥を両手で掬うように持っていた。

 少ない知識で判断するならたしか、ルリビタキ、だったかな。

 その青い鳥は、羽毛を赤い血でべっとりと汚していた。


 血は羽から流れていて、きっとこの鳥はもう飛べない。

 治そうにも治せない。

 そんなの一目見れば分かる事だった。 


────そんな姿がおばあちゃんと重なった。


「どうすればいいと思う?」


 体が動かないことからも、もうすぐ死ぬ命だろう。


 ……こんなこと、気にする必要なんか無いのに、装置越しの彼女の声は涙ぐんでいた。


「とりあえずお医者さんに見せた方がいいよね? ほら、おねえちゃんもお世話になってる主治医の人」

「あの主治医の人に見せても放っておけって言われるのが関の山だよ。それに、ここは精神病院であっ動物病院じゃない」

「……だって、私の時は」

「みーちゃんの右目は特例中の特例でしょ。本来、ここには外科手術ができる人なんていないんだから」

「……ほんとに意味ない…のかな」

「意味ないよ、そんなの────さっさと殺してあげるべきだよ」

「……そう、なのかな」

「きっとそうだよ。……みーちゃん。できもしないことを無理してやるのは違うよ。正しく死ねる生き物を余計に苦しめちゃいけない。みーちゃんにまともな処置なんてできないでしょ?」

「……まぁ、そうだけどさ」 


 みーちゃんはたぶん、何気なくぼそっとつぶやいた。


「────私になんでもできる力があれば、解決できたのに」


 何事も無ければもうすぐ死ぬ、そんな鳥の前でみーちゃんは自分の無力さを嘆いたんだろう。


 無能であるだけ、まだマシだ。

 有能であればあるほど諦められなくなる。


「……その鳥貸して。私達でどこか良いところに埋めてあげよ」


 医者から聞いた話では、みーちゃんはちょうど私より2つ年が下だった。

 私が最後に笑っていた2年前の面影。

 彼女には、これから先の為にも無駄な苦しみは背負ってほしくない。

 そう願っていた。


      *      


 二人で協力してその青い鳥の安らかな死を埋めてからしばらく。


 いつも二人で過ごしている中庭のベンチで私達は座っていた。

 時間は圧倒間に昼下がりになり、ようやくいつも通りに生活に戻る。


 いつも決まって、私が右で彼女はその左に座る。

 彼女はいつも私の左に立ってくれる。

 そんな優しい友達に気になっていたことを聞いた。


「前から思ってたんだけどさ、どうしてみーちゃんはそんなに助けることに固執するの? あんなの、ちょっと見ないふりだけして終わるのが常だよ」


 本来なら、助けられなかった程度のことで気に病むなんてばかばかしい事なんだ。

 だって、私達はいつだってすべての人間を助けられる訳じゃ無い。むしろ助けられない物事の方が圧倒的に多い。

 みーちゃんはそれを理解してないのか、きょとんとした顔で話す。


「そうかな? 別に固執してるつもりはないんだけど……でも、私がそうするのは私も前にそうしてもらったからだよ。おねえちゃんが言うほど、世間は冷たくないと思うよ?」


 みーちゃんは装置越しにある、1か月前に取り換えられた右眼を大事そうに触る。


「私の右目の移植だってさ。お医者さんのおかげであっさりなんとかなったし。……右眼だよ? これが無いと世界が見えにくくなっちゃうんだよ? そんな大事なものを渡してくれる人がいるんだよ、この世界にはさ」


 彼女はたぶん、笑いながら思い出を語っていた。


「だから私もそれに恥じないように生きていきたいんだ」


 主治医から教えられた、私にとっては余計な知識ではあるが。

 眼球そのもの移植は不可能らしい。

 入れることは出来ても異なる臓器である他人の眼を、自分のものとしてつなげることが出来ない。 

 精々角膜を移植するのがやっと。漫画みたいに他人の眼なんてやすやすと入れられないモノらしい。

 偽物は所詮偽物として本物に認識され、拒絶される。


 そんな奇跡を叶える為に奔走し、自分の生活を捨てた馬鹿がいる。


「────意味があるなら自分を犠牲にしてもいいとか、そんなこと、右眼をくれた人は望んでないよ」


 力なんて無いのに人を助けるなんて馬鹿のやることだ。

 何でもできるはずの力があってもこのざま。ろくなことにならない。


「………そうだよね。でも安心してよ。そうは言っても、私だって命まで懸けるつもりは無いし」


 何がうれしいのか、みーちゃんは私の体に密着しながら足をぷらぷらさせながら笑っている。

 そんな様子を見て私は少しだけ後悔する。

 しても楽しくない話は、ここらでやめることにした。


「そういえばさ、前から頼んでた私のゲーム機。ようやく届いたんだ」


 今朝主治医から渡された実家においてきたゲーム機を見せびらかす。

 現代社会の中の割に、ここではネットが制限されるのでできることは限られるがローカル通信で友達と遊ぶ分には問題ないだろう。


「ほんと!? わー、ほんとに私とお揃いじゃん。じゃあさじゃあさ、早速対戦しようよ!」


 みーちゃんは分かり易く眼を輝かせて、腕をぱたぱた振っている。

 きっと、遊び相手が居なくて退屈していたのだろう。


「いいよ。でも、手加減してよ? みーちゃんと違って私には右腕しかないんだからさ」


 小学4年生までは私も遊んでいた様々な図形を組み立てては消していくパズルゲーム。

 普段はみーちゃんがやっているのを横から見てやいのやいの言うだけだったが今日は違う。

 片腕が無い、加えて2年間の昏睡期間があるとはいえ、私が何年もやりこんできたゲームだ。

 みーちゃんには悪いが、ハンデもあるし気持ちよく勝たせてあげられないだろう。


「でもさすがに私が圧勝しちゃうよ。どんなに手加減しててもずーっとこのゲームやってたんだよ? 負けすぎて不機嫌にならないでよーおねーちゃん!」


 そんな生意気な友達の言葉で始まった対戦の結果は、互いに右腕のみのハンデがあったとはいえ私の圧勝だった。

 あっさり。

 10-0で私の勝ち。

 しかも、最後の1戦は泣きながら両手を使う事を要求してこれだ。

 いやー、案外腕は鈍ってないみたいだ。


「これがおねえちゃんの力だよ。ま、CPUと人は違うってことが分かったねー」

「次は足でやってよ足で!足だったら両足で良いから!」

「………そうまでして勝ちたいの?」

「だ、だってぇ…………うぅ、おねえちゃん本当にブランクとか無いの? 実は裏でこっそりやってたんじゃないの? イカサマってやつなんじゃないの?」


 みーちゃんは私に向けて抗議を腕で示す。

 装置越しだからはっきりとは分からないけど、たぶん表情はぷんすかしてる。そういう擬音が出てる。


「そんなことないよ。ちょいちょいみーちゃんに貸してもらってたくらいで、まともに対戦するのは今日が久しぶりだよ。ま、対人経験の差だよ」

「ええー嘘だー!私だって、そりゃあ1年もここにいるけど入院する前はたくさん友達とかとやってきたんだよー? なんでおねえちゃんの方がうまいのさ!」


 納得しきれないのか、みーちゃんは腕をぶんぶん振りながら怒っていた。 


「だったら大分感覚が抜けてるんじゃない? やってて思ったけど、対人戦を知ってる戦い方ってより、CPUとの戦いしか知らない感じだったけどね。何度も私の引っかけに引っかかってたし」

「うぅ……こ、こんなはずじゃあ……ちゃんとやってきたはずなのになぁ」


 みーちゃんの対戦が始まる前の勢いはどこに行ってしまったのか。

 意気消沈で、しょんぼりしてしまった。


「まぁまぁ、対戦ゲームで負けて自信喪失なんてよくある話だしさ。そんなに落ち込まなくてもいいんじゃない? ほら、1週間後にやったら私負けちゃうかもだし……ね?」


 あまりにも落ち込むもんだからそろそろフォローを入れる。 

 たかだか友達との遊びで負けたわりに、落ち込みすぎていたのが少し心配だった。


「────でもさ、なんかおかしいんだよ」


 何が引っかかるのか。 みーちゃんはつぶやく。


「経験したはずのことで、記憶にだってあるのに……実感が無いんだよ」

「実感? いったいどうしたの?」


 深刻な様子でみーちゃんは語る。


「ほら、普通記憶って経験と結びつくでしょ? このゲーム機だってパパに買ってもらって……それで確か、5年はこれで遊んでた気がするんだよ。でも、」 


 小さな声で彼女は言う。


「自信が持てないんだ。」

「自信?」

「うん……まるで、私には記憶しか無いんじゃないかって────」

「記憶しか……無い? それって……変じゃない、かな」


 10年以上生きているなら記憶があるのは当たり前で、記憶があるなら生きてきたってことだ。

 だから、本来ならみーちゃんがそんなこと気にするのはおかしい。

 おかしいはずなんだけど、何か、妙に気にかかった。


「……たぶん、長い入院生活で外の世界と離れすぎちゃったから疲れてるだけだよ。だってそろそろ1年でしょ? ちょっと気が滅入っちゃってるだけだよ」

「そう……か、な」


 納得がいかないのか、みーちゃんは続ける。


「実感が持てないんだ……こんな感情私だけかもしんないけどさ。おねえちゃんは家族と連絡とったことあるかもしんないけど、私はもうしばらく取れてない」


 みーちゃんは手元のゲーム機を見つめた。


「これを1年前にもらった以外で連絡なんて無かった。誰も使ってないあの電話で声だって聴いたことない。……最近さ、不安になるんだ。」


 彼女は一段と声のトーンを落とした。


「私は本当に…」


 何かを、みーちゃんが言い終える前に。


『警告』


『識別番号SN00000、SN01M10。ただいまの二人の自身の過去についての会話は第3の規則に抵触する恐れがあります』


『速やかにその話題を中断してください』


 頭の中で、甲高い警告音と共に無機質な女性の警告が鳴り響いた。


「………い、今のもダメなの? だって、ただ」

「みーちゃん。大人しくしないと前みたいにびりびりをくらうことになるよ?」

「あー……それはいやだ」


 一度、この警告を無視して装置から睡眠ガスを注入され警備員に連れられて行った患者さんを見たことがある。

 そして、破りそうになってみーちゃんは装置から発せられたスタンガンのような伝奇攻撃をくらい、痛い思いをしている。

 守らなければ、処罰が下されるのは明確。

 だから私は瞬時に会話を切り替えた。


「つまんない話なんかやめて別の話しよーよ。過去の話がだめなら……そうだ、先の話をしよ?」

「先……?」

「そ。未来の話。お互い毎日視ちゃう幻覚についても経過が良くなってきてるでしょ? ならさ、そろそろしたらこんなところ出られるかもしれないしさ。今のうちに先の計画を建てとこうよ」


 心の怪我が治らないなんて、そんなのありえ無いと信じたい。

 心だって治るはず。

 もう先なんて無い私と違ってこの子は違う。

 いつかはここを出ていく。

 いつか訪れるその時になって慌てないように、明るい明日の話をするのはとても建設的なことだ。


「ほら、今ってまだ8月の序盤でしょ? もしかしたら夏休みが終わるまでには退院できるかもしれないしさ。色々夏らしい事がまだできるかもよ?」

「うーん……夏らしいことかー」


 穏やかな環境が整えられたこの場所じゃ夏らしさなんて皆無と言ってもいい。

 だからこそ、少しでも考えておかなければ外のことなんて忘れてしまいそうだった。


「おねえちゃんこそなんか無いの? なんかあんまり現実味が湧かないや」

「なにも思いつかないの? だって夏だよ夏」

「うーん……行きたい場所についてはよくわかんないかなー。あ、でも言ったことの無いとこならわかるよ」

「へー、どこ?」


 どこか遠い場所を見ているように、みーちゃんは言う。


「海。青くて、砂浜が熱くて、近くにおいしそうな焼きそばを販売しているらしい、あの海」

「行ったこと無いんだ」

「うん。そういう記憶は無かったかな」

「へー……じゃあ、私と同じだ」

「おねえちゃんも無いの?」

「無いねー。ほんとだったら小学4年生のときに行けたはずだったんだけど……に遭って、長く入院しちゃってたからね」

「あ、りんかいがっこーってやつ? あれって海で泳げるの?」

「そうだよ。みーちゃんのとこでもあるんじゃない?」


 みーちゃんは頭に手を当てて考え込む。


「無かった……かな?」

「じゃあ、今月中にここを出れたら快気祝いに海に行くのもいいかもね」

 

 空を眺める。

 あの空色の青よりも、もっと眩しくてキラキラしている海の色。

 昔テレビで見たきりだったけど、いつかそれをこの眼で見てみたいと、がらにもなく思う。


 あとどれくらいこの体がもつか分からないけど、無理さえしなければそのくらいはできそうだとは思う。

 それこそ、この子と一緒に、こんな鬱陶しい装置なんか外して外の世界を歩ける。

 そう考えてみれば、そんな何でもない事こそが今の私にとって唯一の夢かもしれない。


「おねーちゃんは行かないの?」

「……そもそもみーちゃんと一緒にここを出れるか分からないし。それに、このじゃね」


 無い左手をみーちゃんに示す。

 ここに入院するきっかけになった事故で亡くした、みーちゃんにはあって私には無い物。


「本当に無理なの……?」

「うん。もう、無理できない体だからね」

「そっか……。じゃあさ」


 みーちゃんはベンチから立ち上がり、私に向けて両手を広げながら笑う。


「私がおねえちゃんのやりたいこと、全部叶えるよ」


 唯一の友達はそう宣言した。

 相手の顔が見れないことをここまで恨めしく思ったことは無いだろう。

 そう言ってくれた彼女の笑顔はきっと素敵な物に違いないのに、それを見ることさえ叶わない。


「私がおねえちゃんの無いものの代わりになるよ!」

「代わり……みーちゃんが?」

「うん!おねえちゃんができないことを私が全部やってあげるよ」


 その言葉の残酷さも尊さも意味も分からずに言っている、その姿が少しだけ眩しかった。

 やはり、どこか同じだと思う。

 大人というものに一切染まらず、世界の陰りなんて知らない。

 無条件に正義が勝つと思い込んでいて、信じれば何でもできると思い込んでいる。

 昔の私も持っていた、

 魔法のような笑顔。


 もう、私には無いもの。


「それに、私はおねえちゃんより2つも若いんだよ? 若さでなんとかなるよ」

「……2つしか違わないでしょ」


 笑顔に対してうまく笑えないまま返答をし、

 無謀で愚かなはずの、眼の前の友達に一つだけ尋ねる。


「魔法の力を、みーちゃんは持ってる?」

「……………へ? なんのこと?」

「ううん、ただの与太話。何も知らないならそれでいいんだ」

 

────何も持ってないくせに、そんなことを言えるなら。

 まだ救いはあるだろう。


「じゃあ、お願いしようかな」

「任せてよ。ほら、海以外にもなんか無いの? やりたかったけど出来なかった事とかさ」

「うーん。そうだなー」


 正直、ほとんど全部のことが先の長くない私にとっては出来ないことだ。

 もしそれを全部言ってしまえば私の人生丸ごとあげるようなものになってしまう。

 いや、押し付けてしまう。


「なんかないのー? おねえちゃんにはちゃんと見てもらわなきゃいけないんだからさ。今のうちに考えといてよ」

「えー。そんなすぐには思いつかないよ………じゃあさ。ちょっと長くなるかもしれないけど、聞いてくれる? その中から適当にできそうなこと選んでよ」

「いいよ!ていうか全部で良いよ」

「だーめ。私の願い事ばっか聞いてちゃ、みーちゃんが楽しくないでしょ? あくまで私のお願いはおまけなんだからさ」


 私のやりたいことで彼女の人生が上書きされてしまえば、それこそ本末転倒だ。

 だから、やる気にもならないような、果てしの無いことばかり言ってやる。

 願ってもできなかったくらいのことだ。絶対にあきらめてすぐに忘れてくれるだろう。


「まずは宇宙人とお友達にでもなってもらおうかな。昔映画で見て憧れてたんだよね」

「え? 何言ってんの」

「うっさいなぁ。SFはロマンだよ? あとはー…恋愛とかかなー。同級生とかとイチャイチャとか楽しそうだし。私中学は女子中だからさ。恋とかはみーちゃんに任せるよ」

「えー、イメージできないんだけど」

「まぁまぁ。あとは……魔法使いとか、かな。………………私のなりたい職業」

「私魔法とか使えないんだけど………おねえちゃん、さっきから本気で言ってるの?」

「本気だよ。まだまだあるんだから」


 世界1周とか。やりたいゲームとか見たい映画の続きとか。

 楽器とかもやってみたかったな。ギターとか、なんか無性に憧れる。

 思えば勉強だってちゃんとやってたのはもう2年前か。中学からはちょっと違うところとはいえまともな学校生活をまた送りたい。

 部活とか文化祭とか。確か中学からは寮生活だったし、友達同士のお泊り会みたいで地味に楽しみだったりする。

 おいしい物もたくさん食べたい。ここの食事は味気ないし、私の内臓からだじゃ変な栄養食しか無理だ。たらふく食べるなんてもってのほか。

 お酒とかもまともに肝臓が機能してたら飲んでみたかった。

 ラーメンとか。おいしいラーメンを巡る旅とかしてみたかった。別にラーメンじゃなくてもいいけど、子供でも食べれる手ごろなところと言ったらそれくらいだろうか。

 もっといろいろなことができたはずなのに。

 左腕があったら。

 体が元気だったら。

 人生がもう一個あったら。

 もっといろいろできてたのにな。

 あとは………そうだ。お父さんにもちゃんと謝りたい。

 私が余計なことをしたせいで余計に悲しませてるだろうし。実家に帰りたい。


────やりたいことっていうか、過去にやり残したことばかりだ。 


 ああ………生い先長くないって言うのに、なんでこんな頭が働いちゃうんだろ。


「………そんなのばっか、できないよ!」

「ええー? やってくれるって言ってたじゃん」

「う、海だけで………いいかな?」

「しょうがないなぁ────────じゃあ、一緒に行ってくれるならそれだけでいいよ」


 青空から眼を背けて地面に伸びる私の影を見る。

 ここに来てからずっとそうだ。

 在るはずの無い面影を友達から感じてしまう。

 この子と話して、なにか救われたような気になるなんて。


 本当に────よくないな。

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