第17話:因果の変転
「朱玲音、あなた全校集会でスピーチしてくれない? あなたは筋ダルマにやられたから、生徒たちの自衛力の向上の重要性を分かってるでしょ? 生徒たちもあなたの言葉なら説得力を感じてくれるはずだから」
「久しぶりに家で口を開いたと思ったら仕事の話? アタシが筋ダルマにやられて……心配の言葉でもかけるなら分かるけど、それが最初の言葉? なんであれからずっと黙ってたの?」
朱玲音の自宅、そこは余計なモノが一切ない、あまりに殺風景で、清潔で、冷たい印象のある家だった。
実際、そこに住まう親子の関係も冷めていて、二人は最近殆ど話さない。口を開けば、ほぼほぼ喧嘩が始まってしまうからだ。
と言っても、喧嘩を吹っ掛けているのは朱玲音の方で、母親である香里奈は無神経な言葉で、実質的に挑発を行っているだけ。無神経なだけで喧嘩をする意図はない。
けれど喧嘩になってしまうから、香里奈は黙ることにしていた。苛烈で強いと思わわている女性でも、娘と喧嘩はしたくなかったのだ。そこにある種の愛情があったのだが、朱玲音からすれば、そんな消極的な愛情など見えるわけもない。
「私と話しても喧嘩になるだけでしょう? だから黙っていたのよ。大体、あなたがヒーローなんて危険なことをするから、危ない目にあったんでしょう? 私はもうずっと前から、危ないからそんなことはやめなさいって言っていたでしょう? 実際私の言った通りになっているじゃない! これで満足? こういう事よ、私が思って言わなかったことは、あなたが気に入らない説教、あなた説教されたかったの?」
「はぁ、説教って……それがママの心配の言葉ってこと? ママも不器用ね……ママの言う通りだったわ。ヒーローとして活動するのは危なかった、ママに心配もかけた、ごめんなさい」
「えっ……ちょっと、気持ち悪いわね、いきなりどうしたの? 熱でもある? いやに素直じゃない……だっていつもなら……」
娘が素直に非を認め自分に歩み寄りを見せた事実に眉をひそめ困惑する香里奈。香里奈の言う通り、いつも通りなら朱玲音は説教を聞き入れなかったし、歩み寄りもなかった。
「彼氏と別れた。頭よかったし、顔もよかったし、付き合ってって言われたから付き合ったけど、あいつは言うほどアタシのことを好きじゃなかった。パーカーの男に筋ダルマの中から助けてもらった時、アタシは無理やりに出ようとしたら止められた。無理やりでたら手足が千切れて、回復魔法でも治せなくて、それがきっかけでアタシは不満を溜めて、恋人からも知人からも疎まれるようになって、最後は鬱病になって自殺しちゃうって言われた」
「そんなこと言われたの? 酷い話ね、それにいやに具体的」
「でもなんだか、変な話だけど……多分本当にそうなっちゃうんだろうなって思った。あいつは今ですらアタシに振り回されて、耐えてるって感じで、それを見てると、アタシってやっぱり駄目なんだっていつも思ってた。それがもっと酷くなったら、あいつも絶対に耐えられないし、アタシだって、自分の醜さに耐えられない……アタシは……存在するはずもない完璧な男を求めてた。アタシはあいつに助けに来て欲しかった、でもそんなの無理よ……アタシは命がけで助けられるほど魅力的じゃないし、あいつもそこまではアタシを愛していない」
「朱玲音……あなた……」
「アタシは求めてばかりで……えぐっ、あいつのことをちゃんと見てなかった。アタシは、人を愛していない癖に……そんなの、愛されなくて当たり前じゃない……」
朱玲音は泣いて、うちに溜めていた言葉を吐き出した。そんな弱った娘を初めて見た香里奈は驚いたし、自然とその体は娘に寄り添っていた。娘を抱きしめた。そんなことは、この親子では、朱玲音が赤子であった時ぐらいのことだった。
だから朱玲音も母親の行動に驚いた。けれど、長らく離れていた二人の心の距離は確かに縮まった。
朱玲音は父親がいない環境で育った。それ故、寂しさの裏返しから愛への深い渇望、コンプレックスがあった。そうしたコンプレックスがあることは、母である香里奈もなんとなく察していたし、そういったコンプレックスを抱かせてしまったのは自分の責任であるとも思っていた。
「私はあなたに強くなれってそればかり言って、甘え方なんて知らずに育ったものね……正しさなんてその時その時で違うのに……ごめんね朱玲音」
「けど……分かったこともあるわ。結局愛を求めるなら、まずはアタシが愛さなきゃいけない。そのためには、アタシが愛を向けられる人が、好きな人がいないと駄目ってこと。アタシは──あのパーカーの男が好きだわ」
「えっ、ちょっと! あなた正気なの? 顔どころか性格もよく知らないっていうか、相手は犯罪者よ?」
「筋ダルマはともかくデビルシックスの場合は殺すなっていうのは無理でしょ。正当防衛が成立するわ。それに好きなものは好きなんだから仕方ないじゃない」
「えぇ……あんなののどこがいいのよ。ママにはちょっと分からないわ……」
「アタシに対してでもハッキリした物言いだし、自分の世界観がある感じ、自分の考えがある感じがいいわ。アタシのことも助けてくれたし、優しいのよ」
「はぁ……恋は盲目って言うけど……まぁ私も人のことは言えないか」
「あ、そうだ。パーカー男とは別に、面白い子とも話したの。黒凰不知っていう、学園長が特例で入学させた子いるでしょ? あの子もアタシにハッキリとした感じで意見を言ってきたし、なんだかマイペースだったわ。久しぶりに人とちゃんと話せて、色々気持ちに整理がつけられて助かったの」
「そうなの? 私はあの子と話したことはないけど、不思議な雰囲気の子よね。確か文字が書けないからマークシート式の知能テストをやったら異常な点数を叩き出した天才児で」
「え……? 文字が書けないってどういうこと?」
「そのままの意味よ。事故で脳に障害があって、文字が書けなくて、あと絵も描けないのよ。どちらも認識自体はできるみたいなんだけどね。彼は優秀な頭脳を持っていたけど、数年前に一緒に住んでいたお爺さんが亡くなってしまって、それから一人孤立状態にあったのよ。両親は存命なんだけど海外にいるから頼れなくて、だからうちの学園長があの子の監護権者、色んな手続きを親の代わりにやってるのよ。本当は学園長と一緒に住んだほうがいいんだけど、本人が迷惑を掛けたくないし家があるからって、学園長とは別々に住んでるのよ。なんというか、かなり特殊な事情持ちよ」
「学園長が親代わりみたいになってるってこと? 待って、お爺さんが亡くなってしまっても他の親戚とかはいなかったの?」
「それが……私はこれ聞いてゾッとしたんだけど、彼の親戚は全滅してるのよ。数年前までは親戚もいたんだけど、お爺さんが亡くなる少し前ぐらいのタイミングで、全員死んでるのよ、病気だとか事故、自殺だとかでね。だからまるで呪いだとか、あの子は死神だとか、そんなことも言われてたみたい……私はあまりそういった迷信は信じない質だけど、あの子、それかあの家は……何かあると思わざるを得なかったわ」
「じゃ、じゃあママはアタシが黒凰君に関わらない方がいいと思ってるってこと?」
「正直、怖さはあるわね。けどあなたは言って聞くとは思えないし、私も彼のことを可哀想だとは思うから……そうね、もし危ないと思ったら、関わるのはやめて欲しいわ」
まるで呪われたかのような不知の境遇を、香里奈は戦々恐々と語った。その様を見て朱玲音は事の重大さを感じ取った。
「話を聞いたら、ママの言っていることが正しいと分かるんだけど……アタシは自分の目で見て決めるわ。あの子はいい子だった、見ず知らずのアタシに寄り添って、役に立とうとしてくれたわ。勿論そんな深い関わりがあるわけじゃないけど、そういう人の役に立とうとする子が、寂しい思いをするのは嫌だわ。だって良いことをする人には、同じように良いことが返ってきて欲しいから。アタシがその良いことを彼に与えられるかは分からないけど」
「はぁ……そう言うと思ってたわ。結局あなたもヒーロー気質なのよね……そこは父親によく似ているわ。あの人は理想主義者で、日常を破綻させてしまったけれど……朱玲音、あなたは私の子でもある。だからあなたなら、現実との折り合いもつけられるかもしれない、そう思うことにするわ」
こうして一つ、不知の知らない所で、不知の選択によって、大きく運命が変わった者が生まれた。過去の世界では心を病み自死を選んだ少女は、ヒーローを求め、それと同時に不遇の少年の救済を願った。
その二つが同じ者であることを
少年を救いたいという願いはまだ些細な、小さな願いに過ぎなかったが、その選択の意味は大きい。
不知は未来で自死を選んでしまう少女を救おうとした。だから少女も不知を救おうとする。ある意味で、そういった互いの救済の願う心が、繋がりを作ってしまった。
不知はまだ知らない、人を救うことが、己を苦しみへと導くことを。
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