懐旧談の事 第4話

 しかし、いったい何をそこまで──。

 将臣はいよいよ引っかかる。いったい一花は何に巻き込まれているというのか。景一が彼女を発見したという謎の研究施設とは、何のためのものか。まさかとは思うが、もしかするとこれまでに巻き込まれてきた事件も今回のように少なからず霧崎夫妻の失踪と関わりがあったのでは──と、将臣は邪推する。

 先月、陸奥北部の地主宅で起きた殺人事件。

 当主が大往生にて亡くなり、その葬儀導師を縁あって宝泉寺がつとめることとなったゆえ、父を筆頭に恭太郎や一花、森谷やその従兄など連なる野次馬とともに岩手山奥まで出向いた。そこは座敷わらしが住まうという一風変わった豪農で、代々そのお守りをするお役目が据えられていた。

 事件は葬儀当夜に発生。

 一見複雑な様相を見せた事件だが、蓋を開けてみれば明快で。背景には、旧時代の社会によって生み出された負の伝統。そこから最愛の孫を護ろうとした老女の愛と、その愛をもっともそばで見続けた男の忠誠心があった。おもえば、事件の舞台となった大地主の家──相良家は、黒須家や藤宮家といった新星御三家とのかかわりが深い家だったという。

 さらに以前の先々月には、若い男に恋をした女が、若さを得るべく眉唾な伝承にすがって血を集めようと若い娘たちをころした通称女吸血鬼事件があった。例によって将臣や恭太郎、一花も巻き込まれたわけだが、とはいえすべてにおいて突発的、局所的に起きた事件であり、一見すると霧崎夫妻失踪には関わりがないように思える。

 ひとつ気になるとすれば、犯人の女がすがったという眉唾伝承について。

 その伝承とは『処女の血を浴びれば肌が若返る』──というもの。中世ヨーロッパにおいて、実際にそう信じた女がいた。女は永遠の若さを得るために多くの娘たちを犠牲にしていったという。今回の事件はいわば、時と国を越えた模倣犯だったわけだが、この事件の犯人はいったいだれからその伝承を──。


「あ?」


 ふと口から洩れた。

 となりの恭太郎がパッと顔をあげてこちらを見る。その顔はいつになく驚愕していた。おもわず将臣も、つられて目を見開く。

「めずらしいな」

「え?」

「おまえが僕に──意図しない声を聞かせるなんて」

「────」

 おもわず口を隠す。

 いや、彼に聞こえたのはこちらの声ではない。内の──。



「!」

「おまえがそんなに動揺する名前か?」

「────」

「ああ、なるほどね」

 すうと瞳を細めた彼は一瞬考え込んだような顔をして、すぐに笑顔にもどった。


「景さん、カツカレー食ったらまほろばに行くぞ!」


 という提案を添えて。


 ※

 児童養護施設まほろば。

 都内一等地、敷地裏に森がある緑豊かなこの場所に檜造りの戸建てはある。ここを訪れるのも何度目だろうか。とくに用事もない自分が恭太郎にさそわれて四度、五度。いまではすっかり馴染みの顔として認識されるようになった。

 景一が車を駐車するあいだに降車した将臣、恭太郎、一花の三人は、管理棟のスタッフに声をかけて顔パスで敷地内へ。そのまま迷うことなく居住棟へと向かう。恭太郎はすでに子どもたちの声を耳に捉えたらしく、うっそりと笑みを浮かべている。

「今日も今日とて元気だなあ。ガキどもは」

「なにすかしたこと言ってるんだ。お前だって毎日呆れるほどさわがしいぞ。一時は攫われて銃撃戦にまで巻き込まれたってのに」

「はっはっは! あんなのはスポーツだよ。ちょっと緊張感はあったけど」

「この馬鹿者──」

「アッほら。みんな出てきたワ」

 と、一花が居住棟を指さした。

 こちらの来訪を察してか、数人の小学生が玄関口から顔を出している。いつものことだが彼らはいったいどのようにして客が来たことを知るのだろうか。もしかすると管理棟のスタッフから連絡が入っているのかもしれない。

 すると、いの一番に飛び出してきた影がある。

 跳ねるように走る小学二年生の女児──小宮山灯里が、息を切らしながら恭太郎めがけて一直線に飛び込んできた。

「!」

「おぅ。来たぞう、あかり。元気そうだな!」

「────」

 と、頭を撫でる恭太郎にむかってにこにこと笑みを向ける。

 どれほど興奮しようとも彼女が声を出すことはない。この少女こそ、先日のホテル射殺事件で殺害された夫婦の一人娘であり、目前で親をころされた張本人なのである。彼女の話を聞いた恭太郎曰く、両親殺害時はベッド下に身をひそめていたために音しか聞かなかったそうだが、そのときの発砲音と倒れ込む音が脳裏に焼き付きトラウマとなって、彼女の声帯から声を奪ってしまった。

 事件が解決して数週間経ったいまでも、その声は戻っていない。とはいえ、彼女の内声は恭太郎が聞き取ってしまうため、コミュニケーションにはそれほど不便もない。ゆえに弱冠七歳の少女にとって、彼の存在がどれほど大きいものかは容易に想像がつく。恭太郎に対してこれほど懐くわけである。

 灯里は恭太郎を見上げて首をかしげた。

「?」

「ああ、うん。お前たちに会いに来たのもあるけれど──今日は特別な人を連れてきた。きっとあかりが会いたいだろうとおもって」

「────」

 だれのことだろう、という顔で将臣、一花の順に顔を見た。

 まもなくその背後から近づいて来るひとつの足音。

「あー、やっと追いついた──」

 黒須景一。

 恭太郎の腰元にぺったり張り付いていた灯里が、景一を見て静止する。やがてあんぐりと口を開けた。

「────!」

「な。会いたかったろう」

 恭太郎がにっこりと景一に目を向けた。

 視線を受けてふと恭太郎の腰元へと視線を落とす。そこに立ち尽くす少女に気が付くと、すぐに頬を綻ばせた。

「嗚呼──キミ、灯里ちゃん。元気そうでよかった」

「────」

 大きな瞳がこぼれ落ちそうなほど見開いて、やがてゆっくりと恭太郎から身を離し、おそるおそる景一に近づく。景一はその場に膝をついて腕を広げた。カモンの合図だ。

 灯里は遠慮がちに近寄って、その腕のなかにおさまった。

 その柔らかい体躯をやさしく抱きしめる景一の目には、うっすらと涙が溜まる。

「よかった。──キミが無事で、ほんとうに」

「────」

 ちょい、と少女が景一の襟足をいじった。

 髪切った? と言いたげに。

 景一は身を離すとうれしそうにうなずいた。

「ああ。綺麗なおじさんになったろ? これまではちょっと、小汚かったもんな」

「!」

 くすくす肩を揺らしてわらう。

 傍から見ると、不思議な関係である。

 本来ならば交わることのないような男と少女が、運命のいたずらか、些少なれど痛烈な時間を共有した。そこから生まれた縁はそう簡単に切れるものではないのだろう。

 灯里は景一から離れると、ふたたび恭太郎を見上げて控えめにわらった。

「ああいいよ。伝えてやる。景さん」

「ん?」

「あかりが『会いに来てくれてありがとう』ってサ」

「──ハ。よかった、顔も見たくないなんて思われてなくて」

「思うものか。あかりはずっとアンタのこと心配してたんだぜ。豚箱入ってたときも、腹撃たれたときも──あれから僕の顔を見るたびに『おじさん大丈夫か』って真っ青な顔で聞いてきたんだ」

「そうだったのか、ごめんな。怖い思いさせて──ほんとうに。でももう大丈夫だから」

「────」

 うんうん、と灯里が何度もうなずく。

 それからふたりは互いに見つめ合い、わらった。

(嗚呼、ようやく)

 事件が終わったのだ、と将臣はおもった。

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