懐旧談の事 第2話

「それでね、朝っぱらから電話が来てなんだとおもったら、ケーイチが宝泉寺に転がり込んだって言うんだぜ。あのおばさんもたいがいマメだね」


 と言って、畳にごろりと転がる西洋人形──もとい、将臣の友人その二、藤宮恭太郎である。

 西洋人形という例えは誇張ではない。彼の瞳はまるでビー玉のようにくるりと大きく、日本人離れした深緑の色をしており、鼻筋と唇、しなやかな長躯は、腕利きの造形師が形づくり、組立てたかのよう。暗いオリーブ色の豊かな髪の毛がうつくしい顔に影を落とし、黙っていればアンニュイな空気すらある。黙って立ち尽くしでもすれば、待ち合わせ場所にだって使われかねない。そのくらい目立つ、という意である。

 しかしこれには“黙っていれば”という注釈が必要だ。そう、この男黙っていればとてつもない美丈夫なのだ。が。

 変人なのである。

 誇張ではない。ほんとうに変なのである。たとえばこのように友人の家へ訪ねに来たとすると、ふつうはよほど仲の良い相手であれど、玄関口にてひと言お邪魔しますとかこんにちはといった挨拶があるものだが、裏庭に面した縁側からのそりと上がり込み、だれに何を言う間もなく、居間の畳にごろりと寝転がるのである。

 そうしてこちらが存在に気づくなり、自分が話したいことを唐突に話しはじめ、ひとりでケラケラわらったかと思うと唐突に眠ることもある。

 まるで幼児である。

 それから彼の体質。これについては、変と形容するには憚られるが、彼は生まれつき耳が良い。良いどころか異常なほど聞こえてしまう。おなじ空間にいれば相手の心音が、別室だとしても一挙一動の鮮明な音が、彼の耳に届いてしまう。それだけならまだいいが、いったいどういう理屈か、彼の耳には人の感情すらも声や音として届くという。

 塞ぎたくとも塞げない。

 耳は、人の五感のなかでもっとも無防備な器官だ。彼が人に比べて聡明かつ柔軟な頭を持っていなければ、今ごろはその騒がしさに首を括っていたかもしれない。

 ──さて。

 そんな彼は、昼前に宝泉寺へとやってきた。

 しかも先述した古賀一花も連れて。

 ふたり──とくに一花は、景一を見るなりワッとよろこび抱きついた。いまだ腹部に爆弾を抱える景一は、痛みに顔を青くしつつ、しかしこちらも大喜びで一花をやさしく受け止めた。一花からすれば一切記憶のない実の両親についてを知る、数少ない人間である。おまけに、景一曰く「産まれた一花を親より先に抱いた」というのだから、その親密度もひとしおである。

 案の定、景一は三十秒に一度、彼女を見てはゆるりと頬をゆるませる。もはや孫を見る爺である。

「かわいいなあ。お母さんそっくりだなあ」

「ケイさん、すぐそう言う。そんなに似てる?」

 と、一花は博臣を見た。

 朝は不機嫌だった彼も、すっかりいつもの調子に戻ったようで、目尻に皺を刻んでにっこりわらう。

「そうだね。年々似てきた」

「おかーさん、名前なんていうの」

「綺世。霧崎綺世だよ。彼女は根っからの優等生で、いつもいつも教師に反抗的だったキミの親父と景一とは対局にいるような存在だった」

「イッカは親父似かァ」

「どーゆー意味よ!」

 抜けた声を出す恭太郎を殴打して、一花はふたたび博臣を見る。

「おとーさん、馬鹿だった?」

「とんでもない!」

 と、景一が横から割り込んだ。

「アイツはいつでも学年主席だったよ。授業もろくに聞かねえし勉強してるとこも見たことないのに、なんでかテストの点は良かったんだ。あの素行で卒業できたのも、勉強できたからだよ。なあヒロ」

「そういやそうだったか」

「へえ。頭の良さと遺伝子は関係ないんだな」

「キイーッ」

 と、じゃれ合う恭太郎と一花をぼんやり眺めてから、景一は居住まいを正し、将臣を含めた三人にむかって頭を下げた。

「な、なあに。どしたの」

「────」

 場に沈黙が流れる。

 やがて、ゆっくりと頭をあげた景一は、泣きそうな顔でぽつりとこぼした。

「忘れもしない。イッカを森のなかで見つけたとき──俺はほんとうに心臓が止まるかと思った。ほんとうに、イッカ。生きててよかった」

「え? ────」

 唐突な昔ばなしに一花は困惑した。

 心当たりがない──と言いたげな顔である。というのも、彼女は極端なほどに過去の記憶が欠如している。三歳などの幼児時代ならばまだわかるが、小学校入学後からしばらくもいっさい記憶に残っていないのだという。

 ゆえに、これまで両親だとおもっていた人間が赤の他人であったことすら、先日人から教わるまで気が付かなかった。もともと両親を名乗るふたりとのあいだには溝があり、共通の時間をほとんど過ごしてこなかったせいもあろうが。遺伝子レベルに感じていたのかもしれない。

 戸惑う一花に代わり、口を開いたのは恭太郎だった。

「僕はコイツと中学に入学してから会ったわけだけど。ケイさんはイッカのそれまでのことをどこまで知ってるんだ。和尚も、知ってたの?」

 強い眼力を向けられ、景一が口をつぐむ。

 対して博臣はふるりとちいさく首を横に振った。

「オレが知っていたのは、霧崎家族が例の旅行に出かけた先で行方不明になったこと。その行方を捜索するためにコイツがひとり渡米したこと。先の森のなかで──イッカちゃんを見つけたこと。しかしケイが見つけたはずのイッカちゃんはなぜかあの古賀静馬に連れられて戻って来たこと。そのくらいだ。いったい何がどうしたのかは、オレが聞きたいくらいだよ」

「────」

 一同の視線が景一に向けられる。

 彼は怯むことなくふたたび口を開いた。


「イッカを見つけたのは、とある研究施設の敷地内だ。いろいろあって──そこにたどり着いた。命からがら潜入したときにイッカが森のなかで倒れていたところを発見したんだ」


 ──よかった、生きてた。

 ──お前は生きていた。


 景一が頭痛を押さえるような仕草をした。


「研究施設──?」

 将臣がつぶやく。

 きな臭い話になってきた。表情から心情を読み取ったか、景一は力なくうなずく。

「例の──組織が絡む場所だった。オレはいつからか六曜会にタマァ狙われるようになってて。イッカを見つけたとき、いっそ攫ってしまおうかとおもった。そのまま日本に連れて行けばとおもった。でも──俺といっしょにいたらイッカも死ぬかもしれねえとおもうと、それはできなくて」


 ──すまない。すまん。

 ──イッカ……。


 ポロリと景一の瞳から涙がひと粒。

 喘ぐように語る彼を前に、一花はなにも言えない。乱暴に涙をぬぐった景一はふたたびしっかりおした口調でつづけた。

「あの時、静馬もいたんだ。アメリカにいた俺に連絡をとって、いっしょに秋良をさがそうと言ってきた。あの施設を突き止めたのもアイツだった。だから俺は奴を信頼して──イッカをたのむと言った。でも、」

「蓋を開けてみたら彼は向こう側だったわけか」

「────まだあの時はそんなのわからなかった。だから、俺がここにいるうちは、日本に帰ったイッカたちも安全だろうと踏んで留まったんだよ。ま、イッカの両親について何かしら掴んでねえうちは帰るつもりもなかったんだけども」

「じゃあどうして今さら」

 と、恭太郎が目をくるりと見開いた。

 悪意はない。が、景一はひどくバツがわるそうにうつむく。

「中学にあがったイッカが──親との──つまり静馬たちとの同居を嫌がって、夜の歓楽街に家出するようになったって噂を見守り隊から聞いた。俺はその時にようやく、静馬に任せたことが間違いだったことに気が付いた。秋良たちの行方を追うばかりで、ひとり残されたイッカの気持ちをまったく考えてなかったことにもな。そっからすぐ、オレが死んだと奴らに思わせるように偽装工作をして。二年半。息をひそめて完全に世間からすがたを隠してた」

「うまく騙せたんですか」

「ああ。向こうの動きもすっかり見えなくなって、これで大丈夫だとうっかり実名パスポート使ったら、アイツらいまだに張ってやがったらしくて。まんまとバレてこのあいだの事件ってわけだ」

 バカである。

 直球で言うことはしないが、将臣はおもわず喉まで出かかった。そこまで慎重だったくせに迂闊すぎる。とはいえ偽装パスポートで帰国したと言われたら言われたで、反応に困ったのだが。

「バカだなあ」

 父は言った。

 あんまりしみじみ言うので、将臣はしずかに吹き出す。

「そういうところは何にも変わらんなお前」

「うるせえなあ」

「嬉しいですよ私は。嗚呼、景一さんだなあって感じがして」

 なるほど。

 両親の反応を見るかぎり、こういう迂闊さが彼──黒須景一の十八番であり、魅力でもあるらしい。傍から聞いていた恭太郎はケタケタわらって、

「ほんとうに馬鹿だ!」

 と天真爛漫に詰ってから、

「イッカはケイさんに似たんだな!」

 などと一花を見て言い放つ。

 一花は、三度恭太郎をぶった。

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