4.
背の低い石塀が作った長い影がやがて暗い闇に溶け込んでいく頃、わたしはコエの場所にたどり着きました。より厳密には、コエが聞こえた気がした場所の付近、でしかないのですが途中でどうもそのあたりが曖昧になってしまい、これが視覚なら「見失ってしまった」という表現が的確でしょう。
そのあたりもかつてひと屋根が門を構えていたような木柱と灰塵の塊が残る場所でただ、全貌については、その影も形もないことと、時間帯によりむしろ夕闇の影に包まれていたという二者によりやはり視覚の上でも上手に知覚できそうにありません。
我を忘れて飛び出したわたしではありますが、いざ目的地に到達してみれば打つ手が文字通り見当たらないともなれば思考も落ち着いてくるもので、この場にいる意味を問うてはハーツさんの元に戻る選択を取ることは自然な流れに感じます。
ただ、落胆するわたしの耳には、先程のコエこそ最早聞こえないものの、人気を感じさせる物音が聞こえて、そのことにわたしの関心が向いてゆきました。この暗がり、この廃れた場所で、灰の積もった地面の上を誰かが動いているというのは、通常近づけば祟りに類するものが付けられそうなものですが、わたしには怖いもの見たさの感情が勝っているようでした。何より、先のコエの正体が掴めていないというのもあります。
石塀の中を、不安定な足場に取られながらふらふらと歩みを進め、周りの警戒をすると、思ったよりも近くにそれは見つかりました。わたしと同じ年頃の男の子で、白灰の中にうずくまって何かをしていました。手元を見るに、何かを探している……のでしょうか。もちろんこの子に関心がないわけがなく、しかしどの言葉から声をかけるのが会話足り得るかを考察している最中、わたしの体は途端に宙に浮かび上がりました。
「ちょっと!急に走ってっちゃだめでしょ!」
勝手な行動で困らせてしまったのは確かですが、その旨を伝える言葉とは真逆の、足をぷらぷらと揺らしての不服さの抗議も同様に伝わってしまったらしく、
「守ってもらえるのは子供のうちだけなんだから、大人しくしときなさいよ!」
どうやらわたしの論理が通用しないらしいと悟りました。しおらしく従順な小動物を演るのがこの場の正解でしょう。ハーツさんは深くため息をついた後、両手で掲げた小動物をゆっくりと地面に着地させました。
「で、何があったの?」
その質問に、わたしは自分でも驚くほどの上ずった声で、驚くほどの鮮明だった「コエ」の話をハーツさんにしました。
「なるほどねぇ……」
頭をコツコツとして、思考を冴えさせたあと、
「なら、先にあたしにそのこと報告しなさい。あたしじゃなくてもあいつとかに、ね」
そのほうが、助けてあげられることもたくさんあるから、とのことでした。
「ひとりよりもふたり、手遅れになるかもって焦るのもわかるけど、それでも一人じゃできることも限られてくるでしょ?」
そのことは大変同意でした。わたしはどうやら、知らず知らずのうちに冷静さを欠いていたようです。ハーツさんは少し屈んで、
「痕跡は消えちゃったんなら、明るくなってから一緒に調べよっか。荷馬車の出発までなら少し時間があるはずだし。それで見つかんなくても、どっちにしろ、街まで行って身につけるものをちゃんとするのが先。いーい?」
コクリと首を縦に振ると、ハーツさんは少しはにかんで、よしっ、と立ち上がりました。
「で、あの子も連れて帰らないとなんだけど……何してるの、あの子?」
視線は、わたしが見つけた男の子に移りました。おそらくモノ探しでしょうと、ハーツさんもわかることでしょうが、わたしも詳細がわかりません。
「まぁ、そうだろうとは思ったけど……おーい、ねぇ君?」
ハーツさんはわたしの手を繋いで、そのまま男の子に近寄りました。
「もう夜も近いし、君も家に帰んな」
ただ、その助言に男の子は首を横に振りました。
「そんなこと言ったって、遅くなると危ないよ。親御さんも心配するだろうし……」
「お母さんを……」
その子は、ようやく口を開きました。
「お母さんを……探してるの……」
ハーツさんは、その言葉で大凡のことを理解したようでした。
「えっと、その……そっか」
苦笑いをしながら、目を伏せたように、わたしの手を引きました
「マリー、行こっか」
いいんですか?
「良くはないけど……でも、あたしにはあの子を引っ張って連れ帰れないから」
どういうことでしょうか。体格的にも、担ぐには無理のない大きさです。
「あの子は何も悪いことはしてない。悪いことをしていないのに奪われたものを取り返そうとしているだけ」
部外者のあたしがそれを止めることはできない、ハーツさんはそう続けました。これもハーツさんなりの価値観というか仁義とか、そのようなものなのだと思います。わたしにはやや難しい話に感じましたが、どことなく理にかなっていたような気がします。
手を引かれてその場を離れようというとき、石塀の影に隠れてそれまで見えなかった青白い光がふと目に入りました。暗闇が光の在り処を引きずり出した、というのもあるでしょう。わたしの腕は前方に強い張力を感じ、しかしハーツさんも同じ力を感じたようで振り返りました。
「どうしたの、ほら、戻るわよ」
わたしはその場で眼前の興味に引き寄せられることもできるわけですが、先程の忠告・忠言の手前に最善の行動を取るべきだと判断されました。
「……光?って言っても、それらしいものはあたしには見えないんだけど」
ここは重要なところです。わたしは、いかに自分にしか見えないこの光が重要であるか、強い抑揚と熱心な眼光で訴えることとしました。口から溢れる音はどうも自分の喉元までは理路整然としてさながら虹色の鳥の奏でる美しい歌だったはずなのですが、いざ空気に触れるとたどたどしく拙い言い訳になっていました。翳りの中でおそらく困り眉をひそめているハーツさんは、
「……じゃあそれだけ、ね。それだけ見たら帰りましょ」
どうにかわたしの意思を汲み取ってくれたようでした。
変わらずもの探しに励む男の子を気にかけながら、ハーツさんはわたしの手を強く握りしめながらわたしの指差す場所まで歩みを進めてくれました。青白色の光源の正体は片腕ふたつ分の近さまで到達するとはっきりと分かりました。これほど接近しないと気付けなかったのは視界の悪さよりも該当の光源自体の小ささにあるでしょう。物体、ではなく地面に描かれた図形でした。敷地内の地面に何らかの顔料を利用して記されているようです。多少灰を被っていますが、光がそこにある図形の理解を手助けしてくれています。ハーツさんもわたしの隣に座り込んでそれに気がついたようで、掛かっていた灰を払いながら、これのこと?と質問しています。
「見たことない紋章。あんたが気づいたってことは、自然に考えるならアムシース絡みってところかしら?」
この村落の場所の面でもその線は有り得そうです。ただ、何故?
「知らないわよ。お高く止まってる魔導師連中の考えなんてあたしにわかるわけないし」
わたしはこの奇妙な文様をただまじまじと見つめました。大量の線が複雑に絡み合って全体の調和をようやく取っている、としか言えず、私にはこの図形を比況するための語彙が足りないことをここで思い知らされます。ただ、明らかに線の一つ一つは何かを訴えかけていて、それこそ先程の拙いわたしの捲し立てよりも必死で、大事な何かがここに隠されていると言いたげでした。
わたしはふと、「その要請」に従い、手を図形にかざしました。すると、あとは何をすればいいのかがすべてわかります。口から流れ出る言語は、先程までたどたどしかった言葉を発していた同じ口とは思えません。詠唱です。
「マ、マリー?」
干し肉を一切れ食べ終えるほどの時間も要りませんでした。すべてを唱え終えたあと、図形は、その光を一気に強めます。
「わっ!?な、なに!?」
この光はハーツさんにも見えるようです。光はわたしの視界のすべてを埋め尽くしていきましたが、そのことに対する恐怖はありませんでした。どこか懐かしく、これをわたしは知っているはずだと思えました。
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