第2話この世界に俺は必要ない

 1人で暮らすには広いマンションの家。

 ふらつきながらも記憶を頼りにその家に1人帰った俺。


 3人家族と言っていいのかはわからないが、両親は共に仕事やら、なんだかんだという口実でいない。


 そもそもこの家にはあまり帰らず、小学生のときに母方のばあちゃんが亡くなってから、ほとんど1人暮らしのようなものだ。


 暗い部屋。

 音のない家。

 ここに『恭平』が存在する意味はどこにもなかった。


 寒い。

 とてつもなく寒い。

 なんだこれ。


 30歳童貞1人暮らしだったはずなのに、こんな孤独は味わったことがない。


 それを考えないようにしながら、真っ直ぐに俺は自室のベッドに転がり込む。

 そうしてようやく大きく息を吐く。


 つ、疲れたぁー。

 そのまあ、なんだ。


 もちろん俺が転生してくる前の運動行為がどうとかじゃないぞ?

 精神的にってことだ。


 家は週2日ハウスキーパーを契約しており、家の中もほこりまみれなどということはない。


 ただ家の中は俺1人なので、生活音もなく静かである。

 部屋の中はセミダブルサイズのベッドに本棚にパソコンに机と一通りの物がある。


 他にも変わりだねとしては、絵を描くためのタブレットや配信者用の機器までがクローゼットの中に押し込まれていたりする。


 両親はそこそこの金持ちである程度のものは買い与えられているようだが、チャラ男の俺自身もちょくちょくバイトをして金を貯めているようだ。


 記憶の中のチャラ男恭平は結構多才だ。


 1年前にはクローゼットの中にあるタブレットを駆使して、絵を描いてネットの中で原稿料なども得たこともある。


 突発的な流行の波に乗れただけでプロとしての力まではないが、20万そこそこの金を手に入れている。

 さらにはバイトも何度かしており、その金も貯めている。


 金に苦労はなさそうだ。

 チャラ男として遊びまくっているかと思えば、勉強に関しても努力を怠っていないようだ。


 元のチャラ男恭平がなにを考えていたのか日記でもないかと探っていたが、机の上にあるのは勉強用のノートだけ。


 開いてみると真っ白ということはなく、沢山の書き込みがある。

 その成果だろう、順位で言えば比較的上の方だ。

 学校以外で資格も取っており、将来にも備えているようだ。


 棚に置いてあるいくつかの写真立てには家族のものはないが、男友達と肩を組んで楽しそうな笑顔ではしゃいでる様子のもの。


 真幸と2人で肩を組んでポーズを取っている写真もある。

 記憶と写真からみても真幸を親友として大事に思っていたことがわかる。


「その親友の彼女をなんで寝取ったんだよ……」


 俺の中のチャラ男恭平は応えることはない。

 転生してからここまで、チャラ男であった俺の意識が出てきたことはない。


 本棚にはファッション雑誌や流行りのカフェを紹介したものが数冊。


 遊びの情報収集にも余念がないのかと思えば、人との会話テクニックの営業本や正しい習慣づけの指南書というか、学生があまり読まなさそうな本まで。


 アニメグッズやゲーム、漫画などはない。

 記憶でも、アニメやゲームに熱中してた記憶はない。


 こいつはなにを楽しみで生きてきたのだ?

 同時に30歳ブラック企業生活の俺の胸が苦しい。


 お、おかしいぞ?

 努力するチートキャラがこのチャラ男だとでもいうのか?


 な、なんだ、変な汗が出てきたぞ?


 若いときの苦労は買ってでもしろというが、俺が若いときにはどうだった?


 たたた、たしかゲームやネットでのSNSに漫画にアニメ……。


 あの享楽にふけっていた惰性の日々の結果がブラック企業での地獄への片道切符だったというのかァァアアアアアアアアア!!!


 ブラック企業勤めをしつつ、たまの休みでもゴロゴロと寝て、ゲームしてネットしてアニメをたまに見て……ぐはっつ!


 考えるな!

 考えたら俺はそこでゲームセットな気がする!!


 こうなると、ライトノベルが1冊開きっぱなしで転がっているのが不思議である。


 ライトノベルを拾ってペラペラと読む。

 タイトルは『寝取り浮気の原罪』

 内容は……知ってる。


 それほど面白いかと思うほど読みこんだ後があり、前半は紙がよれている。


 元はネット小説サイトで書かれていた作品が書籍化されたものだ。

 そのときのタイトルが、『俺の彼女が親友のチャラ男に寝取られてそこから始まる美少女たちとのイチャイチャな日々』、だったはず。


 主人公は俺と同じようにゲームやアニメやネットが大好きで、ブラック企業で後悔しながら過労死して……って、俺と同じだな?


 実は俺はこの本の中に転生でもしたか?

 だったら、なんで主人公じゃなくてチャラ男転生なんだよ。


 なお、本の内容は隣の家の幼馴染彼女が親友に寝取られている現場を覗き見してしまい、失意の主人公が学校で1番の美少女に励まされ幸せを掴む話だ。

 タイトル通りである。


 特筆すべきは始まり。

 裏切った親友と幼馴染彼女が盛大に『ざまぁ』、つまり罰を受けるところだ。


 ……と言っても、テンプレともいうべきありふれた展開なんだが。


 寝取られ幼馴染彼女は浮気相手の男の子供が出来てしまい、家を追い出され親友と共に学校を辞めることになって消息不明。


 数年後、親友のチャラ男に捨てられ、子供を連れて実家に帰って家から出られない日々を送る。

 なお、チャラ男はその後に事故だかなんだかで死亡する。


 なんというか寝取り野郎にはお似合いの末路だと思う反面、寝取られ幼馴染彼女の方はその分の苦労はしてそうなので、そこまで酷い目に遭わなくても、と思ってしまった。


 子供が1番可哀想だよな。

 こういうとき、なぜか母親の方は子を見捨ててない。

 現実には見捨てる親も多いが。


 そしてだいたいチャラ男は相手を捨てる。


 漢気溢れて嫁も子供も守るってチャラ男はすでにチャラ男ではない。

 家族を守るお父ちゃんである。


 チャラ男は現実でも例外なく面倒になるとなにもかも見捨てるので、存在自体消えてヨシ。


 そんなわかりやすいほどクズなチャラ男に女はなぜゲットされてしまうのか。

 30歳童貞の純なる男には永遠の謎である。


 口がうまい?

 そういえば、俺の記憶でもありきたりな誘い文句で姫乃を誘惑したのが始まりだったわ。

 いや、騙されるなよ。


 なんだかこれが俺たちの未来だぞ、と言われているようで、なんとも重たいものが俺の胃に落ちる。


 おかしいな、一気に胃がキリキリ痛み出したぞ?


 他に情報はないかとスマホのデータものぞいていく。


 はっきりと姫乃と2人もしくは彼女をアップで写した写真などはない。

 そもそもあるのがおかしいといえばそうなんだが。


 まったくないというわけではないが、彼氏である親友の真幸と一緒に撮ったものや、同じ場所で景色を撮った際に偶然、写り込んでいるもの。


 桜の木の下で桜を撮ろうとスマホを掲げている姿が1番大きく写っているが、これも同じ桜の木を撮ろうとしただけといえば十分通じる写真だ。


 徹底している。


 これを見たところで、誰も俺たちが親友や彼氏を裏切り、肉体関係にあるなどとは思わないだろう。


 姫乃以外の女の子の写真もある。

 可愛いとは思うが、姫乃に感じたような興奮する感じはない。

 それとも姫乃のときに感じたものは寝取り浮気の興奮だったのだろうか。


 罪が深い……。


 桜と姫乃の写真を少しアップする。

 口元に軽い微笑を浮かべたそれは愛しい人に向ける心からの笑顔。


 おそらく彼氏である親友の真幸に向けた笑顔だろう。

 知識しかないはずの俺の記憶の中にも1度だけ同じ笑顔がある。


 それは1年前、姫乃と真幸がまだ付き合い始めの修学旅行の晩。

 偶然、風呂上がりの姫乃と2人だけで自販機の横にあった長椅子に腰掛けて話をした。


 たまたま誰かを待っていたか、時間潰しか何かだったはず。

 まともに2人きりで話したのは、このときが始めてだった。


 俺は俺でチャラいノリで親友の彼女にちょっかいを出すのを避けていたし、姫乃は姫乃で見知ったばかりのチャラい彼氏の友人と距離を置いていたはずである。


 会話の内容はとてもくだらないものだった、はず。

 ネットかドラマの話……ああ、そうだ、ナタデココのジュースについて俺が熱弁してたんだ。


 あまりのくだらなさに、いつのまにか2人して大笑いしていた。

 その大笑いしたあとに、こんなふうに笑って俺の目を見たんだった。


 同時に意識を持っていかれるほどの甘い匂いが姫乃から俺の身体に運ばれた。


 そのはにかむように笑った笑顔を思い出し、ズクンと心臓が跳ねる。

 それだけはなぜか鮮明に覚えている。


 思い出せないはずの記憶の中で、親友の彼女である姫乃との身体の感触だけが身体を這いずり回り震わせる。

 それは思い出せば気が狂うほどの快感の予感がした。


 情緒が……情緒がぐちゃぐちゃになるぅ〜。


 写真に写る姫乃の表情は、2人のときだけに見せた笑顔とどこか似通っていて、俺は繰り返しそれを眺めてしまった。


「すっげぇ、可愛いな……」

 口から出てしまった言葉はどこかため息にも似ていた。


 こんな笑顔を愛しい人に向ける娘でも寝取り浮気をする。


 写真の中で笑顔を向ける相手が俺ではないことに激しい嫉妬が浮かぶのを噛み殺しながら、世も末だなと無理に他人事のように思おうとするが……。


「ああ! もう!!」


 同時にそんな姫乃の浮気相手が自分であることに暗い悦びが湧いてしまった。

 そのことに俺は激しい自己嫌悪を起こすのだった。

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