1-10 『聖女』様と『偽勇者』3
――午前の授業が終わる。
学園入学初年度の、それも入学初の授業日ということもあってかどの授業も授業そのものではなくそれがどのようなものを学ぶか、という内容の授業であった。所謂オリエンテーション。退屈極まりない、無の時間。
そも、いくら『エデン』国内最高峰の学府とはいえ初年度に習うような内容は基礎的なものがほとんどだ。これはきっと、この世界が『失楽園と夢幻郷』というゲームであることも関係しているのだろう。
剣術や魔術、歴史等の基礎をプレイヤーに説明し、ゲームの世界観を把握させる……そういった製作陣の意図もあっての基礎学習。
であれば、この『ルシファー』には学びなどそもそも必要ない。このホムンクルスの肉体は『第一聖教会』の叡智の結晶だ、剣術だろうと魔術だろうと歴史だろうと、基礎の範疇であれば脳内にそれこそデータのように入力済みだ。学園に通うのも自我、自意識の形成が目的であったはずだしな。
……それにしては、『教会』からの干渉がないというのは少しばかり不気味だ。昨日でオレに自我があることは『教会』も把握しているだろうに。過干渉よりはマシだが……何の意図があってオレを放置している? 一日程度では判断を下せない、ということか?
まぁ、どうだっていいことか。オレの体が『暗黒神』復活の鍵であることから、そしてオレの開発が奇跡にも等しい偶然であったという事実故にそう簡単に教会はオレを処分できない。処理できない。見捨てることができない。
だから、『教会』に関しては向こうが動くまではどうだっていい。
問題なのは……
「師匠! 昼休みですよ! 一緒にご飯食べにいきましょう! その後に特訓です特訓!」
「……喧しい。オレを師匠と呼ぶな」
この、亜麻色の髪をしたうるさい生き物だ。
和名はマリア・クリスタル。学名は……ウルサイオンナ・イチゴウ。今オレが決めた。
『選定式』で伝説を作りだしてしまったオレは、はっきり言ってクラスメイトとも呼べる数十人の少年少女から避けられている。それはいい。前世の学生時代も大概そんなもんだったからな。
その状況は、いい。そして目の前のこの生き物がうるさいのも、いい。
問題になるのは。
「ちょっとマリアさん? 『ワタクシの婚約者』に気安く話しかけないでくださいませんこと?」
ウルサイオンナ、という属名の生き物がこの教室にはもう一匹いるということだ。
「あ、エヴァさん。そっか、ルシファーくんはエヴァさんの婚約者でしたね。ってことは……今のワタシ、エヴァさんに横から男の子を掠め取ろうとしてる泥棒猫、みたいな感じに思われてたりしますか?」
「思われているもなにも、事実その通りではありませんこと?」
「別に恋愛感情はないんですけどね、ホントに……だってルシファーくんは師匠ですから」
「その師匠? というものがどのような関係かは存じませんが。彼はワタクシのものでしてよ」
オレはマリアの師匠でもなければエヴァのものでもねぇ。
そう思ったが、口には出さない。前世の経験で知っている。こういった面倒な女同士の口論に割り込むとロクなことにならん。
……口論なんてまどろっこしい。ケンカで直接解決すりゃあ早いのに、どうしてこう女って生き物は言葉から入るのか。理解に苦しむぜ。
バチバチと見えない稲妻を両者の間に幻視する……いや、幻視じゃねぇ。実際に魔力が空気中に漏れ出し稲妻のような形を作っている。しかも、それを両名が飛ばしてやがった。
「婚約者、なのは良いんですけど。エヴァさんには別の『勇者』がいるではありませんか。入学2日目ですから、今はその方と交友を深められては? ワタシには『勇者』はいませんし、ルシファーくんにも『聖女』がいません。余りもの同士でワタシ達は仲良くしてますから」
「今の仮初の『勇者』との交友なんて、上っ面だけで十分でしてよ。数ヶ月後の『選定式』でワタクシは彼を指名するのですから」
「へぇ。ダイヤモンド家のご令嬢様は随分と浮気性なんですね? 今の方を放り出して、もう次の選定ですか。村娘でしかないワタシでは及ばない発想です。流石お貴族様、感服しました」
「ワタクシは一途でしてよ、そのような謂れのない侮辱は止めてくださりませんこと? エヴァ・ダイヤモンドはルシファー・ダークネスと共に在る。それはもう定められた未来なのですから」
「だったら今が浮気中ってことですか。婚前の火遊び、と。やっぱり浮気性なのは事実ではありませんか」
「このっ――」
エヴァの、その本格的な暴力の気配を察してオレは彼女の頭にゲンコツを落とした。
「ふぎゃっ!?」
おおよそ淑女らしからぬ声が彼女から漏れる。
そして。
「きゃうんっ!?」
ついでにマリアにも一発。
喧嘩両成敗というヤツだ。決して耳障りだったから暴力に訴えた訳ではない。正義はオレにある。
「特訓なら放課後につけてやる。折角の昼だ、オレを縛るな」
両者共に気絶しない程度に加減してやったオレはそう言い残すと、無言で教室を立ち去る。
オレが部屋を出ると同時に、何故だか静まり返っていた室内が途端に喧騒に包まれた。前世でもあった現象だが……これは一体何なのだろうか。
首を傾げつつもオレは昼飯を食うべく、学生に無料開放されている学食へと足を運ぶのであった。
――――
『選定式』でオレに殴り倒されたエヴァ。ダイヤモンドだが。
何の因果か本来のゲームの恋略対象の1人、『エデン』の王子『ミカエル・ルビー』と『勇者』として契約を結んでいた。
これはゲームにない――マリアがルシファーを『勇者』にする裏ルートにもなかった展開だ。
そして、今朝の出来事。
マリアに纏わりつかれながら教室に入ったオレを待ち構えていたエヴァは。
"一発には一発。これが正しい報復でしてよ"
そう言って、オレの頬に平手打ちを放ってきた。そして、なんと昨日の出来事はそれでチャラになった。
ゲームの悪役……それも何度も主人公に返り討ちにされる悪役だ。メンタルの強さには確信があったが、その予想外の行動には流石のオレも少しばかり面食らった。
いや、訂正しよう。
正直言って、彼女に対する評価も改めることとなった。あの女も強い。
悪役には勿体ないカラッとした性格に加え、初対面で殴りかかってきたオレに一切物怖じせず報復する胆力。その後婚約者であるからとオレを『勇者』にすると躍起になる純粋さ……いや、これは流石に素直に褒めるには値しないか。盲目さとも言えるのだからな。家系、血統を重視するこの世界の貴族社会では、家に決められた婚約者に対し一途であるのは至って常識的な思考ではあるが。
……昼に殴りつけたアレも、彼女の価値観では報復の対象となるのであろうか。
そう考えると、オレの頬には無意識の内に笑みが浮かんでいた。
原作シナリオなんぞに沿いたくないからエヴァの『勇者』になることはゴメンだが、それはそれとしてアイツはアイツでイイ女だ。
「えっと。どうしてルシファーくんが笑ったのかとか、どうしてこんなところなのかとか、色々と聞きたいことはあるんですけど……特訓、してくれるんですよね?」
マリアの言葉に、思考の海からオレは這い出すこととなった。
空はうっすらとした茜色。時刻は放課後。場所は学園からそう離れていない川の河川敷。
オレとマリアは向かい合うようにして立っていた。
昼休みを終え、午後の授業を終え、再度オレに絡んできたエヴァをはっ倒し、オレ達2人はこの場所へとやって来た。
「あぁ。お前の望む通り、お前を強くしてやる」
理由は明白。
そう。オレはコイツを鍛えてやるのだ。
『失楽園と夢幻郷』はRPG要素、レベルの概念のあるゲームだった。敵を倒し経験値を稼ぎレベルを上げ、そうして強くなる……そういうゲームだ。
だが今のこの世界では言うまでもなくレベルだとかステータスだとか、ゲームチックな数値は分からねぇ。なにせ現実だ。だから、ゲームのように敵を倒せば単純に強くなっていくという確証はない。
だからオレは、マリアに対してゲーム内のように『雑魚敵を狩りまくれ』なんて訓練法は言わん。オレが教える方法はもっとシンプルで単純で分かりやすい。
――ケンカで強くなる方法をコイツに教えてやる。
「いいかマリア。オレに教えを乞う以上、お前はこれから先一生武器を使うな」
「はいっ! ――えぇっ!? なんでですかっ!?」
オレがステゴロ第一主義だからだ。エモノを使うなんざ三流以下もいいとこだ。
「いいか。確かに武器を使えばそれだけで有利になる。リーチは伸びる、相手の攻撃を受ける手段も増える。だが、その有利さを求めるということは自分から自分が相手より弱いと認めるようなものだ」
そう。
真に強いヤツってのは、ただ強いのだ。
エモノの有無、その程度の有利不利をひっくり返してこそ強ぇって言える。
「だからお前はこれから先、拳1つで戦え」
「……マジ、ですか?」
「マジだ」
「…………マジですか」
どうにも、マリアはオレの言葉に納得がいっていない……というより不満があるらしい。
仕方ない。
「見ていろ、マリア」
オレは手ごろな大きさの石を拾うとそれを軽く空中へと放り。
「――フッ」
右の拳を打ち込んだ。
真芯を捉えられた石は受けたエネルギーを以て対岸まで吹き飛ぶ。そして、着弾すると小規模な砂煙を上げた。
「……う、そ」
んんっ。流石に石ころを殴りつけただけあって少し拳が痛むな。『ルシファー』の体だからそのままでもいけると思っていたんだが。
驚き固まったマリアの前で痛んだ拳ごと腕を軽く振る。
「今のはこの肉体の力……つまりは身体能力だけで放った」
「――え?」
「『魔力』を込めて今のをもう一度放つ。よく見ていろ」
えっと、確か。
『魔力』ってのは呼吸で練られて血液に浸透して、心臓によって全身に届けられる、だっけ。
ゲームの設定ではそんな風に書いてあったはずだ。
肺の中の力、『魔力』を意識する。温かで輝くようなそれを脈拍によって右腕に運ばれるイメージ……。
理屈ではなく感覚で『出来た』と理解したオレは、もう一度石ころを放ると。
「――――」
スパァン、と。
およそ石を殴った際に出るようなものではない音を響かせ、石だったそれは粉々に砕け散った。
「え、ええ、ちょっと、ルシファーくん想像以上なんですけれど……っ」
「マリア。強いというのはこういうことだ。強いヤツに武器など不要、拳1つで十分だ」
気持ちいい。
すごく、気持ちいい。
出来るという確信はあったが、まさか本当に石を拳で砕けるなんて。
――今のオレ、なんだかカッコいい気がしてきた。
気分の乗ったオレはそのままの勢いでマリアに告げる。
「納得したか。納得したな。では、今からお前を鍛えてやる」
「は、はいっ!」
緊張と興奮を隠せないまま答えるマリア。
あぁ本当に、最高に――気分がいい。
「強くなる一番の方法だが、なんだと思うか。肉体のトレーニングか? 魔術体系の理解か? 技術の向上か? どれも成長は出来るだろう。しかし、一番ではない」
固唾を飲む彼女にオレは、一番の方法を教える。
「一番の方法、それは――負けることだ」
「……負ける、こと?」
「あぁ。自分より強いヤツに、ソイツに勝てるまで負け続けることだ」
殴られれば、蹴られれば、痛い。ムカつく。負ければ、苛立つ。報復と反抗の意思が燃える。そして何度も挑み、負け続ける。
そうすりゃいつか、気が付けばソイツに。ムカつくソイツに勝てるようになっている。
これはオレの前世の経験則だ。
「……つまり。自身より強い相手に挑むことでその方の技術を模倣できる、その技術の対策を立てる、運動によって肉体面、敗北によって精神面のトレーニングにもなる、と。そういうことですか」
……?
…………?
……………………?
「そうだ」
よく分からん結論を出したので、とりあえず肯定しておいた。
「なるほど……流石は師匠ですっ」
「師匠ではない、アニキだ」
「アニキではありません、師匠ですっ!」
ふぅ、と一呼吸。
「では、ワタシはかなり幸運ですね。ホントに。ホンットに幸運ですっ!」
マリアは昨日と似た……素人同然の構えを取った。
「何故だ」
「だって……だってっ! ワタシにはいくらでも負けられる、いくら挑もうと届かないと思えるほどの師匠がいるんですからっ! いきますよっ、ルシファーくんっ!」
――笑顔で勢いよく殴りかかってきた彼女を地面へ沈めるまで、10秒とかからなかった。
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