1-5 原作崩壊開始!? 亜種裏ルート開幕2
よし、やったぜ。
内心でオレは歓喜の鬨の声を上げていた。
オレがこの女――エヴァ・ダイヤモンドとパートナーとなって主人公様の敵になる、というのは『失楽園と夢幻郷』の基本的な流れだ。
つまり、これはシナリオによって定められた予定調和である。それと同時に『第一聖教会』の生み出した流れにも沿う形になる。
それは許せん。断じて許せん。
なのでオレは、エヴァ・ダイヤモンドの『勇者』としてパートナーになる訳にはいかなかった。
だから、殴った。殴って気絶させ、『選定式』を止めた訳だ。
このゲーム世界でどうだか知らんが、前世の世間様では男が女を殴るのはよろしくないなんて風潮があったが、オレはそうは思わん。
何故ならその思想の下地には『男より女が弱い』なんて固定観念が根付いているからだ。男より強い女――オレよりも強くカッコいい女なんていくらでもいるというのに。
例えば『姐さん』とかな。
だからその意見を述べるならば男が女を殴るのは良くない、ではなく普通に暴力は悪と断じることが正しいとオレは思う訳だ。
尤も、オレは暴力を厭わんがな。
しかし、どういうことだ。
エヴァを殴り気絶させた第三実践訓練場。この場は静寂に包まれていた。
生徒全員が呆気にとられ、それどころか教師すら固まってしまっている。
「どうした。さっさと儀式を再会しろ、先生」
その言葉に反応した教師――コイツはシナリオに大きく関わるキャラではなかった、つまり敵ではない――にそう声をかけると、彼女はオレに困ったような表情を見せた。
「……一応聞きますが、ルシファー・ダークネス。貴方は今、自分が何をしたのか理解していますか?」
「当然だ」
オレはオレの邪魔なモンを殴った。ただそれだけに過ぎん。
「困りました……どうしましょう……」
そう呟く教師。
何を困ることがあるというのか。オレはただ、『エヴァ・ダイヤモンドと組む』ことに抗っただけで『選定式』そのものを壊した訳ではないというのに。
いくらオレでさえその程度の分別は付く。シナリオ関連以外であれば多少の規則、掟程度は受け入れる器があるぞ、オレは。あまり身勝手をして『教会』に処分されるなどゴメンだからな。
しばらくの沈黙。
そして、それを破ったのはオレでも、はたまた儀式を執り行うその教師でもなかった。
「――許せません。今の蛮行、断じてワタシは許しません」
凛、とした声音が試験会場に響く。
そして、生徒の中から1人の少女が儀式台の前へと躍り出た。
「……お前は」
亜麻色の髪。華奢な体躯。優し気なその可愛らしい顔立ちには、今は義憤が張り付いている。設定上は平凡な顔立ちと描かれておきながら、その容姿は明らかに異端と言えるほど整っている。
この、ゲーム世界の中心となる平民出の麒麟児。
「ワタシはマリア。マリア・クリスタルです」
――マリア。マリア・クリスタル。
彼女のその名は、このゲームの主人公のデフォルトネームだった。
そして彼女は静かな、それでいて威圧感を含む声で言葉を重ねた。
「ルシファー・ダークネス。アナタの今の暴力、ワタシは黙って見過ごすことも許すことも出来ません――決闘を申し入れます」
「――ふ」
自然と笑みがこぼれた。
何故だ。何故忘れていた。オレは何故忘れていたのか。
転生したことへの混乱やシナリオ教会その他に対する怒り。原因は数えればキリがないだろう。だが、オレは確かに忘れていた。
そのことに対する嘲笑と怒りで、自然と笑いが込み上げていた。
――そうだ。このゲームの攻略対象キャラは3人だが、ルートは4つ存在する。
1人は『ミカエル・ルビー』。この『エデン』という名の国の王子。
1人は『ガブリエル・サファイア』。貴族でもあり魔術師の名家としても知られるサファイア家の次男。
1人は『ラファエル・エメラルド』。主人公様と同じ平民出身の医者の息子。
『失楽園と夢幻郷』は、彼ら3人の内からマリアが『勇者』を選び、苦楽を共にし困難に立ち向かい絆を深め、最終的に暗黒神を倒す乙女ゲームだ。その『勇者』を選ぶ、所謂ルート選択をするイベントが開幕のこの『選定式』。
そして。
彼ら3人全てのルートをハッピーエンドで終えた後、ゲームを始めからやり直すとこの場面で新たな選択肢が増える。
・ミカエルを選ぶ
・ガブリエルを選ぶ
・ラファエルを選ぶ
……新たに現れる選択肢は。
・ルシファーと戦う
「く、くははっ……!」
喉から乾いた笑みが漏れる。
そう、確かその隠し選択肢――ゲームの核心、『第一聖教会』の真実や王家の闇等、他のルートでは明かされなかった真実に迫ることになる裏ルート、『ルシファールート』の入り口はまさに、今のようにマリアが主人公に戦いを挑むことで開かれる。
原作の動機は確か……他のルートでは田舎でで緊張していて気が付かなかったマリアが人形のように自分を持たない『ルシファー』の様子に違和感を覚え、彼女がエヴァが彼を操っているのではと訝しみ『勇者』を選ぶ前にエヴァに対して決闘を申し込むのだったか。
そしてルシファーに打ち勝ち、ルシファーが自身を打ち負かしたマリアに興味を――自我を、自意識を持つ。そこから本格的に『裏ルート』のシナリオが始まる。
覚えている。思い出した。思い出したぞ。
何故忘れていたのか、そう笑えてしまうほどに――このルートは出来が良かった。展開も、乙女ゲーとは思えぬ少年漫画的な熱さがあった。特にラストシーン、不完全な形で復活した暗黒神を倒した直後にホムンクルスとしての活動限界を迎えたルシファーを涙ながらにマリアが抱きしめ、そして数年後。
『久しぶり――えへへ、ワタシの方が、何歳かお姉さんになっちゃいましたね』
科学者となり停止したルシファーを再起動させるに至ったあの場面では、BGMやスチル? というのか? ともかく専用のCGも相まってオレもつい感動してしまったほどだ。
本当に笑えて来る。細部こそ違えど、オレはシナリオを壊すべくエヴァを殴ったが、その行為が奇しくもこの『裏ルート』の発端になるとは。そして今まで、あれほど惚れ込んだこのシナリオを忘れ、自身が彼女の攻略対象であることを忘れているとは。
あぁ、怒りで頭がどうにかなりそうだ。
世界への、マリアへの、そして何より自分自身の愚かさへの。
「ははははははっ――良いだろう。マリア。お前との決闘を受けよう」
その言葉に、静寂を保っていた生徒大勢が騒めきたつ。
決闘。それは誇りと名誉、時には実利的な何かを賭けて行われる一対一の戦いだ。この世界の価値観においては主に貴族同士で行われる行為で断じて平民が、それも貴族を相手に挑むものではない。当然それを受ける貴族などいないに等しい。
だが。コイツは硬っ苦しい言い方してるだけで要するにアレだ。
ただの、ケンカだ。それ以上でもそれ以下でもない。少なくともオレの価値観では。
ただ何かを賭けて行うケンカ。それだけだ。
「条件はなんだ」
「ワタシが負ければ好きにしてくださって構いません。ですが、ワタシが勝利した暁には、彼女への正式な謝罪と反省をお願いします」
「良いのか? 明らかに天秤は釣り合っていない」
「構いません」
この女は。本当に。
人を、オレを苛立たせるのが上手い。
それでこそ。その気高さと優しさと。なにより立場を気にせずしがらみに囚われず自由であろうとする、信念を突き通す在り方が。
オレが惚れ込んだ主人公様が。カッコいい女が。
――オレの敵であるという事実に、苛立ちが抑えられない。
他の生徒の喧騒がまるで意識に入らない。まるで世界がオレと彼女だけになったようだ。
「先生。構わんな? これは正式な決闘だ。見届け人として立ち会え」
「え、えぇー……」
オレが殴りつけたエヴァを祭壇から下ろしつつ介抱しようとしていた彼女はすごく嫌そうな顔をした。
「有無は言わせん」
だが、ハリボテとはいえオレはダークネス家なる貴族という設定が与えられている。ゲーム的にも、この世界の本質的にも設定なこの立場だが、貴族というのはとにかく偉い。偉いというのは権力があるということだ。つまり、『正式な決闘』という本来貴族同士でしか行われない行為の社会的優先順位はそれなりに高い。
少なくとも、学園で行われる儀式なんぞよりは。
「そこのお前」
「ひゃぅっ!? あ、あたしですかっ!?」
「お前だ。模擬戦用に準備されている木剣を2本持ってこい。オレと、この女の分だ」
オレは名前も顔も知らない女子生徒――つまりシナリオに関わってこないモブキャラ、敵ではないヤツ――にそう命じる。
「ルールは受け手が決める。それが決闘だったな。異存はないな、マリア」
「構いません」
「折角の舞台だ、『選定式』に則り模擬戦のルールで受けてやろう。それならば、お前にも勝ちの目があるはずだ」
「……感謝します」
本来であれば明るく優し気な声音を冷たいそれに変えてマリアは応えた。
模擬戦。
原作シナリオでもこの場面での決闘は受け手であるエヴァが決めた、模擬戦と同じルールで行われていた。
そのルールは単純。
どのような手段を用いようと、先に木剣の一太刀を入れた方が勝者である。
あえて。あえてだ。
このオレはあえて、原作シナリオの展開を選んでやる。
あえて選ぶ――逃げ出すなど、オレのプライドが許さん。
真正面から打ち破ってやる。
オレとマリアは女子生徒から木剣を受け取ると、模擬戦の為に用意された場所へと移る。それを追うようにおろおろとした教師とざわめきの収まらない他生徒が続く。
「先生、確認だ」
「……なんでしょうか、聞きたくないんですけど」
一定距離離れたオレとマリア。
それを見守るように中間の位置に立った律儀にも決闘の見届け人になるらしい教師にオレは念のための確認を取る。
「模擬戦だが。木剣の刀身に触れれば敗北なのか? それとも剣全体……柄であったり、そういった部分であれど、触れれば敗北となるのか?」
「えぇと、規則では前者ですね。柄による打撃等は決着にはなり得ませんよ」
「そうか。理解した」
「……これだからワガママな貴族兼異常者の天才は。新任早々本格的に嫌になってきました。するのであれば、早く済ませてください」
ぼやく教師。
哀れには思うが、だが教師という生き物は生徒に振り回される、そういうものだろう?
オレを前に、マリアが構えを取った。ルシファーの肉体に宿った知識がオレにその構えがこの国のメジャーな流派のそれであると告げてくる。
同時に、それに対する有効な手段も。
――知るか。そんな、この世界に与えられた余計なモンにオレが頼ると思うなよ。
「では…………始め」
やる気なさげなその教師の声と共に、オレは木剣をその場に突き刺した。木剣はいとも容易く均された土の地面へと突き立った。
「なっ……!?」
衆目と共に、驚愕の声を漏らすマリア。
「これで俺は素手、お前の負けはなくなった。そして――」
その驚きによって隙を晒した彼女の懐に飛び込むと
「――これで、お前の勝ちも無くなった」
彼女の握る木剣の柄、その先端をアッパーカットで撃ち抜き弾き飛ばした。
彼女の後方でそれが地面へと落ち、転がる音が聞こえた。
「手加減してやる。殺す気でかかってこい」
やはりケンカはステゴロ。素手の暴力こそが至高。
原始的なその攻撃性に、オレの脳髄は痺れるような錯覚を覚えた。
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